全ての仕事は自分の仕事、と考えると、自身にリターンがくる、と言う話
筆者が以前在籍していた企業でマーケティング責任者を拝命していた時の話である。
その企業では、週に一度営業会議が行われていた。
営業部門の部長以上が出席し、前週のレビューと軌道修正を行うための重要な場である。
重要な場ではあるのだが、当時そこでは、
(1)議長であるCOOが抽象度の高い問題提起をされるものの、抽象度の高さ故に担当部門が曖昧で棚上げになる
(2)複数部門の担当の真ん中にある業務が、両部門により押し付け合いになる
と言う、あまりエレガントとは言えない光景が常態的になっていた。
ある日、筆者はその光景を見かねて(1)に類することを自分で引き取る事にした。別にええ格好したいわけでも、ヒーローになりたいわけでも、点数稼ぎしたいわけでもない。
みなが下を向いて緊張状態になっていたのがイヤになって、反射的に引き取った感じだった。
会議室は、それによりほっとした雰囲気になった。
以降、筆者は(1)の状態はほぼ必ず、(2)の状態で片方が自分の部分である場合は必ず、(2)の状態で双方が自分の部門でないときも時折り、自分が問題を引き取るようにした。
マーケティング部門のスタッフは、当初かなり面食らっていた。
当然である。なにしろ、それまで彼女ら・彼らの業務概念の外側にあった課題を、上司が引き取ってくるのである。
しかし筆者は「誰かがやらなきゃいけないから、俺たちでやろうよ」と言う論理で引き取った問題を彼らと共にこなしていった。
すると、会社の中である変化が起きた。
上司のCOO、そして同僚のオフィサーたちが、本来マーケティング部門が担当していない事についても、何かと相談してくれるようになったのだ。
筆者はそういった相談から導出される課題も積極的に引き取るようにした。
さらにしばらくして、組織変更があった。マーケティング部門の管掌範囲が広がり、同じタイトルながら昇進することとなったのだ。
それに伴い、マーケティング部門では、それまで筆者が位置していたシニアマネジメント階層のポジションが複数設置された。こうして面食らいながらも筆者と多岐にわたる課題に取り組んでくれたスタッフ数人も昇進する事になった。
仕事のポリシーを問われた、このお題に対して筆者は、最初に以下を記し、
その中でこのように書いた。
ーーー以下上ペースト記事からの引用ーーー
会社と部門は、人体と臓器の関係に似ている思う。
臓器はどれが欠けても、人体という複雑なシステムが運営されるのに支障をきたす。それと同じように、会社の部門も一つひとつが全体を支えているのだ。
会社の外だって同じである。
マーケティングは、広告代理店などのパートナー企業と共に行うことが多いが、彼らからの支援も重要な臓器の一つだ。
このように考えてみれば、全ての仕事は、全ての部門・組織の仕事であり、誰かに属していたりとか、誰かの手柄であったり、ということはありえない。
ーーー引用ここまでーーー
太字で記した「全ての仕事は、全ての部門・組織の仕事」である、と言うことを積極的に別のポリシーとして活動してみたのが、上に引用したエピソードである。
筆者が自身の経験から感じるのは、「全ての仕事は、自分の仕事」と言うポリシーで動くと、リターンが返ってくる、と言う事である。
リターン、というのは昇進のみを指しているわけではない。このポリシーで仕事をすると、慣れぬ事にどんどん着手する事になるため、大変ではあるが、ナレッジと信頼を積み重ねられるのだ。むしろ昇進のようなことは結果に過ぎない、と言えるかもしれない。
もしあの時、筆者のみならず、多くのリーダーがこのポリシーを持つようにしたら、何が起きていただろうか?
おそらく、営業会議では
・随分と風通しの良い雰囲気になる
・いろいろな人から多くのアイデアが飛び出るようになることから随分創造的になる
・押し付け合いが減ることから時間効率も上がる
といった好ましい変化が観察されたのではないか、と想像する。
筆者は時々、リーダーシップのトレーニングやコンサルティングをお引き受けすることがある。
そういった場では通常、ご依頼いただいた企業の本部長や執行役員級の方々が顔を揃えるわけであるが、だいたい上に記した(1)(2)の相似形現象に出くわす。
そんな時に、デジャブ感と共に、あの状況が自分が務めた企業に固有のことでなかったことを改めて知る。
そういう時は、このエピソードをご紹介し、情けを他人のためならぬこと、そして全員がそういう考え方で仕事をすれば、とても風通しがよく、気持ちの良い組織風土ができるであろうことを話し、参加者の方を鼓舞するようにしている。
読者の皆さんは、どうお感じだろうか?
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