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ロジハラについて、ロジカルに考えてみた。

今から34年前の1989年。

日本の流行語大賞に「セクハラ」という言葉がノミネートされた。

それから10年後の2000年前後、「パワハラ」という和製英語が誕生。

今では「モラハラ」「アルハラ」、「カスハラ」などの言葉も一般的になった。

多様なハラスメントが誕生し続ける昨今だが、今日は「ロジックハラスメント(通称:ロジハラ)」について考えてみる。

と言うのも、ロジハラについては私が加害者側の当事者だからだ。

前回の日経COMEMOで書いた内容は反響が大きかった。

当時はロジハラなんて概念はなくて、もちろん私自身もこれがハラスメントに当たるとは思っていなかった。

ただ今になって当時を振り返ると、自分がやったことは「ハラスメント」だったと振り返ることができる。

この十数年で何が変わったのか。

「ロジカルであること」と「ロジカルハラスメント」は何が違うのか。



それをロジカルに考えてみた。


今日はそんな話。

■そのロジックは何のためか?

まずは「ロジックの大家」とも言えるChatGPTに聞いてみた。

結果はこんな感じ。

今月の日経COMEMOはこれで終わろうかと思ったほど、完璧な答えだった。「もう自分なんて要らないんじゃないか」と、少し落ち込んだ。

ChatGPTが言っているのは要するに、目的と手段の話だ。

「課題の解決」が目的で、「ロジカルに考える」ことが手段。
これがビジネスなどで重宝される「ロジカルシンキング」だ。

一方で、

「相手の苦痛」が目的で、「ロジカルに詰める」ことが手段。
これが「ロジカルハラスメント」に当たる。

ChatGPTに対抗して、私はパワポで表現してみた。

念の為、この構造化がChatGPTにできるかも試してみた。

なんかよくわからないから、今回は私が勝ったことにする

■ハラスメントを生み出すロジック

ここまでロジカルに、シンプルに考えていたら、もう1つ疑問が浮かんだ。

「相手が苦しむこと」が「課題の解決」につながる場合はどうなるだろう。

というロジックだ。

冒頭に紹介した私の事例で言うと、

・ミスを繰り返す後輩(相手)
 に対して
・ロジカルに詰める
 ことで
・自分のミスと向き合わせる(相手を苦しめる)

それが後輩の成長には必要なこと(課題の解決)だと考えていた。

先ほどの構造に1つ過程が加わることになる。

相手は一時的に苦しむことになるが、それは相手の成長(本来の目的)につながる。

と、こんなロジックを自分で書いていて気づいた。

あ、この発想がが「ハラスメントの温床」になっている、と。

思えばハラスメントはいつも、このロジックに守られていた。

元祖とも言えるセクハラだってそうだ。

例えば飲み会で下ネタを話して、一時的に相手が嫌な思いをしたとしても、「本来の目的」は職場の雰囲気を良くするためだった。

そんな言い分を、このロジックは成立させてしまう。

「相手のためを思って」というロジックは、時にはハラスメントを産み、虐待や犯罪にまで発展することだってある。

たとえ目的を達成するためでも、その過程で相手を傷つけることはあってはならない。

■ロジックとリスペクト

ではロジハラをなくすためにはどうすればいいのか。

例によってChatGPTに聞いてみた。いくつかポイントが挙げられたが、1つ目は意外にも「リスペクト」だった。

思えば私の経験も、巷に溢れるロジハラも、その背景には上下関係がある気がする。

私で言えばトレーナーとトレーニーの関係だったし、当時の私はそれが上下関係だと思っていた。

だからロジックという力を借りて相手を責めた。それが結果的に対等な立場としての発言以上に、攻撃性を帯びてしまった

ただ、昨今のビジネスシーンでは、上司と部下は対等だ。部下に対して敬語を使うことも当たり前になってきた。 

その背景には「リスペクト」がある。

部下であってもリスペクトを持って対話をする。

その前提が揃ってくれば、あらゆるハラスメントはなくなるし、ロジックは両者の共通言語として再び機能するだろう。

ロジックに必要な前提はフラットであること。

この本質を失ったロジックは、ビジネスでもプライベートでも合ってはならないのだと思う。


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小島 雄一郎
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