シェアド・リーダーシップの「舞台裏」
こんにちは、臼井です。ぼくは、マネジャーのケア役割を分かち合う「ピア・マネジメント」を探究テーマに掲げて発信をしています。その参考として、『リーダーシップシフト 全員活躍チームをつくるシェアド・リーダーシップ』を読みました。
本書では「シェアド・リーダーシップ」の職場での具体的な推進方法について、かなり具体的にわかりやすく描いており、なおかつ研究をベースにしていて信頼性も高い良書でした。職場の実践に参考にしたくなる本です。
しかし、疑問も浮かんでいます。リーダーシップを分かち合おうとするなかで、「マネジャー」と「メンバー」の新たな分断線が現れるのではないかという疑問です。これまでは「情報の分断線」でしたが、「感情の分断線」が生まれるのではないか、この仮説を考えてみたいと思います。
というわけで、シェアド・リーダーシップを組織的につくりだしていくための問題と課題を考えてみました。
シェアド・リーダーシップとは何か?
本書では、リーダーシップの定義は研究者の数だけあると前置きしたうえで、
という4つの要素を挙げています。
これをまとめて、リーダーシップとは「集団の共通目標の達成に向けて発揮される影響力のプロセス」であると定義しています。仲間と共に登る山を決めて、全員が無事に登れるように互いに働きかけ、影響力を発揮しあっていく状況に例えているのがわかりやすかったです。
このリーダーシップを1人の強力なカリスマに求めるのではなく、リーダーシップが複数の人たちによって共有され、分かち合われている状態が「シェアド・リーダーシップ」であるとしています。
「無理ゲー」状態のマネジャーへの処方箋として、1人でリーダーシップを発揮するのではなく、皆が発揮できるように働きかけ方を変えよう、リーダーシップをシフトしよう!という提案がなされているのです。
シェアド・リーダーシップを実現する5STEPモデル
具体的に「シェアド・リーダーシップ5STEPモデル」が提案されています。
STEP1では、チーム活動を始める前に、チーム、メンバー、自分の未来がどうありたいかを想像します。その際、自身の「行動変化のブレーキ機能」を内省して克服する必要を描いくだりが興味深いです。
STEP2では、チームで大切にしたいことを繰り返し語りながら、心理的安全性を壊す行動に誰よりも注意を払います。1on1でメンバーの思いを引き出しながら、チーム活動をみんなでやれている感覚の醸成が重視されます
STEP3では、マネジャーが方針を固めてしまうのではなく、50~60%の叩き台を持ち込み、皆の意見を吸い上げながら方針をともに描いていきます。
STEP4では、全員が主役となるように、強みを活かしたアサインをし、仕事の意義づけに言葉を尽くし、活躍を演出して賞賛をしていきます。
STEP5では、役割の境界、チームとよそのチームの境界をゆさぶるために、メンバーの活躍ぶりや問題状況を共有し、互いに助け合える状況を創出します。
この5つのステップにもとづいて、自分のマネジメントやリーダーシップのあり方をふりかえり、新たな実践をしてみたくなる本でした。
シェアド・リーダーシップの舞台裏
その一方で、この本を読んで、ぼくは一つの疑問に行き当たりました。
シェアド・リーダーシップは今日的な理想状態ではあるものの、その状態に到達するために疲弊するマネジャーを誰がケアするのかという疑問です。
この5STEPの主語が「マネジャー」であるとするなら、マネジャーがイメトレし、マネジャーが安心安全をつくり、マネジャーが共に方針を描けるようにし(叩き台を叩かれ)、マネジャーが全員を主役化するために配慮を尽くし、マネジャーが個人の役割やチームの境界を揺さぶる…ということになります。
仮に主語を「全員」にしたとしても「全員が〇〇する(…ことができるようにマネジャーが支援する)」というように、マネジャーの主体性に還元されるでしょう。
シェアド・リーダーシップの状態を実現するためには、マネジャーは自分自身をメタ認知し、感情を丁寧に扱い、粘り強く対話し、働きかけ続ける必要があります。こうした働きかけには、時間はもちろん、多くの気遣いが必要でしょう。
シェアド・リーダーシップとは、他者に命令をするリーダーシップよりも、はるかに気遣いを必要とするリーダーシップのあり方であるとぼくは感じています。
「情報の分断線」から「感情の分断線」へ
これまでのリーダーシップを雑にまとめるなら、情報を伝達し、動機づけていくものだったとします。そこにあるのは「情報の分断線」でした。
ヒエラルキー上で経営に近いマネジャーが持っている情報と、メンバーが持っている情報の量は異なり、その情報を持っている人から持っていない人に、要望とともに伝達されるものでした。
一方で、シェアド・リーダーシップでは、情報は適切に伝え、対話を通じて共に目標設定をしていきます。そこには情報の分断は少なくなり、共創的なコミュニケーションが生まれています。
しかしながら、その情報提供と対話を進行するマネジャーの感情には、疲弊や不満、憤りや傷つきなど、メンバーにはそのまま出せないものが存在しています。それを見せる相手と見せない相手の線引きを、シェアド・リーダーシップにおける「感情の分断線」と呼んでみたいと思います。
「感情の分断線」を前提にしながら、日々の気遣いに疲弊したマネジャーを、誰がどうケアするのか。その点がシェアド・リーダーシップを組織的に実現する舞台裏の課題であると感じています。
マネジメント分業と、マネジャーケア対話
その具体的な処方箋が「マネジメント分業」と、「マネジャーのケア対話」の実践であるといえます。
「マネジメント分業」とは、マネジメントを垂直・水平に分業して、メンバーと分かち合う考え方です。とりわけ、マネジメントを水平に分業して2人マネジャー、3人マネジャー体制で臨むアプローチに今、注目しています。
リクルートさんではヒトマネジャーとコトマネジャーに、MIMIGURIでは事業マネジャーと組織マネジャーに分けています。日揮ホールディングスさんでは部長を、事業部長に加え、キャリア開発担当、業務推進担当に分けた三位一体体制を取り入れています。
シェアド・リーダーシップの状態をつくるために、5STEPを1人で実践するのではなく、2人・3人で進行計画を立て、進めていくことが可能になるでしょう。
加えて、マネジャー同士のケアも重要です。これは、マネジャー研修を知識インプット偏重の場せず、ケアと対話の場にするアプローチです。
マネジャーに新たなスキルを身につけるように知識獲得を煽るのではなく、マネジャー同士が日々の葛藤を分かち合い、共に問題を解消していく仲間になっていくように、対話的・ケア的な場をつくることが有効です。
ある架空のチームの物語
ここで、マネジメント分業と、マネジャー同士のケア対話の両方を実践している組織を想定して、フィクションをたちあげてみます。
人材育成と業務管理を担うピープルマネジャーのAさん、事業戦略策定と目標管理を担うビジネスマネジャーのBさん、そして才能はあるのだけど業務のしめきりを破りがちなメンバーCさん、安定して業務推進をしているメンバーDさんがいるとします。
このチームには、しばしばチーム全体として仕事が遅れてしまうという問題状況があります。Cさんだけのせいではないと思いつつ、Cさんが予想外のところでしめきりを守れないことが続き、Aさんはとても心配しています。
Aさんはマネジャーとして心を尽くしてCさんを支援しているつもりです。それでもミスが生まれてしまいます。人を責めずに仕組みを責めようということで、隔日でタスクを確認する仕組みを導入したところ、少しずつ良くなっている気がしますが、劇的に変わったわけではありません。
Dさんからは、なぜこの仕組みを導入するのか?を問われ、AさんからはCさんのセルフマネジメント支援を目的としていることや、その支援にDさんの力も借りたいと伝えています。
こうした状況のなかで、Aさんは「Cさんも私も努力はしているのだけど、これでうまくいくんだろうか…」といった不安の感情が生まれます。長期でじっくり解消していく問題だとわかっていても、Cさんのふるまいに一喜一憂してしまうのです。
Bさんとのマネジャー1on1で、AさんからCさんの状況を共有しながら、「ほんと困ってるんだよね…」と愚痴をこぼしています。Bさんは「まあ今の仕組みをつづけて時間が解決してくれるよ。Cさんとのふりかえりも大事かもね」と客観的に助言をくれます。Bさんとの時間で少し気持ちを持ち直しつつ、またマネジメントに向き合います。
そんななかで、Aさん自身のメンタルコンディションがあまりよくないときもあります。そんな折に、1on1の場でCさんから開口一番「またタスクができなかった」と悪気なく言われました。Aさんはとっさに「いい加減にしてください」と口をついて出そうになるも、グッと我慢しました。その気苦労のために、Aさんはその日は仕事終わりに自宅のソファにバタンと倒れ込んでしまいました。
そんなAさんの不安と気苦労を、マネージャー同士の対話の場のなかで吐露したら、他のマネジャーたちがその話を丁寧に聞いてくれました。するとAさんの不安が少しずつ晴れていき、じっくりやっていこうという気持ちになれました。
「感情の分断線」の重要性
このように、チーム全員が活躍できるようにするために、マネジャーがさまざまなケア役割を担う。その舞台裏で、マネジャー同士がケアをし合う。これによってシェアド・リーダーシップの状態には近づいていくのかもしれません。
ここで重要なのは、「感情の分断線」です。
先ほどの例で言えば、AさんとBさん、あるいはマネジャー同士のやりとりを、メンバーであるCさんとDさんは見ること知ることができません。
この分断線があることで、Cさんは自分について何が話されているのかを不安に感じることもあるでしょう。しかし、「感情の分断線」の舞台裏がメンバーに見られてしまうと、マネジャーは本音で話しにくくなってしまいます。
マネジャーの感情における葛藤は大切にされるべきです。Cさんのことを心配しているが、がっかりしてしまうことも多くてつらいという感情を吐露しつつ、Cさんとの関わり方を持ち直し、再度チャレンジする意欲を回復するためです。
ぼくは、シェアド・リーダーシップを実現するうえで、この「感情の分断線」と、その背後にある舞台裏でのマネジャーのケアが重要だと考えています。
マネジャーたちの「舞台裏」はどうあるべきか
「マネジャーの同士のケア」のために分断線は必要です。
ただし、ぼくは分断線の向こう側で、愚痴を吐き出しあってスッキリするような場を想定していません。愚痴を吐き出してスッキリすることも時には必要でしょう。しかし、それでは現状は変わりません。Cさんを小馬鹿にして、愚痴を吐き出してスッキリするような場を、ぼくはケアと呼びたくはありません。
ぼくは、「ケア」とは「ひらめき」を伴うものであると考えています。マネジャー同士で対話をするなかで、Cさんとの関わり方や捉え方に新しい意味が生まれる。こうしたひらめきによって心が持ち直し、また関わりを続けていけるのです。
こうした持ち直しがあることで、「マネジャー間で、私のことを何か話していましたか?」とCさんに問われたとしても、Aさんは落ち着いて「私自身も悩んでいて、一緒に解決したいと思っているという話をしました」と答えることもできるはずです。「感情の分断線」があることで、かえってAさんとCさんの信頼関係が深まる場合もあるはずです。
シェアド・リーダーシップやマネジメント分業においては、その舞台裏のありようが重要になるでしょう。荒んだ舞台裏は表舞台にも現れていく。誰がこの舞台裏の風通しをよくし、居心地の良くつくるのか。この問いを引き続き考えていきたいと思います。