リセットボタンを押すのは、あなた。
既視感を覚える。その避難所の風景は28年前の1995年1月の阪神・淡路大震災の避難所を、12年前の2011年3月の東日本大震災の避難所と重なる。避難所の状況も、被災されて困っておられる事柄も、行方不明者の捜索に奮闘されている姿も、これまでの風景と酷似している。同じことが繰り返される。突然に発生した大きな地震だから、そうなる―果たしてそうなのだろうか?
1 なぜ同じことを繰り返してしまうのだろうか?
変わらなかったのではなく、変えなかったのではないか?変えることはできたのに、変えなかったのではないか?多くの人が、その場で、多くのことを経験したはずなのに、学ばなかったのではないか?だから結果として
同じことを繰り返す
物事には、変えてはいけないことを変えたり、変わらないといけないことを変えないことが往々にしてある
変えないことが良いのではない。なんでもかんでも変えることが良いのでもない。大事なのは、流行、風潮、トレンド、趨勢のなかの本質を見極めること。変えてはいけないことと変えなければいけないことを峻別すること
2 流行りものと、どう向き合ったらいい?
世の中の流行りものをどう読み、どう向きあったらいい?
たとえば再生可能エネルギーや水素エネルギー。
そのブームがつづいている。毎日のように、それに関する記事やイベントやセミナーが様々なメディアで頻繁に登場する。インパクトあふれるバスワードが飛び交うので、これからの時代のモノコト、重要なモノコトだという時代の空気を帯びていく
未来にむけて種をまくのはいい。しかし課題がある。そのモノコトの社会・産業・経済的意味、技術的意味の全体像を捉えず、過大評価するため、それまで主流だったモノコト・技術を突然にオワコンにしまう。大切なモノコト・技術を賞味期限どころか消費期限扱いにすることがある。イエスかノーか、白か黒か、すぐに二者択一してしまう
その分野の世界的な競争が起こっているから、おざなりにはできない。しかし再生可能エネルギーや水素が、世界的なエネルギー供給・サプライチェーン・技術・社会・生活者の観点などを総合的に捉えて、当面および中期的にも主流になるとは考えにくい。化石燃料である天然ガス、そして石油・石炭に、エネルギーの主役に取って代わるとは考えられない。にもかかわらず化石燃料は気候変動リスクの悪玉という流れがつくられてきた
ユーラシア・グループの2024年の10大リスクの本文を読むと、「No.10 分断化が進む米国でビジネス展開する企業のリスク」として、ESG経営への逆風があげられている。SDGsを含めた環境キャンペーンの潮目が世界的に変わりつつある
電気自動車もそう。世界的に自動車の主流とはならないのではないかという流れがでてきた。前のめりだった欧州も腰が引き出している。風向きが変わってきている。電気自動車が主流になればなるほど、中国への依存が高まる。中国は遅れてきた巨人だから、そのためのインフラは作りやすく、先行した。だから「選択と集中」戦略という名のもとで、日本も電気自動車に傾注しないといけないと
やたら流行りものに走りがち
ここでも既視感を覚える。モーターである。かつてモーターは日本の家芸だった。選択と集中で、日本の世界のなかでのモーターの位置づけが落ちた。
世界の流れをおざなりにはしてはいけないが、自らのそれまで大事にしてきたモノコトを軽視したり止めたりして、流行りものに一点集中に、「選択と集中」の名のもとで、経営資源を投入するのはいかがなものか?
右往左往しないで
自らの事業の本質とはなにか?
を自問自答しつづける
時代は変化する。現在進行形で、変化しつづける。だから自分は何者かをおさえつつ、打ち手は変えつづけないといけない、白か黒かではなく、白も黒もある、白でもなく黒でもないもある。いや、白と黒の間には、いっぱいのグラデーションがある。つねに、具体の社会、市場、現場を見つづけないといけない
しかし自問自答しない人、企業が多い。流行りものを追いかける。なぜか?
3 リセットボタンを押すのは、若い人
中国は急成長した。1978年の改革開放政策以来、産業を急成長させた。中国は産業の改革開放を進めるにあたって、戦後高度経済成長した日本の産業政策を研究した。中国首脳が日本に視察に行き、日本からこうアドバイスされた
業界の団体をつくれ
鉄鋼業ならば鉄鋼業の団体、 機械業ならば機械業の団体をつくれと。中国はそれを忠実に行って、大きく成長した。そこに、商工行政の人がいろいろな絵を描き、業種の団体にそれを命じた。その見返りとして、団体に助成をして、優遇政策を受けるようにした。そして伸びた。その成功パターンを他に拡げ、中国経済は一気に伸びた。しかし日本につづいて大きく伸びた中国も成長が鈍化している。それを教えた日本は現在、どうなっているのか?
日本はその段階を過ぎた
明治維新以降、殖産興業をはかるため、戦後の日本は、復興をはかるため、企業の団体・組織を作って、大学や研究機関を巻き込み、みんなで技術開発して、みんなで市場をつくり、みんなで市場を開拓して、みんなで産業を大きくして、日本を牽引してきた。しかし昭和99年、戦後78年となり、
日本の産業行政は過干渉となった
国が産業を引っ張る方式は終わった。日本は、産業ごとの団体で、なにかができるという時代ではもうなくなった
そもそも、これまでのような経済団体や産業別団体・組合は必要だろうか? 「見限り」が必要な時期になっているのではないか?
もうリセットしないといけない時期となっている。明治維新および戦後以来の社会・経済システムで機能不全となったモノ・コト・制度はリセットしないといけない。そのとき、大事なのは
リセットボタンを押すのは
年寄りではない
若い人である
年寄りは主役をバトンタッチする立場であり、過去をリセットするのは年寄りではない。年寄りは、自分たちをリセットしてくれと言い
若い人がリセットボタンを
推さないといけない
日本が今までやってきた業界団体・組合、みんなで談合してやっていくという世界観、みんなで仲良くやっていくという日本型社会主義は終わった。それらをリセットしないといけない
仲間どおしが、すごいですね
自分は、そういう所に所属していて、すごいでしょう?
と褒め合う時代は終わった
あなたの所属・会社がすごいかどうかではなく
あなたがすごいかどうか大事
私たちは大きな変化のうねりのなかにいる。これまで当たり前だったモノコト、これまで気になっていたがそんなものと思っていたモノコト、ちょっと変だなと思っていたが変えることができなかったモノコトが、リセットされようとしている
そのリセットボタンを押すのは
年寄りではない、若い人である
https://cds.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/1st_special_seminar.pdf