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恐竜の君には、部長は任せらえない(下)

人の噂も七十五日。ある時、突然に炎上するが、気がつけば、誰も話題にもなる。日本人は、熱しやすく冷めやすいと言われているが、その傾向が強まっている

古いことよりも、新しいことを評価する。現実を直視しない。反省しない。総括しない。だから、大切なこと、重要なことを、「古い」という価値観で、簡単に捨て去る

このようにバランスが取れなくなっている。一方を極端に持て囃し、もう一方を軽んじる。イエスかノーか、〇か✕かで、判断する時代になった。「塩梅(あんばい)」という言葉が、あまり使われなくなった

「あんばい」という言葉がある
具合よく並べたり、ととのえたり、物事を進めることを「按配」というが、もとは日本料理で塩と梅酢それぞれを加減して、味の加減をしていた「塩梅(えんばい⇒あんばい)」が言葉のルーツ

料理だけではない
前にうまくいったやり方で作ったら同じものになるものもあるが、同じようにしても同じものにならないものがある。なにかをつくるときに、1回で、「これだ!」というものができることなど、そうそうない。こうしたらいいのかな、こっちの方がいいのかと、なんどもなんども「塩梅」を求めて、いいもの、美味しいものをめざして、つくっていくのが日本の仕事の流儀だった。今の日本のモノづくり、仕事の進め方、これが抜けようとしている

note日経COMEMO(池永)「塩梅の妙」

1 流行りモノに飛びつかないと、出世できない

一時的に大騒ぎしたが、気がつけば熱狂していたことを忘れ、そのことを振り返らず、新しいことに熱狂していることが往々にしてある。ブームに乗って、目先の変わったことを本気で取り組み、それまで大事にしてきたことをやめたり、変えてはいけないことを変えたりして、大切なことを見失ってしまっている

本当はダメだろうということを中途半端に取り組んでいるから、大事な事柄を弱らせたり失ってしまっている。いい意味での戦略的「二枚舌」で臨まないといけない

現在に大切な事柄を守り育て、将来の柱になるかもしれない種をいろいろと蒔く。しかし、そうしない。それは、なぜか?

note日経COMEMO(池永)「右往左往ニッポン」

それは、こうかもしれない

日本人は、流行りモノに、すぐ飛びつく

なぜそうするのか?組織のなかで、流行りモノに飛びつかないと

あなたは遅れている」と置いていかれる

組織のなかでの出世レースから脱落しないよう、流行っているモノ、目立つモノに、すぐに飛びつく。現場も市場も知らないコンサルタントの流行り言葉やフレームワークが散りばめられた「パワーポイント」に、軽々と乗る

「鉄が国家なり」と言われたころ、永田町や霞が関での序列は鉄鋼業が花型だった。ところが、現在、霞が関で鉄鋼業にかかわっていたら、出世レースの先頭を走れない。しかし国にとって、鉄鋼は、今も昔と同様、大切な産業なのに、そこにいるとトップで出世できないと思うようになった

出世できないなら、行きたくない

2.「深謀遠慮」しなくなった日本人

「深謀遠慮」も死語になりつつある。遠い将来を見通して、周到な計画を立てることなく、現在の自分にとって、どっちが得か損かが大事で、右往左往して、出世レースに一喜一憂する。だから短期的に

目立つ言葉、流行り言葉に流される

これからの社会はすべて電気自動車になるというような非現実なイメージ・ブームに乗って、ミスリードする。電力も、そう。2011年3月11日の東日本大震災の福島原発事故が発生したから、すべての原発を停めた。原発は国民受けをしないから、再生可能エネルギーに切り替えるべきと、日本中をソーラーパネルだらけにして、自然を破壊した。そして、現在は、DXだ、ロボットだ、空飛ぶ自動車だ、スマートシティだ、SOCIETY5.0だといっている。技術で未来社会をつくるとしているが、順番が逆である。本来の流れは

こんな社会で生きたい。
んな社会を実現する技術を開発する。

本質をおさえて、将来の種蒔きとして新たなモノ・コトに取り組むべきなのに、本質の重要性を深く考えていないから、大切なことを平気で捨てる。右往左往する。

その背景はこれ。霞が関で、たとえばかつての花形であった繊維や鉄鋼を担当していると、まるで恐竜のような扱いをされる。そして、こう言われる

恐竜の君には、部長は任せられない

恐竜になってしまった君が、なぜダメなのかというと、永田町の政治家、政治家の後ろにいる国民に受けるかどうかで考動するようになった。判断基準が

政治家にとって
選挙民に受けるか受けないのか?

となった。だから、本当に大切なモノやコトを、新しいモノやコトや耳障りのいいモノ・コトに流れる。

DXだとかロボットとか空飛ぶ車とか 

そんなモノやコトは、民間企業がすればいい。わざわざ国がしゃしゃり出ていくものではない。民間が動いて加速しやすい基盤づくりの制度設計をすべき。それをしないで、デザイン思考やアート思考だと、ビジネスセンスのない国や大学の先生やコンサルたちが討議しているが、それこそビジネス第一線に任せばいい

「アメリカではこれが進んでいる」としか紹介できない「翻訳」学者や「フレームワーク使い」のコンサルの部分最適な情報や公式に触れ、その真新しさ・派手さ・世間受け、ひいては自分の出世を狙って委員会をたちあげ、現場感覚のない「先生」委員たちの抽象論の答申が、日本をどれだけミスリードしてきたのか?そんなの、国がしなくていい、民間に任したらいい

国は、国しかできないことをする

河川の氾濫などの治水は、目立たなくても、世間受けしなくても、国民にとって大事なことは大事だと、国の仕事として一所懸命に取り組んでいている人もいっぱいいる。

3.現代日本の縮図ー大学の工学部の学科ランキング

かつてエネルギーは花形だった。最近になって注目されている地熱は、50年前の石油ショックで石油依存のエネルギー構造を転換するためのサンシャイン計画で開発が進み、当時、世界最先端のエネルギーシステム水準だった。それが、現在、どうなったのか?50年間経って、気がついたら

世界に追いつかれ、追い抜かれている

地熱だけではない。太陽光もそう、太陽熱利用もそう。日本企業の技術が飛び抜けていたが、いつの間にか、上位グループから、大きく引き離されている。今になって、太陽熱、地熱が大事だと言っている

そんなこと、枚挙にいとまがない

大学の工学部の人気学科ランキングが、現代社会の映し絵ともいえる。造船や繊維や鉄鋼は不人気、これがすべて。不人気なところに行くと、就職に不利、高額な給料が貰えないのではないか、世間から評価されないのではないかと考え、日本にとって大事な学科が不人気となって、世界から置いていかれている

東京大学が2023年の「THE国際大学ランキング」で世界39位に落ちた。京都大学が68位(英国高等教育専門誌「THE」発表)に落ちたのは、これも原因している。DXやデジタル技術とかは、自由な人間がやったほうがはるかに進む。その分野は、ウクライナのほうが日本よりも進んでいる。

鉄鋼や素材は学生の人気がないから、どんどん廃れていく。霞が関のなかで、かつて繊維は花形だったが、今や左遷扱いみたいな扱いになっている。ふたを開けたら、先端技術は、世界に追いつけなくなっている。10年前20年前30年前の技術が評価されるノーベル賞の日本人受賞実績を見て、日本の技術は進んでいるのだと誤解されがちだが、昔からある重要な技術で、中国やインドにすでに追い抜かれている技術も多いことに現場は気がついている

なにをやっているんだろう?

政治家、官僚たちが、国民受けするだろうと夢想する「新しい、イメージのいい技術」に飛びついて予算をつけ、昔からある重要な技術の予算は減らしていく。それで落ちぶれようとしている

かつて繊維産業がすごかった。大手の商社では、繊維部門の人間が、みんな偉くなった。ところが現在、商社で繊維を担当していて、偉くなる人は少なくなった。役所もそう。大学もそう。繊維がついていた大学が、大学名から繊維を消してしまっている

どうかしているだろう、最近の日本

表面的なモノ、全体の5~10%くらいを試行錯誤するのはいいけれど、重要な事柄を捨てて一点集中するようになったから、全体のチカラが落ちていっている。

変えなければならないことを変える   
変えてはいけないことは変えない

 
日本が弱くなったのは、競争で弱くなったのではない。大事なものを捨てすぎたからである。競争で消えていったのではない。捨てられたものを拾った企業や国が日本1位に、世界1位になっている。

なにやっているんだ

飽きっぽく、新しいものばかりを追いかけ、古いものを捨てる。そうしたら、それを拾っていく人がいて、世界企業になった。それは

身から出た錆(さび)

競争の結果、そうなったのではなく、自分で大切なことを姥捨て山に捨てたから、そうなった。本質を理解せずに、断捨離したから、自滅している

 これからどうすればいいのかは自明だ


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