安倍元総理銃撃死のそれぞれの衝撃の文脈(ストーリー)〜核兵器の脅威から私製銃までの暴力の時代にテロとは何かを考えることについて〜
朝起きて、身だしなみを整えてスーツを着て「行ってきます」と仕事に行く。
まだまだやり残したことはある。周囲に期待されてもいる。
暑い中、外でいつもの仕事を始める。
あと2日、プロジェクトの山場、踏ん張りどころだ。
突然、背後から何者かに銃で撃たれ生涯を終える。
想像してみてほしい。
こんな無念な人生の最期があるだろうか、
まずは、このような暴力は誰に対しても許容されるべきではない。
一人の人間としての安倍晋三さんに、人として心から哀悼の意を表したい。
衝撃の文脈(ストーリー)
「憲政史上最長の任期を務め、海外要人とも親交を多い元総理が、治安が安全と言われた日本で、国政選挙の大詰めの演説の最中に白中銃で撃たれ、死亡した」
この事件のインパクトはとても大きく、事件当日の昨日は、情報が錯綜するとともに、様々な立場から怒りと追悼のコメントが寄せられた。
事件とその犯人の動機については、まだ今後の捜査と解明が待たれる。
ただ、2022年7月8日の報道初日に感じた事を分析して今後の議論のために記しておきたい。
構造と文脈でニュースを読む解く時、今回のような大事件においては特に、それぞれの立場からの様々な文脈(ストーリー)が語られていく気がするからだ。
個人的な親交がある人は、冒頭に記した「人として」の哀悼の意を表しつつ自分の立場の文脈でコメントを表している。
海外要人
海外要人は、個人的にも長い間親交を持っていた首脳も多く、心から哀悼の意を表している。戦争が現在進行中のなかで、「暗殺」はトップにとって、「今ここにある危機(Clear and Present Danger)」であり、安全な日本で起きた事に対してさらに衝撃を受けただろう。
アメリカ バイデン大統領
国内で起きた銃乱射事件に重ね合わせている。
(但し、今回のケースは私製銃であり銃規制で解決できる問題ではない)
ウクライナ ゼレンスキー大統領
ウクライナ侵攻後、自ら数ヶ月さらされている「暗殺」という自分事の文脈(ストーリー)で最大限非難している。
ロシア プーチン大統領
「遺族への弔電」というスタイル。現在反露的な政策を明確にする日本政府は相手にしない姿勢を示しつつ、安倍総理との個人的な親交を伝えている。そしてそれによって自身が国際社会で孤立していない事、友情と信頼関係を大切にする強いリーダーであることを国内外にアピールしている。実際に、社交的で愛すべき人柄の元総理との友情も存在したのだと思う。
ここでは、ゼレンスキー大統領が暗殺という政治信条からのテロとの認識をしているのに対して、プーチン大統領は犯罪者による個人的行為との理解をしています。プーチン大統領にとってのテロとは、組織的で政治信条を伴うものなのだと思う。
日本の政治家
官邸に戻った直後の14時頃に記者会見を開いた時、おそらく岸田総理には、心肺停止と大量失血で安倍元総理が一命をとりとめない事は伝わっていたのだろう。あまりの事に衝撃を隠せない様子、人柄がにじみ出た。
政治家は誰しも、不特定多数の国民の前でマイクを持ち、政策を訴える演説を行っている。そしてその活動を民主主義の根幹を支える行為と誇りを持っている。
その遊説中に銃で狙撃されるということは、犯人の真の動機がなんであれ、民主主義の根幹が攻撃されたという文脈で憤っている。
残念なのが、小沢一郎。
この期に及んでも血も涙もない、自分の応援候補の選挙区への影響という自分の小さな文脈でしか捉えていない。(報道されてない部分で他に何か言ってるのかもしれないが)
日本のマス・メディア
この自民党の公式見解を受けてか、新聞各紙、「許されざる蛮行」、「言論封殺」、「民主主義への挑戦」等のメディア専門用語のテンプレ構文が多い。
政治家が選挙活動中に攻撃されたと反応しているのに対して、マスコミは今回の件によって言論の自由が侵されるとして反応している。
山上容疑者は「安倍元総理の政治信条に対する恨みではない」と逮捕後、早い段階で奈良県警に話している。結果として演説を暴力的に途中で遮ったことになるが、安倍総理の政治家としての言論に反対して封じ込めを意図したわけではない。
にもかかわらずジャーナリストは、その活動の根幹である言論が暴力によって攻撃を受けたという文脈(ストーリー)でメディアは批判している。
また、リベラルジャーナリストは「政治信条の恨みでない」と明言しているにも関わらず、元自衛官という職歴に注目して、その文脈で今回のケースをナショナリストが辿った戦争への道という文脈で解釈している。自衛官といっても2002-2005年の3年間、任期制自衛官として過去勤務していたに過ぎない。(但し銃の定期訓練は受けていた模様)
海外要人は「暗殺は明日は我が身」、政治家は「選挙活動という職業的日常への攻撃」、マスコミは「言論の自由の危機」、リベラルは「戦争への道」と今回の大事件をそれぞれが自分の立場の違った文脈(ストーリー)で独自に解釈している。
テロとは何か?
著名な政治リーダーが、選挙中に銃撃された。犯人は自宅で、他にも爆破物を自宅で長期に渡って製作し以前から安倍元総理を狙っていたらしい。これまでの報道から分かったこれらの内容で、今回の事件は十分にテロ行為であり、犯人はテロリストと呼ばれてしかるべきであるように一見思う。
但し、ここで私は「テロ」という言葉は、非常に国民感情に訴える強い言葉であることからも慎重に扱いたいと思う。
一般的には政治的目的のために暴力や脅迫を用いた行為が“テロ行為”と呼ばれている。
国連も、政治的な目的をもった犯罪としている。
「安倍元総理の政治信条に対する恨みではなく」「特定の宗教団体に恨みを持ち、その宗教団体と安倍総理が親しい関係にあると思ったという犯人の犯行動機は、テロ行為なのか。
安倍元総理遊説の予定は、前日夕方に長野から奈良市に変わった。奈良市民の犯人は、その機会を捉えたが、政治的意図から民主主義を攻撃しようとして演説中のタイミングを狙ったとは思えない。
今回の事件がテロなのであれば犯人はテロリストなのか。
結果として、民主主義の根幹のプロセスが暴力的に犯されたのは事実、長期的には生命の危険から政治の担い手の立候補者が少なくなる等、影響は少なくない。
但し、結果として受け手が自分の文脈からテロ行為だとみなせば全てそれらはテロとなるという論理は危険に感じる。
テロとは何か?
・暴力の対象が相手が政治家だったらテロなのか、
・暴力の対象が重要な政治リーダーであればテロなのか、
・遊説中の暴力だからテロなのか、銃や爆発物を使用したからテロなのか、
・個人的恨みを持った人間が企業を訪れて社長を銃で撃ったらテロなのか、
・暴力団の抗争の銃撃事件は市民生活を脅かすテロなのか、
テロ行為は決して許してはならない、そういいつつ、その理由の文脈(ストーリー)は様々だ。
決して許してはならず、人々の感情を大いに動かす(時に戦争を正当化する)言葉だからこそ、ストーリーに関する厳密な議論を期待したい。
衝撃的な事件だからこそ、追加の捜査状況とさらに何がどう報道されるか、されないかを冷静に見ていきたいと思う。
安倍元総理は、日本の将来という国への思いは人一倍強かった。
明日の選挙で、今回の事件に関係なく自身の政治の意志を投票で示す、そして今回の事件で何が本当に脅かされたのか、これからの日本はどうあるべきかを考えるべき。
それが不本意な無念の死を迎えられた安倍元総理に対して国民の私達ができる最大の追悼だと思う。
次回は、そもそも何がこの事件を引き起こしたのかについて、考えてみたい。
PS
2020.9.1の総理退陣の時に書いた内容も付記しておきます。