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「史上最大の経常赤字」から何を読み解くべきか

1年前の既視感、思い返される構造的円安論
金融市場はシリコンバレー銀行破綻に揺れています。これに伴ってFRBの利上げ見通しが揺らいだことから米金利低下・ドル売りが急速に進み、円相場も急伸しております:

しかし、過去の本欄への寄稿でも繰り返し論じていますが、筆者は近年の円相場ひいては日本経済を考える際、真摯に考えるべきは日本の対外経済部門(象徴的には経常収支や貿易収支)の構造変化ではないかと思っています。ドル/円相場の動向を検討する上でも、金利と需給で等しくその重要性を検討しながら、先行きを考えるべきだというのが筆者の一貫した立場です。もちろん、FRBの挙動は超重要論点ですが、それだけでは決まらないのではないかという視点も併せて持ちたいところです。

昨年直面したプラザ合意以降で見れば「史上最大の円安」は日米金利差拡大だけではなく、「史上最大の貿易赤字」に象徴される需給環境の激変がもたらしたものだと筆者は思っています。金融市場では中央銀行の「次の一手」と関わりの深い金利動向が重視されやすいですが、▲20兆円を超える貿易赤字や▲5兆円を超えるサービス赤字というのも経験のない水準ではあります。

この点、3月8日に公表された1月国際収支統計は相応に考えさせられる内容でした。1月経常収支は▲1兆9766億円と現行統計開始以来で最大の赤字を記録しました:

もちろん、既に発表されていた貿易収支が約▲3.5兆円と史上最大の赤字を記録していたことから、数字自体に意外感はなく、1月に赤字が拡大しやすいという季節性があることも割り引く必要があるでしょう:

だが、筆者は今回の結果から昨年の激しい円安相場を想起してしまいます。ちょうど1年前の3月、2022年1月分の国際収支統計では経常収支が史上2番目の赤字となったことが大々的に報じられました。その際、国際収支発展段階説などを踏まえ、「構造的な円安を警戒すべきではないか」という見方を示しました

しかし、これに対しては「経常収支悪化は一時的であり、『構造的な円安』への懸念は行き過ぎ」という反論が当時は多いものでした。しかし、現実はどうなったでしょうか。2022年3月時点で114円近辺にあったドル/円相場はその後7か月間かけて152円付近まで駆け上がりました。巷説では日米金利差拡大だけでその動きを正当化しようという論陣が支配的ですが、それはいくらなんでも無理筋に思います。これだけの円安相場が例えば日米長期金利差(4%ポイントほど)だけで説明できるのでしょうか。筆者は需給環境の激変が追い風になった可能性はあるという立場です。

実際、2022年を振り返れば、国際収支発展段階説に照らした日本経済の構造変化、それに伴う円相場の下落という視点が大きな注目を浴びたはずです:

日本経済の発展段階が変わろうという途上で、これまでには経験の無い値幅をもって円安が進んだという理解も多少は考えても良いように思います。少なくとも1年前に、その後のドル/円相場が150円を突破し、1年後(2023年1月分)の経常赤字が史上最大を更新すると思っていた向きは決して多くないでしょう。今一度、日本という国がどちらかと言えば「外貨が流出しやすい国」に傾いている可能性を想像しても良いのではないでしょうか。
 
近年の国際収支にまつわる4つの重要事実
もちろん、まだ1か月であり2023年の基調を占うには気が早いでしょう。しかし、2022年通年の国際収支を振り返る限り、以下の4つの事実は指摘できると思います:
 
①   貿易赤字の水準が切り上がったこと
②   第一次所得収支黒字は円安の歯止めにならないこと
③   旅行収支黒字が数少ない外貨獲得経路であること
④   その他サービス収支が拡大基調にあること
 

この中で①については多くの議論を要しないでしょう。2017~19年、原油価格は平均して1バレル約58ドルでしたが、過去1年平均は91ドルで6割弱高いです。日本の輸入の25%はこうした原油を筆頭とする鉱物性燃料ですから、この価格が2~3割押し上げられている以上、「構造的に赤字が拡がっている」という事実は指摘できると思います。それは「構造的に円を売りたい人が増えた」という主張と同義と思います。

次に②は「2022年通年で経常黒字が+11兆円も積み上がったにも拘わらず、史上最大の円安が実現した」という状況証拠から類推できます。2022年の貿易サービス収支は約▲21.4兆円と史上最大の赤字だった一方、第一次所得収支黒字は約+35.3兆円とこちらも史上最大の黒字でした。しかし、結果として確保された約+11兆円の経常黒字では152円付近までの円相場急落を押さえるには至りませんでした。結局、第一次所得収支黒字は外貨で稼いだものがそのまま海外に滞留するだけで通貨安定のための外貨フローにはならないという事実を示していると言えるでしょう

こうした状況を踏まえると、③旅行収支黒字が数少ない外貨獲得経路であることは数少ない朗報ではあります。しかし、ピーク時(2019年)でも約+2.7兆円しかなかった旅行収支黒字が日本の経常収支の中身を根底から変容させるというのは期待が行き過ぎです。まずはパンデミック終盤、不必要に世界へアピールしてしまった日本の閉鎖性を撤回すべく水際対策を完全に撤廃の上、最善を尽くすしかありません。結果として、じわじわと黒字の水準を切り上げる努力に勤しむしかないでしょう。
 
「債権取り崩し国」に加担しそうな「その他サービス収支」
今後、気に留めるべきは④その他サービス収支が拡大基調にあることです。サービス収支は旅行・輸送・その他の3本からなるが、このうち2022年のその他サービス収支は▲5兆1451億円と統計開始以来の赤字を更新しています。このままでは旅行収支が2019年時のピーク(約+2.7兆円)まで復元しても、その他サービス収支赤字の半分程度しか相殺できない計算になります。

その他サービス収支に含まれる項目は多岐にわたるが、上記コラムでも確認したように、その中でもGAFAなど巨大IT企業のクラウドサービスへの支払いなどを含む「通信・コンピュータ・情報サービス」やウェブサイトの広告スペースを売買する取引やスポーツ大会のスポンサー料などを計上する「専門・経営コンサルティングサービス」などが非常に大きくなっています。こうしたクラウドサービスや研究開発、ウェブサイト広告の売買など、近年の米国経済が「強い」と言われ、日本経済が「弱い」と言われてきた分野がはっきりと国際収支統計上の数字で確認され始めたのが2021~22年の国際収支統計の特徴かもしれません。今年に入ってからはデジタル赤字というフレーズを用いた報道も見られました:

今後、国産クラウドが世界を席巻するなどの展開が非現実的だとすれば、その他サービス収支の赤字は基本的には大きな赤字要因のまま残存する公算が大きいでしょう

「成熟した債権国」が「債権取り崩し国」になる場合、貿易サービス収支が第一次所得収支黒字を凌駕する構図にシフトすることが想定されるわけですが、その他サービス収支はそうした未来に加担する可能性がありそうです。単月の経常収支や貿易収支から大きなことを言うべきではありませんが、大局的に見ても、日本の対外経済部門が過去10年で大きな変化に直面しているのは厳然たる事実であり、それを踏まえて中期的な円相場見通しを検討することが必要です。それは長い目で見れば、FRBの利上げの回数や幅、雇用統計の仕上がりなどよりも遥かに重要な視点であるように思います。

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