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都市と農村をつなぐ食 ー 農業が社会を変えるとは?

新・ラグジュアリーのオンライン講座でガストロノミーを取り上げたことがあります。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんに講師になってもらったのですが、彼女の以下の指摘がいろいろなところに適用できると思いました。

フランス料理は調理法に鍵があるため、フランスのレストランの厨房は閉鎖的になりやすい。同時に、家庭とは違う(調理法の)料理を食べることにフランスの外食の起源がある。

他方、イタリア料理は巡礼の人たちなどの需要に答えるために外食が発達した。だから、逆にイタリア料理ではレストランでも家庭料理を食べられることに意味があった。また、調理法よりも素材が重んじられる。

南イタリアの食とテリトーリオ ー農業が社会を変える』(白桃書房 木村純子・陣内秀信 編者)を読みながら、上記を思い出しました。中小路葵さんはフランスの宮廷料理を起点としたトップダウン型とイタリアの家庭料理からのボトムアップ型を対比したわけですが、後者がテリトーリオ再生につながりやすいとぼくは思い至りました。

どういうことでしょうか?

伊仏の料理観の差が地域再生に影響する?

イタリアに「テリトーリオ」というコンセプトがあり、行政や自然土壌の区域だけでなく、景観・歴史・文化・伝統・地域共同体をカバーしたアイデンティを共有する空間の広がりをテリトーリオと称することは、何度かCOMEMOで紹介してきました。

このテリトーリオという考え方を礎におくと、近代工業都市的な観点ではマイナスであった都市と農村の距離的な近さや関係の深さが、逆にプラスに転じやすいことを南イタリアの事例をもとに書かれたのが『南イタリアの食とテリトーリオ ー農業が社会を変える』です。

都市と農村の距離が食を媒介に近づく。

スローフード運動にあるような地産地消の実現が一例になりますが、料理そのものがボトムアップ的で素材重視であるからこそ、都市と農村を一体化することに無理がないーーやや、強引ながら、このような仮説を考えました。調理方法重視だと素材への関心が高まりにくい、と。

もちろん、イマドキのフランスにおいて素材に関心が低いとは言えないでしょうが、何らかの差が伊仏の地域再生の方法、成果、性格に生じるかもしれないとは想像します。

因みに、伊仏の差について、本書8章にある「テリトーリオへの帰還:イタリアにおけるコモン(ズ)としての都市農園(須田文明)」が参考になります。

ローカルの価値がローカルに受容されるためのプロセス

南イタリアのアマルフィ一帯の一時は過疎化した地域が再生されてきた ー これが本書で報告されている猛烈に面白いところです。

アマルフィの海岸には崖が迫る(Google map)

海岸線に迫る崖が連なり、海岸地域と山間部の間の移動に困難を伴うことも多い。したがって、近代になり農作業が機械化できないことがネックになり、農業自体が立ち行かなくなり、住民が土地を離れていくとの状況が頻出します。

そうしたなかで、ブドウであればグローバルワイン市場で人気のある品種をつくり、なんとか世の中の動きに乗り遅れないようにと努力します。確かにアマルフィのレストランに来る客が、どこでもよく知られた品種のワインをオーダーする時期もあり、国際品種の生産は要望に合致しました。

しかしながら、「ローカル料理にはローカル独自のワイン」との趣向に変化していきます。1980年代頃から、それこそ「徐々に」です。

この動きは今世紀に入り、さらに強まります。1989年にピエモンテ州のブラでスタートしたスローフード運動が輸出促進から方向転換し、ローカル価値のローカルでの受け入れにより目を向け始めたことと並行しています。

これらの変化を前にし、あるいは変化をおこすべくローカルにしかない品種を育てるに投資をし、ローカル市場で売れることを優先していったとき、機械化された作業で大量につくれないことがマイナスではなくなってきたのです。

農村の再生には社会の多面的な変化を必要とした、ということです。

農作業のトラクターは土地形状の制約から使えないとしても、インターネットによって自分たちの存在感をアピールしやすくなったことはあるでしょう。ですから、「農村の再生の鍵はテクノロジーではない」ということではなく、多くの価値観と多くの機能の複合の結果によるのでしょう。

これがダイナミックな動きに見えるから心が躍るのですね。

農業の多機能化から思うこと

アマルフィの厳しい土地環境は一方的に不利なものではない、との見方をバックアップするのが「農業の多機能化」というコンセプトです。

EUとして「農業振興」に加えて「農村振興」が必要で、その目的のためには「農業の多機能化」が求められるとの共通農業政策をとっています。

農産物の生産地としての「工場のような」農村ではなく、よき自然環境のモデルとしての農村、そこに社会や文化の蓄積が表現された場としての農村、といった農村が場としてより活用されていくことが、農業の多機能化にあたります。

この多機能化との方針を現実化しやすいのが、実はイタリアのテリトーリオとの概念に基づいた文化土壌です。しかも、冒頭で述べたように、ボトムアップ型で素材を重んじるイタリア料理がベースにあるので、さらに多機能化を促しやすいでしょう。

現代の社会は多機能化に向かう

ここまで書いてきて、ソーシャルイノベーションの第一人者、エツィオ・マンズィーニは都市内の再編成において多機能化がキーであると主張しているのを想起しました。

これまでにあった商業地区、オフィス街、住宅地といったゾーン分けの考え方を変え、ひとつの地区で生活、買い物、仕事ができるようになれば、人の移動は減り脱炭素にも貢献します。言うまでもなく、通勤時間は極限まで減らせます。

即ち、単機能地区から多機能地区への転換が都市空間を住みやすい場に変えるのです。

農業の多機能化と都市の地区の多機能化は直接にはまったく関係のないテーマです。しかしながら、ある目的のためだけにある場所が存在する、ということは、そのある場所にいる人自身が単機能の役割を発揮すると期待されていることを意味します。

これ、ちっとも幸せじゃない。

ウェルビーイングを大切な項目とするなら、場所や産業の多機能化は必須のプロセスです。こう考えると、テリトーリオはもう抜群に優れたコンセプトといえます。

イタリアを賛歌し過ぎないように気をつけているつもりです。しかし、テリトーリオについては判断が甘くなりそうで怖い・・・笑。

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アレッシィという食器・調理道具のメーカーをご存知の方も多いと思います。1921年創業の会社ですが、3代目のアルベルト・アレッシィさんが1970年に家業を引き継ぎ、デザイン分野で必ず名前が引用されるようになります。

アルベルト・アレッシィさんは大学で法律を学び、家業に入ってからオリベッティなどで成果をあげていたエットレ・ソットサスを師匠にデザインの道に入っていき、デザイナーの国際プラットフォームをつくりあげます。

70年代後半から80年代、合理的デザイン、いわゆるモダンデザインに対するアンチの動きが「ポストモダン」との総称で注目されます。ソットサスはポストモダンにカテゴライズされることを嫌がったようですが、モダンとは別の流れを押した人物であるのは確かです。

他方、企業としてポストモダンの旗手的存在とみなされたのがアレッシィでした。

アレッシィはピエモンテ州の山間部に本社があります。

この3月、デザイナーでデザイン研究者の山崎和彦さんが『リチャード・サッパー・デザイン うれしい体験のための論理と感性のデザイン』の英語版を出すにあたり、アレッシィのために多くのデザインをしたリチャード・サッパーの作品にアルベルト・アレッシィさん自身のコメントをもらいに本社を訪ねました(冒頭の写真はアーカイブセンターでサッパーがデザインしたものをアルベルト・アレッシィさんが紹介している様子です。因みにリチャード・サッパーのデザインは、ポストモダンの潮流とは距離をおいたものです)。

ぼくはご相伴に預かったのですが、アルベルト・アレッシィさんに近くのレストランで昼食をご馳走になりました。

一見、田舎の小さな村のなんでもないレストランです。美味しい創作料理はアレッシィの食器類に盛り付けされています。

ぼくの先入観もあったのですが、長い間、このアレッシィの製品を都会のスノッブな人たちの愛用品とみていました。

なにか勘違いしていたのではないか?とミラノに戻る旅中に思い始めます。洒落たリゾートホテル内のレストランであったら別ですが、田舎で出される料理にはクラシックな皿というステレオタイプなイメージが自らにあったのに今更ながらに気がついたのです。

80年代頃からイタリア料理の評価が海外で移民の料理ではなくなり、また同時期にイタリアでも創作料理への関心が高くなった。また、上述のようにテリトーリオ再評価にシフトしていきます。

そうした機運をアレッシィの食器が後押ししたのか?との妄想が起動しはじめます。

一方、テリトーリオの料理にある「田舎らしさ」の対極にある(とみられやすい)ポストモダンの食器が、実はモダンへの批評という文脈でテリトーリオの再評価につながった、とも言えます。

テリトーリオは都市と農村の一体化です。これを起点にするといろいろな偏見や先入観を脱せるかも、とふと思いました。

目指すは小さくても稼げるまちだ。



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