クラフトがつくる世界ー差別化より共通点を探る方向への転換をヴェネツィアでみた。
2年ごとにヴェネツィアの島で開催されるクラフトの祭典、ホモファーベルを観てきました。
今回、度肝を抜かれたのは、会場のインテリアデザインです。ある部屋ではベルベットが壁から天井に至るまで覆っているのです。1953年、シチリアのメッシーナで開催された美術展の会場を建築家のカルロ・スカルパがデザインしたインテリアへのオマージュです。
結論から書いておきます。このところ、産地名を示しようがないロングサプライチェーンを推進したグローバル化へのアンチテーゼとして、クラフトはローカルのコミュニティの文化アイデンティとして強調されることが多かったです。
ローカルアイデンティが各地の文化政策やビジネス戦略としての差別化につながる根拠になるーそれが当該のローカルで生きる人たちの自信のもとにもなる、という説明がされてきたわけです。
だが、今回のホモファーベルのアートディレクターは、クラフトのもつユニバーサル性に重点をおこうと提案しているのではないか、との印象を受けました。同じような、あるいは似たような技法は世界各地にある。その共通点を実感し、かつそこにあるローカルや職人の表現する差異点を楽しもうではないか。そして、その提案の背景にあるのは、ひとつに深刻な地政学的状況であり、今の世界にあって過剰なほどの個別性の強調は平和の前進に寄与しづらいーー。
ホモファーベルとは何か?
ホモファーベルはラテン語のモノを作る人を意味しますが、ミケランジェロ財団が2年に一回開催するホモファーベルは、創造的な職人が中心になってつくる文化的活動をバックアップしようとのイベントです。
2018年にはじまり、パンデミック中の開催を諦め、2022年が2回目で今年が3回目になります。ちょうどヴェネツィアビエンナーレのファインアート部門の開催年と同期化しています。会場はヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島です。ドゥカーレ宮殿を背にして海側をみると対岸に高い教会の塔が見えますが、あの島です。
ミケランジェロ財団はカルティエやスイスの高級時計などの企業を傘下にもつラグジュアリーコングロマリット、リシュモングループが関与するアルティザン文化を次世代に繋げることに力点をおく組織です。
(詳しく知りたい方は、『新・ラグジュアリーー文化が生み出す経済 10の講義』の第3講をご覧ください。ディレクターのアルベルト・カヴァッリと話した内容も記載しています)
かつてカルティエのトップでもあったイタリア人のフランコ・コローニがクラフツマンシップの普及するためにコローニ財団をミラノに設立し、毎年、ミラノデザインウィークではデザイナーと職人のコラボ作品を展示するドッピア・フィルマ(両方のサイン)とのイベントを主宰しています。
このコローニ財団とジュネーブにあるミケランジェロ財団が共同して行っているのがホモファーベルで、両財団のディレクターを務めるアルベルト・カヴァッリがホモファーベルの全体の指揮をとっています。そのもとにアートディレクターが任を受けるわけですが、今回は映画監督のルカ・グアダニーノと彼のパートナーである建築家のニコロ・ローズマリーニの2人です。
そして、サイトの情報によれば70か国以上の400人以上の職人が800以上のモノを展示しています。
会場に入って即見たのは世界中の刺繍だった
会場は建物の回廊からはじまります。以下の写真にある整った庭園の脇を通りすぎると建物の向こうに回廊があるのです。
その回廊の4面すべての壁にかけかけてあったのが刺繍による作品でした。20点以上はありそうです。ミケランジェロ財団が世界各地の作家に委嘱してできたものです。インドであろうが、ルワンダであろうが、韓国であろうと、ここには質の高い表現活動があるーーこれはクラフトの方向転換を示していないか?と思ったのです。
共通の材料と技法を使って表現する、あたかも中世に油絵をさまざまな画家たちが描きはじめたように、刺繍という手法を使ってできる範囲は大きいのだ、と刺繍の素人のぼくには思えました。
そこで想起したのが、2004年、チェコやポーランドなど東欧の10か国がEUに加盟を遂げた際、東欧と西欧の文化的対話の円滑化を図るためにセラミックという素材を使った事です。
およそ10年以上続いてきたセラミックの文化政策プロジェクトは、各国のセラミックに関わる美術館、学校、企業が参加し、展覧会、セミナー、ワークショップなどを実施してきたのです。
このアプローチをクラフト全体に広げられると思ったのです。殊に地政学的な事情を鑑みれば、コミュニケーションの共通言語としてのクラフトを活用すべきステップにある、ということですね。政治的な立場を表明しやすいケースがアートは多いとの性格とクラフトが一線を画す、ということにもなります。
美しいものを美しいと言える
前回、2022年のホモファーベルにおいて、ぼくが思ったのは、美しいと思ったことを美しいと口に出せるのがクラフトだということです。これはファインアートと比較しています。
20世紀はじめからのアートの世界では、新しいコンセプト、オリジナルなコンセプトが第一に優先されてきています。美しいかどうかはその後の評価項目になります。場合によっては、ちっとも美しくないが高い評価を受けます。だから、コンテンポラリーアートの作品を前にして「美しい!」と率直に言いにくい環境があります。
もちろん「美しい」と言って良いのですが、そう発言するには若干の勇気がいる微妙さがある 。「ただ、美しいだけじゃない。それで?」という辛口のコメントが脇で待ってそうーーこうした躊躇をクラフトの世界では感じなくてすむのです(正確に表現すれば、感じなくてすむ気がする)。
その点を今回も同様に思いました。作品の数々にも「美しい!」と思うことがありましたが、何よりも冒頭に記した会場のインテリアデザインに思わず、あっ!という声が出ました。
クラフトにはコミュニティの存在を感じる
上段の内容にも関わるのですが、クラフトはある地域で育まれてきた表現手段との性格があるので、複数の職人の存在を想像させます。これがローカルの文化アイデンティと結びつくのです。
今年、フランスのルイヴィトンにルーマニアの刺繍をシャツに「文化盗用された」との記事が流れました。2022年、シャツの肩の刺繍は世界の無形文化遺産に登録されたのでした。下の写真の左がルイヴィトン、右がルーマニアのものです。ルーマニアの文化大臣がルイヴィトンのしかるべき人に話す、というのが記事に取り上げられたのです。
このような「文化盗用であるとの指摘」の多発が、クラフトと文化アイデンティの関係そのものの再考を促すかもしれない、とぼくは想像していました。そして、ホモファーベルで地政学もこのテーマで影響してくるかもしれない、と気づいたのです。
他方、クラフトが個人技ではないことの利点もあります。
ルネサンス期の工房が集団作業を基盤においていた事実は周知のところですが、その後のファインアートが作家の個性に寄り、クラフトにおいてはチーム、グループ、あるいはコミュニティとの距離が近いのが特徴としてあります。ローカル特有の素材との事情もあるでしょう。または農作業の閑散期の仕事としてクラフトがあった場合もコミュニティと密接な関係にあります。
コミュニティで動く部分が、共通言語としてのクラフトの活用に有利に働く可能性があります。その契機として、今回のホモファーベルをみると、ひとつ思いつくことがあります。
前回も感心したのですが、ホモファーベルの会場のスタッフが鑑賞者にとってとても助けになります。単なるルート案内や作品の監視役だけでなく、展示品の説明者としてよく働いているのです。説明しきれない場合は、即、スマホで解説をチェックしてくれます。それも、にこやかに。
意味の解釈が重要な位置を占めるコンテポラリーアートの展覧会では、あまりない風景です。
ラグジュアリーとクラフトはどうなのか?
ミケランジェロ財団はリシュモンと関係があります。リシュモンはラグジュアリーのコングロマリットですが、ラグジュアリー企業がクラフトをアピールするのは、企業の存在理由と近いところがあります。誰もが認めるラグジュアリーの定義がこの世に存在しないとは、COMEMOでも何回も書いてきました。
だが、ラグジュアリーと認知するにあたりいくつかのファクターが鍵になっているのも事実です。フランスのラグジュアリー研究の第一人者であるジャン=ノエル・カプフェレが2016年に発表したリサーチ結果(Journal of International Marketing Strategy,Vol.4 2016年12月1日)が参考になります。
上図をみれば分かるように、どこの国の人も「高品質」「高価」「プレステージ」の3つを認知の鍵としています。「高品質」やオーセンティックから導き出せる「プレステージ」はクラフトと繋がります。また「アート」「美」「少数派」「希少性」「遺産」「タイムレス」あたりもラグジュアリーとクラフトの威力が発揮されるところです。
そして、ラグジュアリーが新しい文化をつくる牽引的領域であるとするならば、これから「楽しさ」「夢」「イノベーション」が強調されていくはずです。下の写真をご覧になればわかるように、次の一手を打っているのが想像できます。共通言語としてのクラフトの可能性を示唆しているのです。
クラフトの意味のイノベーションがラグジュアリーの意味のイノベーションと連携しあうとの構図が描けます。
尚、最後に一言。
2年前のホモファーベルで日本文化の存在感が相対的に増していると書きました(下記)。2年後の今回に感じたのは、日本文化への特別視はあるレベルに辿り着いたな、ということです。これから日本文化が無視されるわけではなく、ここ最近続いてきた熱い視線がそろそろ他地域の文化に分散されるタイミングとの意味です。クラフトの共通言語としての活用は、そのような潮流とも整合性がとれます。
日経新聞のクラフトに関連する記事も紹介しておきます。こういう記事に「安易に流されない」のが大事かな、と。
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