新しい時代の、新しい孤独。
「新しい生活様式」というキーワードが発表されてから、もうすぐ3ヶ月。
働き方では、リモートワークが急拡大し、
ライブやフェス、映画館などの娯楽は、ソーシャルディスタンスの名の下に接触を禁じられた。
「これまでの当たり前」は、すべてリセットされたと言ってもいい。
そんな生活の変化は、価値観の変化を産み、
価値観の変化は、意味の変化を引き起こしはじめている。
例えば「孤独」という言葉の意味が変わる。
今日はそんな話。
■デフォルトの消失
意味の変化の話をする前に、まずは価値観の変化について。
これまでの価値観は、常に主流があって、支流があった。
教育で言えば、
「高校くらいは行く」が主流で、それ以外は「中卒」や「ドロップアウト」と支流扱いされた。
働き方で言えば、
「9時になったらデスクに出社」という主流があり、
「フレックス(柔軟な)制度」や「リモート(出社しない)ワーク」という支流があった。
そんな「当たり前」がコロナによって一変した。
働き方では、リモートワークが過半数を超えた会社も多いだろう。ただ、これは「主従の逆転」ではない。
「主流の消失」だ。
これまでの主流のポジションにリモートワークが就任したわけではない。いわゆるデフォルト(標準)がリセットされ、いずれの働き方も主流になった、のほうが表現としては正しい。
詳しくは前回のnote「ニューノーマルと、ダイバーシティは仲良くできない」で記載
■意思決定が1つ増えた
そんなデフォルト(標準)がなくなった影響の1つに、意思決定の問題がある。
これまでは、朝起きたら、9時出社に標準を合わせて、朝食を摂取し、スーツに着替えて、満員電車に揺られて、会社に辿り着く。
そこまではある意味、思考停止の流れ作業でよかった。
それが今はどうだろう。
リモートワークが主体になった会社では、スーツに着替えなくてもいい。出社しなくてもいい。どこで仕事をしてもいい。
朝起きて、それまでの主流の流れに身をまかせることはできない。
今日はどんな格好で、どこで仕事をするのか、どんな仕事をするのか。自分で意思決定をする必要がある。
決められた時間にデスクにいれば、朝礼がはじまって、今日の仕事が言い渡されることなんて、もうないのだから。
これまでなら必要なかったフェーズに「意思決定」というコマンドが差し込まれてしまった。
この状況は、主流に身を任せて流れていた人たちにとっては相当な疲労だろう。
事実、「いつものペースを崩したくないから」と、意思決定を拒否して、ほぼ誰もいない会社のデスクへの出社をやめない会社員たちも多い。
■孤独が身近になる時代
さて、話は本題の「孤独」という意味の変化について。
これまで、孤独とは主流を外れる人に使われることが多かった。
主流から外れて、大船から降りて「○○として生きる」と意思決定をした人たちが、受け入れてきたのが孤独という感覚だった。
その生き方は「一匹狼」などと呼ばれ、個性の象徴でもあった。
それが今、
1.主流という流れが消失して、
2.意思決定が全ての人に必要になった。
こうなってくると孤独の意味も変わる。
主流から外れる人、だけが孤独感を感じるわけじゃない。
すべての人に「自分らしく生きること」が半強制され、それに伴う孤独感を受け入れる必要がでてきた。
孤独は、より身近になった。
君に歩んだ道が、道になる。
なんて、一部の勇者のための言葉だと思っていたが、これからは皆が勇者にならなければいけない時代が、突然やってきた。
自由が苦手な人もいるだろう。
意思決定が苦手な人もいるだろう。
ただ、以前から
「これからの時代は自分で考える力が必要だ」
「個の時代だ」
とは散々言われてきた。そういった意味では、コロナはそんな時代の流れを早めただけかもしれない。
自由や個性に伴う孤独感についても、いつかは向き合わなければいけない課題だっただろう。
いずれにせよ、私たちは新しい時代の、新しい生活様式の中で、新しい孤独にも、慣れていかなければいけない。
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