「多様性」と「万博(国際博覧会)」との溝
今の子どもたちは、「空飛ぶ車」に魅力を感じているのかな?
前回、私は「多様性」の存在と、「多様性」の享受について、整理しました。
この多様性は、マーケティング的に考えると、とても大きな課題です。なぜなら、「多様性」のある社会では、「ヒット商品」を生みにくいからです。人それぞれに、商品の選択の理由や、商品の価値が異なるのです。このことを、具体的に提示している例がありました。
2023年8月2日の「「こども霞が関見学デー」」で、岸田首相は、以下のように子ども達に語りました。
ところで、参加された子どもたちの中で、「空飛ぶ車」や「自動翻訳」に魅力を感じた人はどれだけいたのでしょうか?
これが、「多様性」の世界なのです。岸田首相は、魅力的だと述べた「空飛ぶ車」や「自動翻訳」も、それほど魅力でないと思う人もいるのです。そして、そのことは、何も問題のあることではなく、当然だと理解しないといけないのが、「多様性」のある社会なのです。
「多様性」と「万博(国際博覧会)」
このことを、少し万博(国際博覧会)に焦点をあてて考えてみましょう。そもそも、万博と何なのでしょうか。外務省のサイトには、以下のような記述があります。
実は、この条文は、「多様性」あまりおおくない前提で書かれたものでしょう。一番の問題は、「将来の展望を示す」という記述です。この将来の展望は多様性のある世界・社会では、一つの方向の展望ではないはずなのです。ところが、万博は展示会であり、何か展示をします。その展示のために、将来の展望を一つに決めないと、展示物が決められないのでしょう。結果、万博の展示に共感できる人とと、できない人が発生します。いや、そのまえに、そもそも「将来」に興味のない人もいるはずで、万博に興味がない人がいるのは、当然なことなのです。
このように考えると、万博については「多様性」の存在を理解し、「国際博覧会条約」を再定義する必要があります。その定義下で、「多様性」のある世界での、「万博」開催方法の検討する時期になったのでしょう。つまり、「万博」のバージョン・アップが必要な時期なのです。
私達の多くの活動は、多様性が少ない前提で行われている
私は、「万博」がダメだと言っているのでありません。実は、これに似た事例は、私たちの身近にも存在します。
皆さんは今年の夏に「盆踊り」に参加しましたか。これも多様性のある社会では、参加したい人と興味のない人が存在することは理解し、認めないといけません。そして、その「盆踊り」に参加する人も、参加の理由は、一つではないのです。では、年々参加者の少なくなる「盆踊り」を来年以後、どのように開催すべきかといえば、私にも、答えが見つかりません。
ただ重要なことは、さまざまな活動の参加者が少なくなったと嘆くのではなく、「多様性」のある世界・社会での、公的・準公的活動の再定義の検討だということなのです。
おそらく、町の伝統や文化の伝承を妨げになっていることは、町の人口減少以上に、多様性の理解なのかもしれないのです。