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仕事の秘訣は類推(アナロジー)

仕事の大半は、類推(アナロジー)である。なにかをヒントに、別のなにかを発想する。物事を考える回路である。独創的だとか、今までなかった作品だとか商品だとかサービスだとかいうが、基本はなにかをヒントに発想したり直想したりするものが多い。つまり

仕事は類推(アナロジー)


1  仕事の本質はアナロジー(類推)

「これはすごい戦略だ」と持て囃されるものも、それまで誰も考えたことがないような戦略はそうそうない。その多くは誰かが考えたモノからの類推である。日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた連合艦隊作戦参謀秋山真之の丁字戦法は、自らの先祖の伊予水軍伝来の戦法からの類推であったことは有名である

ただし誰かのアイデアそのままではない。誰かのアイデアとどこかのアイデアと自らのアイデアを組み合わせて、融合させて、新しいモノ・コトを生み出すのである。大事なのは、他のアイデアを自分ごとにして、自分ならばどうするのかと考えて、なにかを発想できるのかできないかの違いである

それをしない人が増えた
他のアイデアをそのまま使うようになった
コンテクスト(文脈・背景)を無視するようになった

ビジネスにおいて戦略を考える核は、類推(アナロジー)である。アナロジーとは「AがBならば、CはBになる」と発想すること

物事を考えるうえで、アナロジーを発揮するためには、その人、その会社が、どれだけ多くの「引き出し」を持っているかである。それも、自らが場数を踏んだ経験だけでなく、他人の経験を自分事として咀嚼して、自らの「引き出し」に入れているかどうかかである。ここでの留意点は
他人の話を聴いたままを、「引き出し」に入れてはいけないということ

note日経COMEMO「ビジネスと教養は矛盾しないー新教養考⑥(最終回)」

2  「鎖国」している現在の日本

50年後の2075年、GDPが現在世界3位の日本が世界12位になるとの予測…この未来予測をどう受け止めるのか?現下においても、1人当たりGDP など経済力ランキンや競争力ランキングや大学ランキングなどの世界ランキングで日本の地位が落ちている。アジアのなかでも落ちている。それは嘘だ、そんなことあり得ない。まだまだ中国や韓国には負けていない。シンガポールやマレーシアやベトナムやインドネシアには負けているわけはない

ありえないという声があがる

日本企業は海外に進出しているし、海外の大学に日本人は留学をしているし、世界中に視察にいっている、観光に行っている。テレビでもネットでも海外情勢は入手しているので、世界のことはよく知っているという。しかし各国の現在・現実をどれだけ理解しているのだろうか?

昔のアジアの認識で止まっている人がいる

「日系企業のブランドイメージや待遇は良かった。しかしそのトップ企業のなかに入ると、まったくイメージがちがっていた。日系企業はさびていた」と、ある中国人通訳の女性

仕事に対する厳しさがない
「日系企業のオフィスで働いている中国人がずっとお喋りしているというような“ゆるさ”がある。それを日本人上司が見て見ぬ振り、注意をしない。日系企業では、中国人は、一所懸命、頑張っても報われない。やってもやらなくても同じだという空気が流れている

日本人は群れる
日本駐在員だけで集まり、現地の中国人と付き合わない。中国にいるのに、中国のことが分からない。中国にいる意味がない。かつての日系企業はキラキラしていたけど、今の日系企業は中国を理解できなくなっている

日本人は中国の実相を知らない
日本の有名ブランド商品が、評判を落としている。昔のままで、アップグレードできていない。他国の企業が進歩しているという面もあるが、問題は日本企業が中国の生活者のインサイトの“実相”をつかめていない。これでは、中国で受け入れられるわけがない

note日経COMEMO「日本さびた・プレゼン下手」

外に行っているが、外がわかったような気になっている。外から貪欲に学ぼう、自らのものにしよう、吸収しようという意欲がない。かつて明・清・朝鮮・オランダに限定していた物理的な鎖国時代のなかでも、外への事物に旺盛で開放的な知的欲求があった。しかし現代日本は外への関心が薄れて、内にこもり閉鎖的となり、実質的に「鎖国」となっているのではないか?それはなぜか?

先入観が邪魔している

日本は強い・すごい・アジアには負けているわけがないという先入観が、世界、とりわけアジアを観る目を曇らせている

3 「 努力」のスタイルが変わった

古代より、日本は中国や朝鮮からの唐物を憧れ・愛玩した。室町時代以降からは、中国や朝鮮に加えて、西欧からの舶来物を珍重した。そして明治時代以降は、欧米の情報とブランド物を持つことが日本人のステイタスとなった

海外の物を有難がり、普通の人が持てない高価な物を求め、自己満足する。たとえばベンツ。ベンツに乗るのは、機能性や価格性やデザイン性だけでない。ベンツを「真似」した国産車に乗っている人に、こっちはベンツだよと見下す優越感を味わうためにも乗っている。

日本人は比較優位で満足する

何かに依存したり、いままで光っていたモノ・コトに固執したり、過去の成功体験によりかかったり、狭い世界のなかでの優越的立場・地位にいつづけていると思考停止している人や企業が多くなり

井の中の蛙大海を知らず

そして突然金を手にすると、タワマンに住み、世界ブランドを着たり、持ったり、世界ブランドの車に乗って、ミシュラン3つ星のレストランで食事にして、世界ブランドのホテルに泊まる…そんなライフを周りに見せ自尊心をくすぐる人たちが膨張時代のなかで増えた。二極化という社会の壁が厚くなる

「努力のスタイル」が変わった

外に積極的に出かけ、すごいモノやコトを見つけ、日本に持ち帰り、もともとのモノやコトよりも佳い物にしようとした。社会や生活者を観察して、着想・発想・類推して、ありたい姿を描き、その像を具体化して社会をよりよいものにしてきた日本

そんなプロセスが面倒くさくなり、手っ取り早く楽々と手に入れようと安易にブランドにのっかかるようになった

4  あなたはどう思う?あなたに佳いのか?

ブランド志向に派生して、「本物志向」というスタイルが増えている。やたら

これは、本物か偽物か?

を気にするようになった。それが本物かどうかこだわるが、そもそも「本物」も、なにかを真似していることが多い。ブランドと言っても、何かにインスピレーションを受けて創られたものも多い

本物か偽物かの峻別は素材においては重要だが、財・サービスは本物か偽物よりも、自らはどう思うのか、自らにとって佳いのかどうかが大事である。祇園祭もそう。日本中に祭りは広がったが、地元の人は地元の祭りを本物か偽物かは問わない、それが自分たちの祭りだった

そのあたりも、日本人は安易になり、楽をするようになって、自らが佳いなと感じたり思ったりするよりも、みんなが良いというモノ・コトを選ぶようになった。ブランド物や有名な物を手に入れることが

楽に、自らのステイタスをあげられる

と思うようになった。楽なほう・安易なほうを選ぶようになったが、それでええんやろか?ええわけない。あなたがええと思うモノ・コトを選ばず、どこかの誰かがええといっているモノ・コトから選ぶというのはええんやろか?ええわけない。自分がどう思うかが大切


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