「人手不足」と言いながら、旧態依然とした求人や仕事の発注が横行している日本の現実
先日も人手不足について思うところがあったのでCOMEMOに書いたのだが、その後にいくつか経験して思うところがあったので、追記的に書いておきたい。
私自身はいわゆるポートフォリオ・ワークというのだろうか、自分の仕事のメイン(本業)とサブ(副業)ということを考えず、自分の興味の持てる仕事であれば取り組むし、公募されているものに応募することもある。
先日たまたま見たIndeedで面白そうな仕事があったので応募してみた。いわゆるアルバイトの応募である。
オンラインでの応募を済ませて先方からの返事を待っていたのだが、何の反応や返事もないままに仕事の開始日を過ぎてしまった。結局のところ選ばれなかったということなのではあるが、応募が受付けられたのかすら不明なままである。
実は、こうしたことは初めての経験ではない。過去にも同じように応募したアルバイトの仕事について何の連絡もないままに終わってしまったことがあった。
そして、これはアルバイト仕事だけではない。ある仕事のマッチングサービスに掲載されていた案件に興味を持ったので、それに応募するメッセージを送ったのだが、こちらについては何の返事もなかったばかりか案件が取り下げになってしまった。
案件の取り下げはいろいろな事情があって仕方がないことなのかもしれないが、応募する側からすればその案件を見て、時間を使って応募書面を準備して返答をしているのであり、そのために使っている時間はアルバイト応募とは比較にならない。そして、これもまた初めての経験ではないのだ。
こうした状況で見えてくるのは、いかに募集する側が安易に求人をし、仕事を出そうとしているか、ということである。
正社員を雇うのであれば解雇規制などもあるので雇う側が非常に慎重になることはわかるのだが、アルバイトであったり、あるいは単発の仕事の業務委託といった内容であれば、解雇規制があることに起因するものということは考えにくい。そして、正社員の募集ではないとしても、応募したことに対して何の返答もない あるいは何の連絡もないということは果たして普通のことなのだろうか。
もちろん 応募を受け付ける側にすれば、たくさんの応募があった場合にいちいち返答するのは大変なのかもしれない。ただ 定型的な文章をコピー&ペーストで返信するだけでも、少なくても受け付けられたかどうかすらわからないという 応募する側の疑心暗鬼ないしは不快感というものは払拭されるのではないかと思う。これでは、学生の就活で取りざたされる「お祈りメール」以下の対応だ。
これは推論に過ぎないのだけれど、副業的な単発の仕事の発注であれ、アルバイトの募集であれ、求人をする側・仕事を出す側の人たちの意識が、実は人手が十分にあった時代と全く変わっていないのではないか。口では「人手不足だ、人が集まらない」と言うが、これも一種の思考停止ワードで、人手不足に対応して、仕事の出し方あるいは求人募集のやりかたや募集条件を変える、工夫することを、果たしてどれぐらいの企業がしているだろうか。
実際に、こうした仕事のマッチングに関わっている人に聞いても、求人をする側・仕事を出す側が昔ながらの雇用形態や昔ながらの契約形態で仕事を出そうとしていて、最近の、特に若い人たちの働き方の意識とは相当なずれがあり、思うようにマッチングが進まない、という話を聞いた。
人手不足の問題は、 人手が十分に得られた時代に、ふさわしい人が採用出来なかったという状況とは根本的に状況が異なっており、実際に人がいないのだ。そして働ける状況にある人たちは、求人をしてる企業の間で、見えない争奪戦になっている。単に給料・時給が上がれば人が来るというほど単純なものではなくなっているし、例えば知名度のある企業だからと言って人が来てくれるとは限らない。例えば、世間的にいわゆるブラック企業という評価がついてしまった企業は、人を採る上でも ハンデを負っているということを意識するべきだろう。
求人に限ったことではないのだが、人手不足をはじめとした日本が抱える 様々な問題について、キーワードだけは誰もが口にするのだが、時間と頭を使って対応策を考え、これまでとは別なやり方・アプローチで問題を解決を試みる対応策がほとんど取られていない。このため、いつまでたっても問題が解決しない、改善する方向に進まないという状況が起きているのが日本の現状ではないかと、自分自身の体験として改めて深く考えさせられた。
そして解雇を厳しく 規制している現状の労働法制において、雇われて身分が保証される立場になった、 いわば解雇される危機感のない人たちがこうした 過去と変わらない求人をしているのだとしたら、日本の生産性が上がらないのもむべなるかなというところだ。
労働法制の、特に解雇規制のところに手をつけることは相当重たい作業でありそう簡単に変えられるものではないだろうとも思うが、ここに手をつけなければ、実は誰にとっても、つまりは法律で守られているはずの労働者側にとってすら、良いことがないままこの国の状況が悪くなっていくのではないかという危機感が改めて強くなる一連の体験だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?