ショックドクトリンには気をつけて
「天災は忘れた頃にやってくる」とよく言われるが、令和6年1月1日の 日本を、能登半島地震が襲った。大阪でこの地震に遭遇したが、27年前の阪神・淡路大震災以来の大きな揺れを感じた。2日3日が経過しても、能登では余震がつづいている。震度1以上が1日から4日16時段階で600回を超えている。地殻変動、各地で液状化。凄まじい。12年前に、同じく余震がつづく東日本大震災を東京で過ごした日々を思い出す
ショックドクトリンという言葉がある。社会に壊滅的な惨事がおこり、人々がショック状態に陥り,茫然自失で抵抗力を喪っているときに,衝撃的な出来事を巧妙に利用される手法だが、この能登半島地震をショックドクトリンに使われるのに気をつけないといけない
1 情報が淀んでいる
全体が見えない。
1月1日16時10分頃の最大震度7の能登半島地震が発生以来、テレビは地震情報を報道しつづけている。地震の状況や被災状況が伝えられるが、全体像がつかめない
時間が経過するなか、被害が最も甚大だという能登半島への報道が増えていき、富山県や福井県や新潟県や秋田県の報道が減り、全体像が見えなくなった。テレビでは限界があるので、SNSで情報を収集しようとするが、リアルタイムな情報が圧倒的に質・量ともに増えたが、やはり全体が見えない。ドローン・無人航空機の飛行禁止されたため、見えるはずのものが見えなくなった。情報収集・統合の方法は昔のまま
情報が淀んでいる
その会議という形も、変わらない
地震対策本部会議の形態は変わらない。あらかじめ決められた対策組織それぞれが、関係部署と連携して地震の被害状況をつかみ、会議のトップに報告して指示をもらい、みんなで情報共有して、各組織が決められた役割で被災者支援・損害復旧をする。何時間ごとに会議は定期的に開催され、対策組織メンバーは会議室に集まり、情報共有するというスタイルは昔と変わらない。メールやオンライン会議も併用されているが、情報収集・統合の方法は、基本は昔のまま
情報が淀んでいる
全体が見えない
助けを求める人、困っている人が求めるモノ・コト、求める人がいる場所の全体像が見えない。助けを求める人がどこにいて、なにを求めておられるかが見えない。そこに行こうとしても、地震で道路が各所で寸断して、助けを求める人にたどり着けない。道路状況の全体が分からないから、どこに行ったらいいのか分からない。だから適切な判断ができない。だから支援が遅れる。だから援物資・支援策が偏る。だから部分最適となる
情報が淀んでいる
2 IT・機械との向かい方
このようなビルの倒壊を、かつての大地震でもあまり見たことがない。阪神・淡路大震災に匹敵するマグチュード7.6の地震は、震度7の凄まじい揺れは津波と火事を誘発した複合化災害となり、輪島市と珠洲市などの建物を倒壊して、瓦礫の街とした
そのような大きな被害を与えた大地震の震源地近くの北陸電力志賀原子力発電所は震度7に見舞われたが、大きな影響がなかったという。東日本大震災にともなう東京電力福島第一原子力発電所事故の経験から、多くの人が能登半島地震発生時に、志賀原子力発電所を懸念した
東日本大震災での福島原発事故以降、高度な安全対策が検討され、準備・訓練がなされ、大震災を乗り切れたとしたら、すごい。凄まじい努力の成果かもしれない
有事はなんども起こる。有事をどう考えるかで、有事の影響が変わる。有事が起こっても損害が起こらないようにする防災と、損害度合いを軽微にする減災、災害を乗り越える力(回復力)を加えた総合力であるレジリエンス、東日本大震災以来、BCP(事業継続計画)をたて、有事に備えてきた。有事を真剣に考えた組織・場所と、そうでなかった組織・場所がある
有事は精神論ではない。日本は、過去より、機械を軽視しがちであり、有事・安全対策のなかで、機械の使い方が世界から遅れている。とりわけITを活用した遠隔制御・遠隔監視・遠隔運転が、社会のなかで遅れている。ITを使って機械で運転したり制御するための技術はあったのに、日本は組合・雇用対策を理由に、その機械の導入に躊躇して、今までのやり方を変えることなく、機械ができることを人にさせてきた。 これが日本の生産性の低さの要因であり、人手不足で困るようになり、安全力を落としている
世界から遅れているのは、なぜ?
日本は、機械との関係性・向き合い方が、世界と違っている。
遠隔制御・遠隔監視のテレビカメラ、カメラに対するアレルギーがある。ドローンで上空からの人や建物への映り込みもしかり、プライバシー問題が発生する。だれかに監視されていると言って、異常にナーバスになる。社会的に価値あるモノ・コトが、個人の価値観で導入されないことが多い。たんなる生産性の低さだけの話ではない
社会的メリットを損なっている
3 あと10年経つと、社会の主役は変わっている
災害には、復旧、復興のフェーズがある。
現段階は復旧、2ヶ月3ヶ月半年の復旧作業を経て、能登半島地震も復興に向かうが、令和6年の日本は、27年前の阪神・淡路大震災の日本、12年前の東日本大震災の日本の時代環境とは違う
同じ「失われた30年の日本」でも日本の人口構造・産業構造・経済構造など社会環境は違う。前のふたつの大地震の復興時に展望した日本とは同じ日本ではない。人口は大きく減少して、高齢化が進み、生産人口が減り、縮退社会となり、社会の再生産がこれまでのやり方では難しくなっている。これまでの大地震からの復興モデルでいいのだろうか?
コロナ禍を契機に、日本社会はあきらかに変わっている
ファミリーレストランの配膳や厨房内では、ロボットが増えた。配達・清掃ロボットも増えた。スーパーやコンビニも、セルフレジが増えている。省力化しないと、社会が成立たない状況になってきている
「10年後の2030年にこうなるだろうと思っていたことをコロナ禍となった2020年にしている。しかしそれは10年前の2010年のできていたこと」
それはオンライン技術。オンライン会議、オンライン講義・講演・教育、オンラインショッピング、オンラインバンキング、オンラインエンタメ、オンラインゲーム…オンラインによるビジネススタイル・ライフスタイルが普通になった。それは、前述の車の安全対策のように、制度化・ルールされ、利便性・必要性を理解されることで、普通になった。だから元には戻らない
しかしなかなか進まないオンラインビジネスがある。
オンライン診療である。オンライン診療をしている国は世界で多いが、日本では進まない。社会保険制度、健康保険制度が充実しており、日本独自の医療体制を敷き、これまでのやり方を変えようとしない。しかし日本の人口が減っていき、中期的には高齢者も減っていくと、医師も過剰になっていく。だからオンライン診療等で生産性をあげることは社会的に良いかもしれないが、そうしたら病院経営は厳しくなるだろう。だから
日本ではオンライン診療はできない
10代20代の若者、30代40代のみならず、社会はオンライン・デジタル社会にすでに移行している。生成AIも動き出している。人口はさらに減る。現在のみなず、これからの人手不足を考えた時に、導入すべき技術を使った社会システムである。すでにある技術である
日本には独自のやり方がある、日本は世界とは違う。今までこれでうまくいったから、変えない、新たなことはしないという「日本の特殊論」が日本の進歩を止める
しかし遅くとも、あと10年で、新たなことを導入しない・できない世代から、若い世代に社会の主役が変わっていくのは必然。そのとき機能不全となったことが否定されていく。遅くなればなるほど、世界から、先行者から、通り残されることになる
オンライン診療だけではない。技術・デジタル情報と社会・生活がつながっていないモノ・コト・シーンが日本社会には多い。技術と人との関係、DX・AIとの協同の社会スタイルを再構築して、社会課題を解決する、社会価値を創造していかねばならない。能登半島地震からの復興もしかり、いままでの延長線上の方法論ではいけない
固定観念にとらわれずに、10年先20年先という未来を展望して、未来を開拓する絵を描き、実行していかねばいけないのではないか?それを考える議論をシリーズで行なう
https://cds.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/1st_special_seminar.pdf