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日本をアニメから知る——シチリアで考えたこと(中)

地中海の真ん中に位置する島の丘に古代ギリシャ神殿がある。街の生活圏に古代ローマ時代の円形劇場がある。中世のバロック様式の街にイスラム文化のマヨルカ焼きの階段がある。様々な文化が交錯した3000年が現在も息づいているシチリア島を歩きながら、日本のことを考えた

1 ギリシャ神殿が残っている島

3000年以上も前から、さまざまな人が海をわたってやってきた。東からギリシャ人、北からローマ人、南からイスラム教徒、西からノルマン人やスペイン人がやってきた。世界の文化の十字路として、人々が行き交い、生活した。それだけ、魅力的な場所だったのだろう

古代ギリシャの詩人ピンダロスが「人類の都市で最も美しい場所」と言ったシチリア島のアグリジェントに、紀元前450年頃に建設された古代ギリシャ神殿がほぼ完全なカタチで残っている。なぜこのように残っているのか?

アグリジェント コンコルディア神殿

アグリジェントでは、古代ギリシア時代から近年まで、キリスト教の教会行事などにつかわれ、現役でありつづけた。ギリシア文明は、どの民族にとってのルーツだったのだろう。人々の暮らしにおいて必要な施設として、古代ギリシア時代の施設を

使いつづけてきたから、残った

日本も、世界遺産である世界最古の木造建築である法隆寺は、現役でありつづけている。しかし難波の宮は近年までその場所が分からなかったし、鎌倉幕府はどこにあったのかはっきりしない。それの必要性がなくなれば、遺跡すら人々の記憶から消える、そう考えると、シチリア島の歴史的施設が現在も残りつづけているのは驚異的である

2     文化と文明とはなにかを考える

シチリア島をめぐりながら、文化と文明という言葉と向き合うことになる。そもそも文化と文明とはなにか?どう違うのか?

文化とは習慣で、文明とは成果である

文化的な活動を繰り広げるなかで、社会がそれを価値として認めたものが文明ではないだろうか。そう考えた

文化も文明も、ともに「文」という字が入っている。「文」とは知識のこと。本来は野蛮だった方法を、知識にもとづき、野蛮な方法を取らさないようにすることが文化で、人の物を奪うとか人を殴るというような野蛮な方法をとらないようにすることが文化である

たとえばコンビニで商品を買うときは人の列に並ぶ、それが文化。列に並ばず割り込むことは文化的ではない。コンビニでは人の列に並ぶものだという社会的な価値観があるのが文明である。子どもが生まれたら、そうするのだよと教えるのが文化である。企業文化はまさにそれ。企業人はこうするのだと教え、身につけていく

一方、文明は、子どもがうまれたときに、それがその社会の価値として空気のように存在しているものであり、その空気のような価値を吸い込むように人は成長していく。それが文明である

ヨーロッパ人は自らのルーツをラテン語で学ぶ。ラテン語はローマ帝国時代の公用語であるが、そのラテン語のルーツはギリシャ文明。ヨーロッパには文化が数多くあるが、文明はギリシャ文明ひとつ

ローマ劇場

シチリアで生まれた子は、古代ギリシャ神殿を見ながら、ギリシャ文明という空気を吸って成長していく。ヨーロッパには、ギリシャ文明をルーツに、イタリア、フランス、スペイン、オランダ、ドイツなど地域・国に様々な文化が花開き、それぞれの文化がつながりつつ、影響しあいながら、成長してきたが、その濃厚なエキスをシチリアに観た。ゲーテはこう言った

「シチリアを見ずしてイタリアに行ったことがあるとは言えない。シチリアにこそ、すべてに対する鍵があるのだから」

ゲーテ「イタリア紀行」

3 シチリアに日本の立ち位置を観る

それと同じ文脈で、中華文明をルーツとした東アジア文化圏、漢字文化圏を考えると、日本は中華文明とアジアの様々な文化が交錯して凝縮した場所と言えるのではないだろうか。ギリシア文明とヨーロッパの様々な文化のるつぼのようなシチリア島と同じ「文明・文化の構図」を日本に感じた

カターニア・聖アガタ祭

イタリアの町や村には、「守護聖人」がおられる。それぞれの町・村の守護聖人の日があり、祭りが開かれる。あたかも日本のお地蔵さん。日本にも、町や村の辻にお地蔵さんがいて、町や村を守り、夏は地蔵盆でみんなが集まっているお地蔵さんを連想した

シチリア島第2の都市カターニアの守護聖人である聖アガタのお祭りに、旅の途上で出会った。シチリア最大のお祭りは、祇園祭の山鉾巡行を彷彿させる。祭りを盛り上がる、建物と建物をつなぐイルミネーションは、神戸のルミナリエのよう。そりゃそう、阪神・淡路大震災後にイタリアから日本は学んだ

カターニア大聖堂から聖アガタの像を乗せた山車が、街に出る。カターニアの業種・組合それぞれが所有する12の神輿が、街を行進する。それは祇園祭や天神祭の陸渡御、岸和田だんじり祭などの日本の祭りの仕組みと似ている

シチリアの伝統的なマグロ漁の様子を観た。マグロの追い込みの漁法だけでなく、タント・タントという漁での掛け声が、日本の「よいしょ、よいしょ」という掛け声に似ている。イタリア語タントとは、たくさんのこと。マグロ漁法の掛け声や音頭が、日本の漁法とよく似ている

これらは偶然の一致だろうか?人間は産業・生活しているなかで、同じようなことを考えつくのだろうか?商品や道具の交易を通じて、人と人を介して、方法論や地域や国の文化が広がっていったのだろうか?江戸時代に、北前舩による交易を通じて、京や大坂の文化が全国に広がったように

シチリア島の文化に触れていくなか、日本文化との違いとともに、日本文化と似ていることを発見する。似ていることと違うことを発見するのが「旅」の本質であり、自らを見つめなおすことになる

4 日本アニメのチカラ

アチレアーレ・カーニバル

16世紀から続くシチリア最大の謝肉祭にも、出会った。エトナ火山の麓のアチレアーレのカーニバル。仮装した人々が紙吹雪やスプレーを掛け合いながら、ドォーモ広場に集まってくる。精巧で華やかに装飾された人形を積んだ山車が音楽隊やダンサーを引き連れて、バロック様式のストリートをパレードする。夜はイルミネーションの光につつまれる。まるで青森ねぶた・津軽ねぷたのよう

アチレアーレ・カーニバル

日本と似ているが、違うところもある。山車にはそれぞれのテーマがあり、ドォーモ広場で、それぞれのショーが行われる。時事問題、政治に関する風刺した山車もある。そのなかで若い女性とキリストが登場する山車を観た。若い女性はイタリア首相ジョルジャ・メローニとサソリをキリストが見つめている。キリストは「EUはひとつ?」というマークを持っている。その十数分間の音楽と人形のパフォーマンスを、仮装した老若男女が紙吹雪を掛け合いながら観ている

このような祭りを幼少から親しみ育まれるイタリア人の教養の広さと厚さを感じた。世界的に評価されるイタリア人のデザインセンスの良さの背景をみたような気がした

一方、シチリアを巡る旅のなか、「日本人ですか?」と何度か日本語で声をかけられた。「日本のアニメ」が会話の核になる。イタリア人は、日本のマンガとアニメが好き。なぜ好きなのか?と訊ねると

綺麗・繊細・洗練さがすごいと

コロナ禍のなかで、日本のアニメをYouTubeなどで観て、日本を知り、日本語を学び、日本文化を親しみ、日本に行ってアニメの聖地巡礼して日本食を食べたいと思っている人が世界で増えている

コロナの水際対策の緩和に伴い、コロナ禍3年を経て、世界から京都・奈良をはじめ日本を訪れる観光客が一気に増えているが、観光客はコロナ禍前の価値観で日本に来られているのだろうか?そうではないのではないか

世界からの観光客をお迎えする日本は、どうなのか?コロナ禍での3年の変化を踏まえることなく、コロナ禍前に戻ろうとしているのではないだろうか?コロナ禍前の価値観で、コロナ禍3年で価値観が変化した海外の人に向き合おうとしていないだろうか?コロナ禍3年で人々がどう変わろうとしているのかを、次回、考えていきたい




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