グッドアイディアからフレームワークが生まれるけど、フレームワークからグッドアイディアが生まれない理由。
今月の日経COMEMOのテーマは #アイディアの磨き方
私は電通に所属していた17年間で、キャリアの前半を企画職として、キャリアの後半をコンサル職として過ごした。
アイディアを扱っていたのは主に前半で、後半はフレームワークばかりを扱っていた。
その背景には(以前の記事にもある通り)電通をはじめとする広告業界がコンサル業界と競合、または融合しはじめたことがある。
そんなわけで、電通でのキャリアの後半はいわゆる「コンサルの人」になるべく、その手の人たちとの関わりが多かった。ただ、最初はなかなか馴染めなかった。
それは「アイディアの捉え方」が全く違ったからだ。
今日はそんな話。
◾️グッドアイディアと再現性
コンサルの人たちがよく使う言葉の1つに「再現性」があった。
この再現性という言葉は「もう1度、同じようにうまくいくか」や「他の人がやってもうまくいくか」という意味で使われることが多く、再現性があることは良いことだとされていた。
そしてもう1つ。コンサルの人たちの頻出ワードには「フレーム」があった。フレームとはフレームワークのことで「思考の型」のようなもだ。私はコンサル職になるにあたり、代表的なフレームワークを叩き込まれた。
コンサルの人たちはアイディアにも再現性を求めた。
多くのグッドアイディアを学び、その共通点から「グッドアイディアを産むためのフレームワーク」をつくろうとしていた。
私はそのアプローチに困惑した。
良いアイディアとはオリジナリティがあって、再現性がないものだと思っていたからだ。
◾️個性的と機能的
とはいえ、私は「まずはやってみる」性質なので、コンサルの人たちがつくったアイディアのフレームワークをつかってみた。
確かに考えやすい。使いやすい。
ただそのフレームから生まれるアイディアが、私にとっては「グッドアイデア」には思えなかった。
要点は抑えているし、だれがやっても「それっぽい」アイディアが出来上がるが、面白みに欠ける。そんな印象だ。
ただコンサルの人たちは、これを「良いフレームワーク」だとした。
この違いはなんだろう。
しばらく考えて気がついたのは、何を「グッドアイディア」を呼んでいるかの違いだ。私はそれまで、グッドアイディアの最低条件は個性的であることだと考えていた。しかしコンサルの人たちの最低条件は機能的であることだった。
確かに、「グッドアイディア」と呼ばれる事例の共通点をフレーム化すれば、そのポイントは抑えられるし、ある程度機能はする。しかしポイント以外の「その他の部分」は抜け落ちてしまう。
一方、私のグッドアイデアの最低条件は個性的なので「その他の部分」も含めてアイディアの個性だと捉える。最終的なアウトプットを見た際に「どうしてこんなアイデアになったんだろう」と、その過程に思考を巡らせたくなるのがグッドアイディアだと考えていた。
ただ、フレームを使うとそのフレームの中でしか思考が巡らない。ポイントを外れることはないが、思考の幅や奥行きが出ない。
本来、アイディアとは個人的なものだと私は考えている。それ故にそれぞれのアプローチがある。グッドアイディアは最終的に同じポイントに落ち着くかもしれないが、アイディアの持つエネルギーのベクトル(方向性)はそれぞれに違う。
このベクトルこそアイディアの個性であり、意志である。
そのアイディアをもってして「世の中をこう動かしてやろう」とか、自らの逆境に争おうとする姿勢があること。それが私にとってのグッドアイディアの最低条件だ。
グッドアイディアからフレームワークは生まれるが、フレームワークからグッドアイディアは生まれない。
フレームから外れようとする意志が、グッドアイディアには必要なのだ。アイディアを磨くには、まずその意思を磨く必要がある。