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今なら引き返せる―日本性をつくったデザインを取り戻す
大阪・関西万博の開幕が2ヶ月後に迫る。盛りあがっていない、入場券が売れていない、1970年の大阪万博のような月の石のような目玉がないなどネガティブな声が依然噴出している。現在は50年前ではない。時代背景がちがう。コンテクストが違うのだから、コンテンツが違ってあたり前。イベントは時代に応じて変わる
しかしコンテクストを踏まえたコンテンツを展開すべきだが、目立つこと、奇を衒(てら)ったりしようとしているが、本来、万国博覧会は
万博だから何かをするのではなく
社会が求める万博にする
社会を求める万博とはなに?万博を使って、日本を再起動させる
1 日本は阿修羅を変えた―精神的デザインが日本をつくった
万博は万博会場だけのものではない。世界から日本に来られる人は、万博会場だけを観るのではない。万博会場以外の「日本」を観る。日本に来られる世界の人は、日本のなにを観て、なにを感じ、なにを考えるのか?それが大事
その「日本」は、世界の人に、なにを伝えるのか?ミャクミャク・マンガ・アニメ・ゲーム・日本料理・京都ばかりではない
日本にとって大切なことが
あるのではないか
数年前にミーティングした中国の若手企業経営者、シンガポールの政府高官ぞれぞれが呟いた言葉が忘れられない。世界から観た日本
「わたしたちの製品をつくる技術力は、日本を追い抜いている分野がある。しかし『デザイン』は日本に追いつけない。『デザイン』をつくりだす我々のカルチャーは、日本から50年、遅れている」
その「デザイン」とはなにか?
たとえば奈良の興福寺の阿修羅像。
現代日本で最も人気のある仏像のひとつ
もともと阿修羅は、憎悪や怒りを司る神
仏教の守護神である
その猛々しい神を、平城京の仏師たちは
美少年のような像に編集して
日本的な仏像として造った
デザインには
物質的デザインと精神的デザインがある
物質的デザインは
時代ごとに変えつづけていくもの
もうひとつの精神的デザインは
物質に込められたもの
モノに想いや思想が込められている
だから1300年前の仏師が造った
興福寺の阿修羅像に
現代日本人のみならず
世界の人々は魅せられる
能と狂言の「能面」もそう
室町時代や江戸時代にも
写実的手法があっただろうが
どうしてあのような
デフォルメした面としたのか?
能面に意味を込めた
「精神的デザイン」が
いまも能と狂言で
現代の人の心をとらえる
2 物質的なデザインに傾斜しすぎてどうなった
新しくできた超高層ビルは
大きいな、高いなとは思うが
心を打たれない
しかし400年前に建てられた
姫路城に感動したり
95年前に建てられた
大阪船場の綿業会館に心が刺さる
![](https://assets.st-note.com/img/1739250567-mZd8JkFUlE9XBu1PYqiRT5SA.jpg?width=1200)
現代の技術を駆使して
つくられたモノが
人々の心をつかめず
古いモノが人々の心をつかむのは
なぜだろう
いつからか日本は
精神的デザインをしなくなり
物質的なデザインに頼りすぎ
表層的になってしまっている
3 デザインを「意匠」と訳した明治の日本人
デザインという言葉を
明治の日本人は「意匠」と訳した
優れた技術を持つ職人である「匠(たくみ)」が
自ら意図するもの、気持ちや思想を
モノに込めることが
本来のデザインの本質であると
明治の日本人は読み解き
「意匠」としたのだろう
つまり、デザインとは
心洗われる心地に
心安らかな気持ちに
なってほしいという
デザイナーの「想い」を
形として表現すること
しかしながら
記号や絵やイラストを描くことを
デザインと捉える人たちが増え
つくられるモノから
人の心が離れだした
たとえばスーツ
スーツの物質的デザインは
時代のファッションとして刻々と変化する
しかしスーツを着て
気持ちいい、すっきりする
という「着心地」を込める
精神的デザインは変わらない本質
着る人の姿や心持ちを想像して
スーツを着た人が「とってもいい」と
心をつかむことが
「本物」のモノづくり
「本物」となるためには
卓越した技能も必要だが
「思想」「想い」「こだわり」を込める
精神的デザインが必要
この精神的デザインが
日本からどんどん薄れていった
4 本物をつくったモノづくり
たとえば「椅子」をどうつくってきたのか
心地よく生活したい暮らしをしたい人のために
部屋の椅子にどのように座ったら
心地よく過ごせるだろうか
という部屋にいる人の姿・心持ちを想像して
その姿、椅子をスケッチするのが
デザイン
物質的デザインに加えて
デザイナーの思想・想い・こだわりを
「精神的デザイン」に込めることが
本来の「デザイン」
つづいて「エンジニア」が
デザイナーの想いを
実現可能なモノにするため
表現法・型式を考えて
「見える形」にするのが役割
そして「マニュファクチュア」が
最終的に「椅子」として創りあげて
椅子に座る人の心をつかむ
デザインからエンジニア、そしてマニュファクチュアという3つの機能が緊密につなげるモノづくりが、すごいモノ、本物を日本はつくりあげてきた
![](https://assets.st-note.com/img/1739248869-f6PJCadNAIkqstoE7QuGX8KF.png)
この本物をつくりあげてきた
ものづくりのプロセスが
IT、DX、AI、ロボットの導入で
薄れたり、省略されたりして
日本が弱くなりつつある
5 日本の生き残るモノづくり
ハサミやノコギリや包丁など
日本製のモノが世界で評価される例は
昔から現代まで枚挙にいとまがない
現在のインバウンドでの評価は高い
「日本の匠」という形で紹介される
世界が着目するモノには
つくり手の想い・思想やこだわりが
込められている
使い手が使っている姿を「想像」して
使い手の心をつかんで離さない
本物が「創造」される
デザイン
エンジニアリング
マニュファクチャリング
をつなげて、価値連鎖させて
本物をつくってきた日本のモノづくり
昔から現代に承継されてきたが
大量生産・大量消費時代以降
年々なくなりつつある
それは、なぜか?
市場規模が小さいからとか
時代にあっていないとかいうが
本当は、そのモノをすごいと思うが
「正当な価格として認められないだろう」
と日本人が思うようになったから。つまり
匠の「技」の価値を認めなくなったから
想いや願いを込めて
つくりあげていく
練りあげていく
というモノづくりが
認められなくなった
ハサミはハサミだろう
ノコギリはノコギリだろう
包丁は包丁だろう
スーツはスーツとひとくくり
高級ミカンといってもミカンだろう
となってしまった
現代日本人は技術・技能というが
技術や技能の価値を認めていない
そうすると
「生業」としてそれをやっていけなくなり
モノの創り手が減り
すごいもの、本物をつくりだす
技術力・技能がおち、
モノの輝きが失っていこうとしている
これが、日本で真の意味の
エンジニアリング
マニュファクチュアリングが
成立しにくくなった理由である
精神的デザイン
エンジニアリング
マニュファクチュアリングが
成立するためには
「佳きモノは高い」という
モノの価値を尊重しないといけない
しかし
「だれもが安く買える」という
大量生産・大量消費時代に
佳きモノも、そうでないモノも
「モノ」としてひとくくりになった
そしてバブルがはじけて
縮退時代になっても
その流れは変わらなかったが
すこし変わってきた
そして、コロナ禍リセット
トランプ2.0
大阪・関西万博2025
日本が生き残る道は
本物をつくるモノづくり
日本性をつくるモノづくり
精神的デザインする力を取り戻し
デザイン
エンジニアリング・
マニュファクチャリング
の価値連鎖を再構築して
本物をつくる
日本性をつくる
今ならば取り戻せる
今ならば引き返せる
まだ間に合う