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学校でのマスク議論について思うこと

 前回の投稿記事航空機内でのマスク着用義務化の緩和について思うことと同じく疑問に感じていたことがニュースになりましたので続けての投稿です。学校におけるマスクの着脱に関してここまでお膳立てをしなければならなかったとは正直あきれてしまいました。まあそうでもしなければ学校側が独自に判断することはできない訳ですし、何か起これば学校側の管理が問われることになる訳ですから仕方のないことは十分承知の上です。しかし、せめて大事なセレモニーの時くらい柔軟な対応ができるように何故もう少し早く指針が出せなかったのか、3月に卒業を迎える子をもつ保護者としてのつぶやきです。

 このような議論は今に始まったわけではなくこれまで何度も是非が問われてきました。私も学校行事に関する感染対策の見解を2022年4月に記事にしています。新型コロナ出口戦略ーいつまでも守ってばかりいるのではなく攻めていかなければ何も見えてこない。そのためには正しい知識のアップデートと実践が望まれる|水野泰孝 Global Healthcare Clinic (nikkei.com) 以下今回の議論に関連する箇所を抜粋します(記事は当時のものです)。

②卒業式・入学式などの学校行事
換気を促し、全員マスク着用が条件であれば、高密で歌うことがなければ高リスクにはなりません(「高密で歌うという環境」は締め切った教室で長時間歌うということです)。但しマスクをして数分間の校歌などを歌うことはたとえマスクをしていなくても距離を取っていれば高リスクにはなりませんので、マスクをしているのに校歌を歌わないというのは過剰な対策ということになります。また式への参加を保護者1名と規制することも会話をしないことを条件にすれば高リスクには当たらず対策としては過剰であり、貴重な瞬間を共に過ごせないというデメリットが大きくなると考えます。このことは私自身が一保護者として子どもの行事がある度に疑問に思っていることであり、自治体によっても対応が異なっているようです。

日経COMEMO 2022年4月13日投稿 https://comemo.nikkei.com/n/n9327acc31270

 卒業式や入学式などのセレモニーは体育館など大きな会場で式典の間は静粛な状況で行われるでしょうから、マスクをしていなくても感染が拡がるようなリスクの高い環境ではありません(リスクがゼロであるということではありません)。むしろ式典終了後に保護者どおしが長時間にわたり会話することの方がリスクが高くなるでしょう。国歌や校歌斉唱の場面では、万が一感染者がいた場合には(そもそもその可能性も低いでしょうが)若干のリスクがあるかもしれませんが、斉唱は皆が同じ方向を向き数分程度で終わるのでそれがどの程度の影響になるかは想像できるかと思います(密室で長時間にわたり歌を歌うカラオケなどとは全く異なる状況ということです)。今回の指針では「国歌斉唱、合唱を除きマスクを着用しないことを基本とする」との方針を示したようですが、このわずかなリスクを回避するための配慮であったと考えます。岸田首相「卒業式は児童生徒と教職員のマスク着用なしを基本に」“マスク着用”3月13日から「個人の判断」方針(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース

 今年卒業する中学3年生・高校3年生は、小学校・中学校卒業の前に一斉休校となってしまったことで、卒業式も入学式も不完全な状態のままで新たな学校生活が始まったわけです。感染対策とは言え「とりあえず中止する」「他校が中止なのに本校だけ開催するわけにはいかない」など、何とか実施させるような工夫をすることなく大人の事情で「密な瞬間(とき)」が失われてきたのです。私も楽しみにしていた子どもの卒業式および入学式には参加できず、さらには最も盛り上がる学校行事の一つである体育祭はいまだにリアルで見学できていません。子どもたちは「それが当たり前」「仕方がない」あるいは「面倒な行事がなくなって時間ができた」などと言っていることもありましたが、やはり保護者としてはやるせない気持ちです。
 私は感染症・感染対策の有識者として、これら一連の対応について一斉休校された頃から常に疑問に感じ、メディアや種々の記事で提言してきました。三鷹市感染症アドバイザー就任後は市の教育委員会や公立学校の校長先生とも協議を重ねてきましたし、職場のある千代田区でも区長や教育長に学校での対応について提言をしてきました。ただ大きなハードルとなったのは、行政の指針のもとですべての保護者が賛同する必要があり、一人でも反対する保護者がいれば学校としては強行することができないのです。そして提言すれば必ず「責任が取れるのか」と非難されることになるわけです。
 今回の政府判断に対しても一部の首長や保護者からの反対意見は少なくはないようですが「一生に一度しかない」「かけがえのない」「たった数時間の行事」にまで意義が低いと言わざるをえない対策を取るべきと主張することに対し大きな疑問を感じざるを得ません。
 
何度も申し上げてきましたが「感染が拡がりやすい環境」は明確であり、例外ばかりを追い求めていてはゆがんだ社会をもとに戻すことはできません。だからといって「何でも構わず緩和する」「感染対策はもうしなくても良い」というような短絡的な考えではなく「意義の低い見かけだけの対策」は積極的に見直していこうという提言です。「やっている感の感染対策」では「真の感染対策」にはなっていないことがあるが未だにアップデートされていない|水野泰孝 Global Healthcare Clinic (nikkei.com)

#日経COMEMO #NIKKEI #新型コロナとの付き合い方 #水野泰孝


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