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学びを共有するコラボレーションを。

2月末からはじまった欧州における新型コロナ禍は、「感染拡大を防ぐための緊急対策」から「その後をどうするか?」に関心が移行してきています。もちろん、長期的な「ウィルスとの共生」を意識している話です。したがって封鎖の段階的解除の判断指標と方法だけでなく、考え方の変化をどう捉えるか?にも焦点がおかれます。

まず、このテーマの前提となる状況を把握しておきましょう。結論をいえば「確かなことは何も分からない」です。

感染症の専門家でさえ「COVID-19って名前はつけたが、どんな性格なのかはっきり分からない。ある程度の長い期間のデータないと何とも言えない」という代物がゆえ、「危険度をはかるエビデンスがないのに封鎖など大げさ」と「危険度を知るエビデンスがないから最悪を想定した対策をとる」との意見が真っ向からぶつかるわけです。そして、往々にして前者の意見には「経済を回さないと社会的打撃が深刻。自殺者の数はどうするんだ?」との言葉が継がれ、後者は「命なくして経済もないだろう。健康が第一なのは当然!」との反論を導きます。

そして険悪になってしまう・・・。

1、富と健康だけではない。人生の意味を問うべき

しかしながら、「我々の世界は健康と経済の2つだけではない。多くの人は人生の意味を問うことを忘れている」とストックホルム経済大学でリーダーシップを教えるロベルト・ベルガンティは語ります。ベルガンティは欧州委員会のイノベーション政策の審議会の委員でもあり、以前のコラムで彼の「人々を目的にビジネスとテクノロジーが奉仕するのが21世紀のイノベーションのあり方」との考えを紹介しました。下の右側の三角形が21世紀のイノベーションになります。

2つの三角形

そのベルガンティがヴィクトール・フランクル『夜と霧』やロベルト・ベニーニ『ライフ・イズ・ビューティフル』を例に挙げながら、新たな三角形を提示します。健康・経済・意味で作る三角形です。

ナチスの強制収容所にあってさえ、人は生きる意味を問うた。それが人間である。感染による死亡者が多い、この北イタリアのブレシアは19世紀、オーストリアの支配に対して自由を求めて最初に戦った土地だ。当時の人たちは自由に重きを置いた意味を求めたのである。したがって現在、経済や健康をだしにして、この生きる意味を問うこと自体に妥協してはいけない」と強く語ります。つまり原点なしの議論は意味をなさない、と。

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こうして三角形の頂点には生きる意味がきます。すごく大事なことなので、大きな図にしておきます(実際、彼が示す図では、健康が上にあるような表示だったのですが、この部分はぼくの解釈で便宜的に変えています。別に頭でっかちの人間がいいと言っているわけではないです 笑)。健康が大事じゃないわけでもないし、経済が大事じゃないわけでもない。でもその二点だけで衝突する危うさを指摘している。そうぼくは理解しています。必ず三つのポイントから鳥瞰し、考える習慣が必要です。

そのうえで、彼は学びのコラボレーションの必要性を説きます。

2、学びのコラボレーションの推進がキー

ベルガンティは新型コロナ禍で浮上したテーマを次のように指摘します。「世界各国が別々の考え方により、それぞれが違った戦略をとっている。どのような対処をするのかが正しいか分からないから、それはそれで有効だ。違うことはマイナスではない。例えば、イタリアは全土を完全封鎖させているが、スウェーデンでは封鎖政策をとっていない。それによってお互いが学べる。重要なのは、それぞれがデータを共有して迅速なコラボレーションをはかれることだ。現在、世界中で70のワクチンが開発されているのは、その好例だ」

コロナ以前とコロナ以降の違いはここです。以前はデータを秘匿扱いにして、「敵を出し抜く」ことで競争に勝つ。要するに独り勝ちするパターンが賞賛を浴びました。だが、それは世の中が安定的に動いている場合に通用する話であり、現在のように数日の遅れの対策が大きく結果に差が出る状況にあって、ある単独の存在(あるいは当事者)が独り占めを狙うことはありえません。不可能です(単独でそれほどに十分なデータが集まりようがない)。この文脈において、ベルガンティは「共同体が一緒に成長することを重視するのがスウェーデンである。一方、他者よりも上に立つことに重きをおいてきたのがイタリアだ」との文化比較も加えます。

よって、それぞれが独自のアイデアと戦略をもとに実施して得た、仮説→結果のデータを共有するしか道がないのです。今年の秋以降に第二波が到来し、それからも不安定な局面を数年やり抜くことを仮定すると、学びのためのコラボレーションはもう必須のアプローチというわけです

そして、コレボレーションによって市場のパイを多くすることに努め、そこで分配を得ることに注力するのが新しいヴィジョンであるのが望ましいのです。この方向は公共性の高い案件に適用できるだけでなく、民間企業のビジネスに対しても適用可能で、特にあるテーマに異なった分野の企業が参加しやすい話になります。

注意する点は次です。

これまでこのようなコラボレーションは、複数の当事者が共通の目標と戦略を共有することに力点が置かれましたが、ここで強調するのは、前述したように、戦略はそれぞれが独自にとるという違いです。学びの共有、あるいは学びのコラボレーションが第一義ですから。

3.コラボレーションをするリーダーは「知らない」と言うところから

それでは、このコラボレーションに求められる態度とは?です。知っているフリをするのは最悪のタイプです。誰も知らないことが明白な事態にあって知っているフリほど不誠実な態度はありません。新型コロナ禍で言うならば、現在見える世界だけで分かった気になり、その分かった気を多くの人の前で見せることです。それによって大きな混乱が生まれます。

誰よりも先に「私は知らない」と言い放ち、「でも、この状況をもっと知りたいから、こういう仮説で前進してみない?」と周囲に声をかけられる人、これがコラボレーションで求められるリーダーシップです。そして、そうした最初の一手を打った人をみて「先を越された!」と地団駄を踏み、別の「独占可能な領域」を探すのではなく、「ぜひ、一緒にやりたい!」とコラボレーションを躊躇なく申し出ることができるのも、求められるリーダーシップの姿といえます。

いわんや、「ピンチはチャンス!」とギラギラした欲望はご法度です。これだけたくさんの人々が世界中で亡くなっている状況にセンシティブでないといけません。

実は、このタイプのリーダーシップの教育をベルガンティは以前から行ってきて、欧州委員会のイノベーション政策においてもこの点を強調した意見を述べていたようですが、事態は急速にこの方向に寄ってきたことになります。

以上は、4月22日朝、ストックホルム経済大学のHouse of Innovation の主催で行われたウェビナーで、ベルガンティがブレシアの丘に上にある自宅の庭から話した内容です。途中、救急車のサイレンの音が遠くから聞こえながらも、とても冷静にさわやかな語ります。スウェーデン、イタリア、それ以外の国々の人がそれぞれ3割ずつくらい、合計200名くらいが視聴しました。下記のYouTubeでご覧いただけます。質問も入れて1時間ちょっとです。ぼくの上記の説明は、ぼくなりの解釈を加えたものになっています。

4、コラボレーション経済とは?

さて、多くの読者は3まで読んでいただければ結構ですが、コラボレーションに関心を深く寄せている方のために以下の部分も書いておきます。

ぼくはベルガンティの話を聞きながら(彼と一緒に活動しているので、およその内容は既に把握していましたが)、いよいよエツィオ・マンズィーニの主張する「コラボレーション経済」と重なってきたと感じました。マンズィーニはソーシャルイノベーションの第一人者であり、ぼくは彼の"Politics of the Everyday"という本を、この3月初めからの隔離生活のなかで翻訳しています。

もともとマンズィーニはデザイン分野において、経営学者のベルガンティにとっての師匠的存在でもあるのですが、マンズィーニがどちらかというと非営利的な活動分野での存在感が強く、ベルガンティは行政とも仕事をしていますがビジネスの言葉を駆使している人です。

マンズィーニは上記の本のなかで「シェアリング経済」と「コラボラティブ経済」を分け、グローバルレベルに独占するデジタルプラットフォームに、すべての利用者が依存する「シェアリング経済」にある「嘘」を突いています。一見、目標と手段を共有するように見せながら、実際は正反対になっている、と。プラットフォームの所有者がすべての主導権を握っていて、利用者に何の主導権も与えられていない、と。それらのエレメントを自分たちのやり方で奪還すべきとマンズィーニは言うわけです。

今、我々が必要とするのは、目標と手段を共有しながら、かつそこには利用者が当事者として関与ができるシステムです。そこには関係価値、人とコラボレーションすること自体に価値を見いだす自律的な文化がある、ということになります。「それで経済的に何の得になるのだ?」という経済合理性だけで人の行動が決まるのではなく、「あの人たちと一緒に何かやって幸せを感じたい」との願いをどう持続的に満たしていくか?という部分に重点をおくわけです。これが「コラボラティブ経済」です。

そしてサステイナブルな環境と社会の実現を目標に、日常生活にある数々の不都合を変えていくことです。経済に支配的なロジックにNOと言いながら、「自分のいるローカルの文脈をラジカルに変化させる」ことで、物理的距離が遠いローカルの文脈にも影響を与えていくことです。

えっ!と思うかもしれませんが、これが可能なのがグローバル社会です。グローバル社会とは、一ローカルで起こることが、地球の裏側のローカルでも起こることによって、ある現象の意味が特徴づけられる、ということなのですから。そのネガティブな面もありますが、このポジティブな面を積極的に使っていくのが、マンズィーニの主張です。

ベルガンティの言うことと、マンズィーニの言うことが、かなり大きなパースペクティブを与えてくれます。両者の語りにじっくりと耳を傾けてみてください。

<4月30日追記>

京都大学の主導で下記の動きがスタートしたようです。





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モバイルクルーズ株式会社/De-Tales ltd. ミラノと東京を拠点に活動。分野はデザインや異文化理解。最新著書は『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン」』、監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。

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