BGM社会となって、リアルが物足りない
ドラマで、主人公がかっこいいキメ台詞を言おうとしたり、重要な仕事が成功しそうになったり、ライバルに勝ちそうな場面(シーン)や手に汗握るスリリングなシーンになると、BGMがすっと流れてきて、グッと盛りあげる
ドラマのオープニングでテーマソングが流れてくると前のめりになり、クライマックスに近づくシーンでBGMが流れてくるとジーンときて、エンディングにテーマソングが流れると、えっこれでおわりなの、来週まで待ちきれない、となる
日本では、テレビをつけると、朝の天気予報から深夜番組まで、ずっとBGMがかかっている。その質量ともに進化しつづける。日本はさながら
BGM社会となった
映画やテレビドラマやアニメやお笑い番組、CMに、BGMが流れるのが普通であり、BGMがかからないとどこか物足りない
ここぞというシーンにBGMがかかると盛りあがり感動するが、盛り上がりそうなシーンでも音声を消したり字幕だけにしたら、感動がいまひとつ湧いてこない
たとえば映画。原作があって、脚本ができて、配役や声優をキャステイングして、監督が指揮をとり、俳優・女優たちが演技をして、カメラマンが撮影する。そこに、BGMが乗っかると、映画の完成度があがる。映画を観る人が感動するかどうかを左右するうえで
BGMの要因が大きい
それくらい、映画やドラマにおいて、BGMが、人を感動させたり、人の気持ちを動かす力をもつようになった
しかし現実の社会には、BGMがない
リアルの世界では、ここぞという場面でも、BGMが流れてこない。これが意外に、現代人における不満足の原因のひとつともいえる。人との関わりのなかでBGMがないと、どこか物足りない。それくらい個人の日常生活は、BGMにつつまれている
たとえば、あなたの仕事がうまくいった。重要なプレゼンがうまくいった。その瞬間に、力強いBGMがドンとかかったら、どうだろう。あなたはいい気分になり、あなたを見ているまわりの人も感動する。しかし現実の社会では、映画やドラマのようなBGMが流れてはこない
ショッピングしているときに、テンポの早いBGMがかかっているとウキウキし、BGMが流れていないと盛り上がりに欠ける。ホテルのロビーもレストランやカフェには心地よいBGMが流れ、パチンコ・パチスロはテンションをあげるためのアニソンやBGMが欠かせない。スポーツジムで耳に流すBGMもトレーニングをするうえで大事で、自動車もBGMを聴きながらの運転でいい気持ちになり、街を歩くときも電車に乗っているときもいつでもスマホでBGMが流している
さらにはYouTubeやTIk TokのASRRが欠かせなくなったりと、BGM一色の世界になった
朝から晩まで、BGMがかぶる。BGMがないと、風景がちがっている。これまでの日本人の五感が変わりつつある
なにがおこっているのか?
現実社会は、トーキーの世界。映画でもテレビドラマでもない。劇的ではなく、第三者の視線も浴びていない
テレビドラマのオフイスのシーンならば、仕事をしている姿をカメラが上から斜めから横から下から、いろいろな角度から撮影する。シーンごとに、BGMが効果的にかぶらせる。BGMとあわせて、主人公たちの演技を画面で視聴者が観て、素敵だと感じる。病院のドラマも、刑事のドラマも、BGMがついている。そのBGMが効果的に流れてくるドラマのシーンを見て、こんなところで働きたいなあ、こんな人になりたいなあ、私も成功したいなあと思ったりするが
現実社会では、BGMは流れてこない
どれだけ感動的なことが起こっても、映画やドラマのようにBGMが流れてこない。だから盛り上がらない、調子がでない
BGMが日本社会を支配している
この社会の流れのなかで、こんな自動BGM発生商品がでたらどうだろうか?普通の生活や職場においてはBGMはかからないが、笑っているときにはさらに嬉しくなるようなBGMが流れ、悲しいときにしっとりしたBGMが流れ、気合をいれたいときには力が沸くようなBGMが流れてくるような人の感情を予測して盛りあげる自動BGM発生商品は売れるだろうか?
写真は、シンガポールのオーチャードロード。大都市の街を歩いていたら、鳥のさえずりがした。大音響の鳥の声につつまれた。こんな大都会に本物の鳥がいるの?なんの鳥なんだろう?と思ったが、BGMだった。正直、うるさかった。とても違和感を覚えた
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