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時代を追うのは楽しいー振り回されない追い方を探る。

およそ3週間の日本滞在を終え、ミラノに戻ってきました。日本では多くの方たちとお会いしました。そのなかでも殊に印象に残る出逢いについて書いておきます。

イタリア都市・建築史が専門の陣内秀信さん、経営学の面から農産物の地理的表示などを研究する木村純子さん、このお2人と久々にお会いして議論したことが抜群に面白かったのです。今後、ぼく自身がものを考えるに際しての大切な指針にもなりそうです。

左側手前が陣内さん、奥が木村さん、右側がぼくです。

陣内さんと木村さんはイタリアのテリトーリオ戦略の本を共著で複数書いています。それらについては、「都市と農村をつなぐ食 ー 農業が社会を変えるとは?」や「気候変動時代に都市と農村のつきあい方を考えるー『イタリアのテリトーリオ戦略』を読む。」で紹介してきました。

お2人の組み合わせが面白いのは、陣内さんは地形から風の動きに至るまでの自然条件、そしての歴史などを総動員してある地域のテーマに取り組み、木村さんは農産物マーケティングを研究対象としながら同様にある地域をみています。そうすると「事態が有機的に動くとは、どういうことか?」が鮮明に分かってきます。

気になったいくつかの点をメモしておきましょう。

「その後をちゃんと追えているか?」

1980年代から1990年代はじめ、イタリアの地場産業とその主役たる中小企業の活躍が世界でも注目されました。領域は衣食住に関わるものが多く、ブリアンツァの家具、ウディネの椅子、サッスオーロのタイル、プラートの繊維といった例がとりあげられ、これらの領域が海外市場でも存在感を示したのです。

このコンセプトが1990年代、米国のクリントン政権でも採用され、日本でもイタリアの地場におけるネットワーク活用は盛んに議論に参照されたものです。ぼくは1990年にイタリアで生活をはじめたので、その「ホットさ」は肌身で感じていました。

しかし、その後、徐々にこの話題を耳にしなくなります。一つは勝負するビジネスレベルが中小から中堅に移行し、その対抗馬としての中国の製造業の強さが半端ない規模とスピードで世界を覆い尽くした、ということがあります。

確か、2011年の東日本大震災の後、日本の中央官庁でミーティングをしている時「イタリアの地場産業のあり方を参照できますか?」と聞かれた覚えがあります。ぼくは既に積極的に参照する対象とは言えないと答えました。

2020年、ぼくも『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか? 世界を魅了する<意味の戦略的デザイン』でこの点に触れていますが、「あの議論のその後がちゃんとフォローされているように見えない。追ってみるべきでは?」との指摘が陣内さんからあったとき、そこだ!とぼくは思いました。

ぼく自身、このところ1970年代のイタリアデザインについて調べており、1980年以降に「花を咲かすイタリアデザイン」は1970年代の混沌としたデザイン状況で生まれたさまざまな新しいネットワークなどに要因がありそうー例えば、オートクチュール衰退後のプレタポルテファッションとインダストリアルデザインの水面下の交流ーと考えています。

とすると、1990年代以降の「地場産業その後」を見てみることで、2020年以降の動きがより立体的に見られるかもしれないと思うわけです。

例えば、フランスの高級ブランドコングロマリットがイタリアの生産拠点を下請けとして隠してきた流れが、この数年、逆転現象をおこしているーコングロマリットがイタリアの生産拠点を買収し、生産現場のリアルをPR素材として紹介しはじめているー状況を理解する助けになるかもしれません。

「今の施策を紹介するだけではつまらず、歴史を遡るのが面白い」

今のイタリアー多くの海外事例ーでの施策が「役に立つアイデア」として日本で喧伝されやすい傾向にあります。上述の地場産業の推移とも絡むのですが、やはり時間を遡った経緯が説明されないと、そもそも面白くないーとの指摘がありました。

役に立つもなにも、そもそもつまらないものに関心を抱くことができない。経緯を知るというのは、実は人の想いや行動の集積を知る、ということなのです。なんらかの機械的モデルが施策としてあるのではなく、施策には凹凸がある。凹凸とは人の生き方だったりするわけです。

ここで、またイタリアデザインのことを思い起こします。モダンデザインは20世紀はじめのドイツのバウハウスを起点とすることが多く、米国ではマーケティングのツールとしてのデザインが発展したと語られます。

各国には各国のデザイン史がありますが、20世紀後半のデザイン史のなかで特異なのがイタリアデザイン史で、それは「イタリアにおけるデザインとは人の生き方である」(エットレ・ソットサス)だからです。

イタリアで機械的ではない施策モデルが出やすい背景がここからも窺えますが、それでもその施策モデルの経緯や変遷を知ることが、実際に行動する場合の動機をつくりますーそれにしても、ぼくが1990年に陣内さんにはじめてコンタクトしたのは、陣内さんの『イタリア都市再生の論理』を読んだからでした。まさしく経緯をつくっていくロジックのおもしろさに惹かれたのです。

「今の考え方はちょっと前までの考え方とは違う」

これはフランスのテロワールとイタリアのテリトーリオの違いについて議論している時にでたセリフです。テロワールはワイン産業のなかで自然条件としての地域がメイン。一方、テリトーリオは自然、地形、社会、文化等の共同体といった多角的な視野をもった空間である、という説明がされてきました。

しかし、テロワールのそうした考え方は「ちょっと前までの考え方」になり、今はイタリアのテリトーリオに近づているというのですね。

この数年や10年単位での変化、こういうことに敏感でいないとだめだなあとつくづく思います。どうしても、ある局面を捉えることで安心してしまうことがあります。

実は、ここに、ぼくがイタリアを離れられない理由がありますが(!)、一年前のイタリアを語るのではなく、今その時のイタリアを語れることに拘っています。それでも、すべてにおいて今を知るのはどだい無理な話です。だから、どうしても「ちょっと前」の状況認識で楽してしまおうと思ってしまうのですね。

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冒頭の写真は麻布台ヒルズ ギャラリーで開催中のアレクサンダー・カルダーの展覧会「カルダー:そよぐ、感じる、日本」です。モービルの作品ですが、次の瞬間、以下のように見えます。「ちょっと前」と全然印象が変わりますね。



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