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やってみなはれ、やらなわからしまへんでー独創的物真似のすすめ(最終回)

守・破・離—室町時代の世阿弥の誰もが知る言葉。日本の方法論を端的に三つの漢字で表している。信用する師につき、教えや型をり、基本を習得する。その基本をベースに自分なり創意工夫をつづけ、基本をっていく。そして型かられ、新たな独自なものを生みだす。能や狂言などの日本の芸、武道や茶道や華道、美術・工芸・技能など日本的修行の進め方だった

この守・破・離が、日本社会が承継しつづけてきた独創的な物真似という日本の方法論である。自らの見本とすべき人、すごいモノ・コトを発見して、まず物真似して、それを自己流につくりなおし、その自己流が多くの人々に受け入れられたら、専門家を集めて技術的・理論的に進化させる。日本はずっとこれでやってきた

1.若者の未来への時間を奪ってはいけない

日々、新しいことに取り組み、刷新しつづける人は強い。いつも嬉々と、楽しみながら、仕事を夢中に取り組んでいる人は強い。他の人が嫌がっている仕事すらも、自らの生き甲斐のように嬉しそうに取り組んでいる人がいる

一年前に、長年勤めた企業を退職して、晴耕雨読の生活をしている。自らがしたいことをしている。自分に残された時間は、そう長くない。だから時間が大事で、自らにとって意味のある仕事に取り組んでいる。企業人だったときのように、自らの意思に反した意味のないこと、無駄なことを命じられることはない。自らがすべきことをする。企業人時代よりも、仕事をしている時間は長いが、日々、充実している

それは、若者も同じ。若者も、時間は大切。仕事だからとか、給料を貰っているのだからやれよか、これは勉強になるからやっといてとか、無駄な時間、意味のない時間を強いられたら、たまらない

時間は、無限大ではない。上の者は、若い者よりも時間をコントロールできるが、若い者は自ら時間をコントロールできないことが多い。上の者は、若い者が話すコトを理解せず、時代に合わなくなったやり方、機能不全となっている考えを押し付け、若い者の時間を奪っている。若者に、上のずれた考えを押し付けるのは

若者の未来を奪うこと

古い人が実権を握りつづけ、面白いコト、新しいコトを若い者にやらせなくなった。上の者たちが、これで前はうまくいった、心配しなくていいなんとかなる、会社ってこういうものだ、組織には順番があるなどと、昔の成功方程式を当てはめ、若い者の可能性を潰す

その考え方は浅いな。前にもそんなことを考えたが、無理や。まだ時期尚早や。そんなのあり得ない―などと、若い者のアイデアに耳を傾けない、認めない

若い者にさせると、どこか、なにかの物真似のようなものをするかもしれないが、それでもいい。それにチャレンジさせないで、できあがった上の人たちが、若い者のアイデアを抑え込む。若い者にバッターボックスに立たせない。やってみなはれ、とはいわない。しかし

20歳代に絶対やれないということはない
物真似から始めたらいい

物真似して、モノができ、人に認められたら、その段階で優秀な技術・ノウハウ・情報を集めたらいい。それで進化させたらいい、そこから洗練させたらいい。この順番である

それが逆になった。まずは情報収集が大切だとか言って、情報を集めているうちに、チャンスは逃げていく。そのなかに、キラッと光るアイデア・ヒントがあったとしても、それが理解する見識やセンスがないので、決めることができない

だから新たなビジネスが立ちあがらない。すごいなぁ、これやで、これはいけるで、と判断しない。このように、なにも決められない日本を横目に、世界は様々なモノ・コトを創り上げ、どんどん伸びている

日本は没落すべくして没落しているともいえる

2. なぜ若い者にさせないのか?

なにかひとつ、たまたまうまく行き、どこかに席を確保すると、その席を必死に守ろうとする人がいる。自分よりも優秀そうな人がやってくると、抵抗したり、無視する

それはあかん、これもあかんと、若い者の言うことやることを一切認めない。やる気のある人、ポテンシャルのある人を次から次へと蹴落として、自分の席をひたすら守る。かつてのたまたま成功したやり方に凝りかたまり、梃子でも動かない人ばかりになったら、社会は進なない、淀み、沈む

若い者に、させたら良い

若い者に、どこか、なにかの物真似でいいから、させる。それが物真似で終わらせないよう、自ら経験させ、自ら試行錯誤させ、自ら磨き洗練させ、独創的なモノに仕上げさせる、それを上の者は横で寄り添って支える。何度もいうが、それは、昔から、日本がやっていたやり方である

「世界の三大微笑像」と呼ばれる飛鳥時代の傑作、奈良の中宮寺の菩薩 半跏思惟像は、ガンダーラや中国や朝鮮半島から仏像に伝来してきた仏像を日本で美の極致に換骨奪胎した。奈良の興福寺の阿修羅像も、インドや中国の阿修羅像の本質すら変えた仏像美を創造して、現代人の心を魅力している

外に行き、すごいな良いなと感じたモノ・コトを、内のなかで咀嚼(そしゃく)し、日本的な感性で再構成・再構築した。真似から入り、もともとのモノ・コトを大きく上回る世界観を新たに創りだした

日本は、ずっとそれをしてきた

戦後もそう、明治維新もそう、戦国時代の火縄銃もそう。種子島に着いたポルトガル人から火縄銃を高額で買い、これと同じものをつくれと命じられた日本の職人たちが、見様見真似で火縄銃を創りあげた。その日本製火縄銃の優位性はたちまちのうちに戦国武将たちに認められ、戦場で実際に使われた。種子島で真似して製造されてから30年後、日本は世界で最火縄銃を生産している国になっていた

このように、日本は真似をして、すごいモノを創りつづけてきた。華道も茶道もそうだが、もともとの中国のコンテンツよりも良くしている

それを中国人はすごいと評価している

日本に来て、それに触れ、学び、師範になり、中国に戻って、ムーブメントをおこしている。北京や上海などで、日式(日本風・日本式)華道、日式茶道の教室を開き、生徒を集めて、すごい勢いでのびている。素晴らしい作品が続々と生まれている

3  日本の西洋料理店は真似なのか?


もともと中国にあったモノ・コトが日本にある。もともと中国にあったすごいモノ・コトを日本人が持ち帰って、真似して、それをさらに進化させ、すごいモノ・コトにした。それを中国人が日本で学び、さらにすごいモノ・コトにしている

まさに競争の世界である

ラーメンだってそう。日本のラーメンがすごい人気だというが、ラーメンは、世界中が研究していて、海外のラーメン屋も美味しいラーメンが生まれている。 世界が日本のラーメンを真似しているというが、では日本のイタリア料理はなに?日本のフランス料理はなに?日本の西洋料理店は、全部、真似というのだろうか?言わない。世界一のレストラン「ノーマ」も、京都に期間限定の店を作って日本料理の技を研究している、真似している

日本だけでなく、世界もそう
物事は真似から始まっている

真似したらいい。どんどん真似して、そこから、手を加えて、磨いて、独自のモノ、飛びぬけたモノにしたらいい。独創的真似には、洗練させる技術やセンスに高度な知識・スキルが必要になっていく。独創的な真似は、単純な物真似ではない

4 親方の技を盗めという

どんどん真似したらいい。情報もどんどん盗んだらいい。 なぜ盗んだらいけないのか?国家だって、諜報活動している。政治家だって内々にいろんな人に会って、表にでていない情報を取っている。なぜ経済において、水面下の情報をとってはいけないのか?最近話題になっている国際外交官を増やすとは、そういうこと

都合のいいところだけ、他人や他社のものを真似したりしては駄目だとか、他人や他社のいろいろな情報をとったら駄目だっていうが、歴史上、世の中はそんなことばかり。情報収集って、そういうこと

どんどん真似せよと言ったら、人のモノを真似したらまずいだろうという人が出てきた。しかし

職人に親方の技を盗めと言っといて
他人の技術を盗むのはおかしいと言うのは
おかしいのではないか

たとえば、ラーメン屋に行って、ラーメンのスープの味を盗むことは、法律に触れない。食べたモノを分析することも、法律に違反しない。その店と同じようなスープを作ることも、法律では違反しない。ある店が何か作ると、すぐにそれを真似したものが出る。それが競争の姿であるが、なぜ日本は真似しなくなったのか?

5  独創的物真似で、やってみなはれ

真似することは、日本がずっとしてきたこと
パナソニックだって、戦後、高度経済成長時代、世界の家電機器を真似してきた。マネシタ電器と揶揄されていた時期もある

家電だけではない、重電の機器も自動車も、真似。海外のモノを、日本人が高品質な、洗練させたモノにレベルアップさせてきた。大半は真似である。その証拠に、技術用語はカタカナが多い、マネジメント用語も、カタカナが多い。何度も言うが、ビジネスも、基本は真似である

だから韓国や中国を批判するのはおかしい。日本も、世界中のモノを真似して、創ってきた。ビジネスは競争。原始、産業は物真似から始まった。何が大事かというと

まずやってみること

なんでもいいから、まずプロトタイプを創って、世の中に出してみようという動機が大事。それが、変わってしまった。日本は動機が出る前に、これは分かっているのか?あれはどうなっているのか?詰めて詰めて詰め切らなければ、始めなくなった。そのエビデンスはあるのか?他社はどう考えているのか?などと、やらない理由を並べる。他社の状況を見て決めようと言うのは

基本はやらないこと

上のその言葉の意味をみんな分かっているから、ポーズだけで、本気でしない、日本は検討ばかりで決めなくなり、動かなくなり、その結果、「金にする」チカラが弱くなった。この20年で、そんな日本になった 
   
どうしたらいいのか?理屈とか理論が分かってからでないと始められないではなく、これはすごい!ということを発見したら、スピーディーに、それを真似して自分なりのモノを創ろう

同じ業界のみならず他業界のすごいと思う人・モノ・コト・サービスを探す、日本だけでなく世界にソトに出て、すごい人・モノ・コト・サービスを探して、見つけて、真似して、独創的なモノを創ったメンバーは上にあげよう。トップは、こう言おう

やってみなはれ

このサントリー創業者の鳥井信治郎氏の言葉「やってみなはれ」のあとに、さらに大切な言葉がある

やらなわからしまへんで

案じるより産むがごとし。まず動く。外に出て、目を見開き、360度耳を傾け、すごいモノ・コトを発見する。怒涛の嵐のように持ち帰り、独創的物真似をして、圧倒的なモノ・コトを創り、社会に届ける。それが日本の方法論である。大丈夫、何度も何度も日本は蘇ってきた


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