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感染対策の域を超えているマスク議論「脱マスク記念日」?

 3月13日が近づくにつれてメディアによる「脱マスク議論」が活発になっている印象で、多くの組織や事業所などでは混乱を招いている状況がうかがえます。そもそも法で規制されたものではないので「脱マスクをする日」を設定すること自体が理にかなっていないと思うのですが、多くの組織において新型コロナ発生当初に定められた感染対策ガイドラインに盛り込まれたマスク装着に関する指針が明記してある以上、勝手に変更したり中止したりするわけにもいきませんので、どうしても線引きをするための日程設定が必要であるのは仕方がないのでしょう。しかし、法改正でもなく義務でもなかったマスク着用のあり方を「個人の判断に任せる」という決断がなされるまでこんなに長い年月が必要であったのか疑問が残ります。

 これまで何度もお伝えしてきましたが、感染対策としてのマスクの意義は「病原体を持っている人が咳やくしゃみなどの飛沫が発生する時に他の人へ飛び散らないようにする(うつさない)」こと(咳エチケット)と「病原体を持っている可能性のある人が至近距離で咳やくしゃみをした時に自らを守る(もらわない)」こと(医療場面では標準予防策)です。また感染が成立するための基本的概念として「感染源・感染経路・感受性宿主」の3要素があり、どれか一つでも遮断できれば感染は成立しません。また感染が成立する可能性(リスク)についても「病原体量と曝露時間の掛け算」によってかわってきます。

  例えば感染源がなければ(感染している人がいなければ)感染経路を断つための対策(マスクや換気など)をしなくても感染は成立しません(極端な話、感染者がいなければ3密環境で長時間宴会をしていても感染することはないのですが感染者がいないことの証明をすることが難しいのです)。
 すなわち、まわりに人がいないところでは感染源はありませんので「感染対策」としてマスクをする必要はない訳です。また感染源は病原体を含有した飛沫あるいは汚染された物体ですので、人がいただけで飛沫が発生しない(=黙っている)環境では感染が成立するリスクはほぼゼロになります。
 その一方で換気の悪い飲食店で多くの人たちが大声で会話をしている環境その中に一人でも感染源がいたとしたら、たとえ一人で食事をしていたとしても感染するリスクは高くなるでしょう。これは病原体を含んだ飛沫がエアロゾル化して大量に停留しているところでは黙っていてもマスクを外して食事をする時間にその粒子を常時吸い込んでいることになるからです。むしろリスクが高いイメージがある通勤電車ではほとんどの人が黙っているので前述した多くの人が入っている換気の悪い飲食店よりもリスクは低いことが予想されます。
 このような原理を日常生活の場面場面でイメージすれば、感染しないようにする、感染させないようにするためにマスクをすべき場面はおのずと理解できるのではないでしょうか。
航空機内でのマスク着用義務化の緩和について思うこと|水野泰孝 Global Healthcare Clinic (nikkei.com)
学校でのマスク議論について思うこと|水野泰孝 Global Healthcare Clinic (nikkei.com)
 しかしながらどのような場面でも例外(例えば全員が沈黙している中で突然くしゃみをする人がいたなど)はありますが、多くは突発的であり曝露時間も短いことから「感染成立の可能性」理論に基づけばリスクは高くはないということになります。
 このように100人の人がいれば行動様式は千差万別かつ突発的な例外はつきものであり、根幹を示したうえで独自の判断に任せざるをえなかった苦渋の決断に理解を示さなければならないのかもしれません。そういった意味でJR東日本による以下の判断は、マスク着用に対する細かい条件をつけるよりも一律にすることでよりわかりやすさに重点を置いたところには大いに賛同できます。

7日、JR東日本は会見を開き、マスク着用ルールについて新たな方針を示した。13日以降在来線・新幹線を問わず混雑時を含めたすべての時間帯で乗客にマスクの着用を求めないとした。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000290552.html

 果たして3月13日を迎えて日常生活での変化はみられるのでしょうか?感染対策としてのマスクについては2月13日に「飾りじゃないのよマスクは|水野泰孝 Global Healthcare Clinic (nikkei.com)」とコメントしましたが、感染対策以外の目的で着用している人たちは「飾りなのよマスクは」ということなのかもしれません。おそらくはあまり変わり映えのない普通の一日になるのではないかと推測しますし、既に多くの人たちはこの日にこだわることなくマスクに対する価値観をお持ちではないでしょうか。しかしメディアではきっと「脱マスク記念日」として街の様子やマスクをする人しない人のインタビューなどの映像が間違いなく一日中放映されることになるのでしょう。私の著書「新型コロナとの付き合い方」のテーマ「社会のゆがみへの提言」として「意義の低い報道を見直すべき」と明記させていただきました。既に感染対策の域を超えているマスク議論に対して過熱報道をすることこそ「感染症識者からの視点」では意義が低いと考えるところですが、「視聴者や読者からの視点」では別の意味で関心が高いところなのかもしれません。

#日経COMEMO #NIKKEI  #新型コロナとの付き合い方


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