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日本円の現在地~最強通貨はスイスフラン、遠くなったかつての仲間~

「巨大な貿易赤字の下での米金利低下」は未経験
植田日銀初会合を経て、円金利の低位安定が確認された後、ドル/円相場は137.50円付近と年初来高値を断続的に更新しました。その後、5月2~3日のFOMCで利上げ停止が示唆され、5月4日のECB政策理事会でも利上げ幅の縮小が決定されるなど、欧米中銀のハト派傾斜が顕著になったものの、ドル/円相場の下落は限定的で134~135円付近で推移しています。こうした相場展開は多くの為替市場参加者にとって意外なものだったのではないでしょうか。

年末年始時点では「年央にかけてFRBが利上げを停止する。これに伴って日米金利差も縮小し、ドル/円相場も反転する」という金利動向を主軸とする円高予想が支配的でした。各種の関連記事を遡れば「3月遅くとも5月の米利上げ停止を受けて円安相場は反転する」というストーリーラインは非常に多かったと記憶します:


確かに、そうした市場の読み通り、3月以降の日米金利差は2年・10年ともに顕著な縮小傾向が認められる。しかし、ドル/円相場は逆に上昇基調にあるように見えます:

これをどう解釈すべきか。そもそも金利差は縮小しても十分ある、という考え方もあります。昨年9月のnoteで筆者は「「春になれば円安は止まる」をどう考えるか」と題し、利上げ停止は日米金利差の顕著な縮小を約束するものではなく、顕著な円高を予想すべきではないと論じました:

5月FOMCを振り返ってみても、パウエルFRB議長は性急な利上げが金融システム不安に繋がった可能性を認めつつも、年内利下げの可能性については一蹴されています。当面、予想すべきは「タカ派的な現状維持」であり、利下げを念頭に日米金利差縮小を期待し、円高を当然視するような風潮はやはり危ういと考えるのが筆者の基本認識です
 
より重要なのは需給の論点
しかし、金利以前に注目しなければならないのは日本における需給環境の激変です。この点も過去のnoteでは繰り返し論じていますが、需給環境の激変を例示する数字はいくつかあるものの、象徴的なものはやはり日本の貿易赤字でしょう。既報の通り、貿易赤字は2022年通年で約▲20兆円を記録、2023年に入ってからは年初3か月間では約▲5兆円を記録しています。それでも多くの市場参加者は経験則を重視しながら「米金利が相対的に下がってくれば円高になる」という説を支持してきたし、今もその考えを抱く向きは多いように見えます。しかし、少なくとも今のところそうなっていません

https://comemo.nikkei.com/n/ne5317f89be2e


もはや米金利低下だけで円高を期待する(円安を止める)のは難しいというのが筆者の認識だが、FRBが利下げに転換すれば、これほどの貿易赤字を抱えていてもやはり円高が始まるのでしょうか。歴史的にも「巨大な貿易赤字の下での米金利低下」は円相場が直面したことの無い状況であり、経験則に頼り過ぎるのは危ういように感じています。
 
2023年、REERは続落している

ちなみに実質の世界では年初から途切れなく円安が続いています。内外物価格差を加味した実質実効為替相場(REER)ベースで円を見た場合、3月は75.15と年初来安値です(1月は77.26、2月は75.28):

名目実効為替相場(NEER)ベースでは1月が83.95、2月が82.84、3月が82.86と2月から3月で横ばいであるかのように見えますが、REERでは続落しています。日本社会に暮らす市井の人々にとって為替と言えば、名目ベースのドル/円相場が真っ先に思い浮かぶところでしょうが、国際社会に暮らす日本という国にとってそれはREERです。島国だからこそ海外から様々な資源を購入し、国内の経済活動に充てていかねばならないわけです。その購入する資源はできれば安価で購入できることが望ましいです。

しかし、海外から購入する財には当然、相手国の賃金・物価水準が反映されます。極端な話、名目の世界で「1ドル=100円」という固定相場が続いても、米国の物価が上がり、日本の物価が横ばいという状況が続けば100円で買える米国の財は少なくなります。理論的にはそうした物価格差を埋めるために円高・ドル安が進むはずであり、それを購買力平価と呼ぶのですが、その話は今回控えるとします。

いずれにせよ一国の購買力とは名目為替レートからでは測れず、物価格差を勘案した実質為替レートから測るのが正しいものです。重要なことは、年初、一旦127円台まで円高になり、4月には137円台で推移するなど、ドル/円相場は相応に乱高下しているように見えるかもしれませんが、「円の購買力であるREERは下がり続けている」という事実です。円の購買力は浮揚の兆しがありません。
 
遠くなったスイスフランスの背中

主要通貨全体の中での円の立ち位置はどうなっているのか。図はG7のNEERの比較です:

昨年初から足許(4月下旬)までの推移を見ていますが、過去1年4か月で初めて、はっきりとスイスフランが最強通貨に浮上しています。シリコンバレー銀行(SVB)の破綻やクレディスイスの救済・合併から市場不安がピークに達していた時、「金融不安への警戒からドル、スイスフラン、ユーロは買えず、消去法的に円が買われる。安全資産としての円が復活する」という言説が一時的に流行りました。以下の記事などがそうですが、筆者は貿易赤字がある以上、恐らくはそうならないという趣旨のコメントをしてきました。実際、そうなっていません

結局、消去法的にリスクオフの円買いが発生するというのは完全に読み違いだったと言えるでしょう。ロシアのウクライナ侵攻でも、3月以降の国際金融不安勃発でも、「安全資産としての円」はその存在感をアピールできているとは全く言えないはずです。

この点、金融不安の震源地だったスイスフランが買われていることについて違和感を覚える向きもあるかもしれません。しかし、スイスフランは貿易黒字国ですし、スイスフランを追いかけるように上昇しているユーロも同様に貿易黒字国です(しかもその水準は世界最大級だ)。もっと言えば、スイスもユーロも連続的に利上げをしている通貨です。スイスは昨年9月まで日本と共にマイナス金利採用国として稀な存在であったし、長い歴史において「安全資産としての逃避通貨」とも言われていました。しかし、スイスの政策金利は既に1.50%に到達しています。円から見ればスイスフランはもはや需給で見ても、金利で見ても仲間とは言えません:

円キャリー取引の再来はあるのか
今後、FRBやECBが利上げの手を止め、現状維持を基本路線とした時、金融市場全体のボラティリティは低下するでしょう。その時に何が起きるでしょうか。流動性が高く、金利の低位安定が約束されている通貨を原資(調達通貨)として高金利通貨を買い、そのポジションを維持することで金利差を得るキャリー取引が奏功しやすくなるのではないでしょうか。ちょうど2006~2007年、円安バブルと言われた時代に流行った円キャリー取引の再来です。今回も調達通貨として最も選ばれやすいのは言うまでもなく円でしょう。そうした相場つきこそ昨年来、筆者が強調してきたシナリオでありますし、今年最初のnoteでも同じ議論をいたしました:

今のところ、この想定に沿って、実勢相場は動いているように思えます。仮に、FRBが早期利下げに転じてしまった場合、そうした円キャリー取引主導の円安という相場現象は期待できないでしょうが、FRBが利下げしたからと言って上述したような日本の膨大な貿易赤字がなくなるわけではありません。金利と需給の双方から見て円高が確信できるような状況が年内に実現するのは難しいのではないかと引き続き考えております。
 

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