勝てる戦略の作り方—浦島太郎ニッポン (上)
狐の嫁入りを観た。桜が舞う京都の大谷祖廟前から高台寺まで、狐のお面をかぶった白無垢の花嫁が人力車に乗って練り歩く。高台寺を創建した豊臣秀吉の正室ねね様の没後400年にあたる今年、縁起が良いとされた「狐の嫁入り」が、今年の4月7日で終了となる
狐の嫁入りって、不思議なことば
日が照っているのに急に雨が降り出す天気雨、晴れているのにすこし小雨が降るという不思議な現象を「狐の嫁入り」と使う。もとは、夜の山野で、怪しげな「狐火」がゆらゆらと連なって揺れる様が、夕刻に提灯行列で迎えられた婚礼行事のように見えたので、「狐の嫁入り」とよばれた。古来から「狐火」が連なる姿を見かけると、その年は豊作になると信じられてきた。その狐の嫁入りを、満開の桜のもとで観た。今年は佳いことがあるだろうか?
1 「戦略」という言葉が好きな日本人
日本人は、戦略が好き。戦略をたて、上に稟議をあげ、上に決めてもらう。考えるのは私、決めるのは上、戦略を遂行するのは私以外のあなた
「戦略をたてた人が、最後まで、責任をもって遂行しろ」と言われたら、戦略をたてる人がいなくなる。自分は戦略をたてる人で、実行する人は別の人
この構造が日本を弱くした
「戦略」という言葉をよく使う。経営戦略、企業戦略、営業戦略、商品開発戦略、マーケティング戦略、サービス戦略、イノベーション戦略、環境戦略、投資戦略、不動産戦略、起業戦略など、なんでもかんでも「戦略」
この「戦略」という言葉で締めたら、なんとなく収まる、カチカチっとした漢字で、タイトルが決まるような気がする。しかし戦略って、分かるようで分からない。戦略と戦術はどうちがう?戦略と計画はどうちがう?課題と問題はどうちがう?「概念言葉」を使うときは「意味」をおさえるのが鉄則だが、日本人は定義を曖昧にして、“雰囲気”で使う
「戦略」とは、なにか?「計画」は戦いの前に考えることだが、「戦略」は戦っている状態で考えることであり
ゴールにたどりつかせるのが「戦略」
2. 戦略とは、ゴールにたどりつくためのもの
目的地までに、局面が変わる。この道だと思って進んでいると、熊が出てきた。そこで新しい道を歩き出す。この道が良いと思って歩いていると、今度は虎が出てきた。ヤバいと思って、また別の道を選ぶ。このように、現実の世界は、戦場では、当初に計画した通りには、進まない
次々と局面が変わる。局面ごとに、情勢をつかんで、戦略を考えて実行する。現場では、様々な「どうしよう?」が発生し、問題が発生するたびごとに、「こうしよう」と答えを出して、臨機応変に変化しつづけて、ゴールにたどりつかないといけない。つまり戦略とは、ゴールにたどりつくための問題解決の連続的プロセスの活動である
「戦略」を外に頼る。外部のコンサルタントや、高額の経営セミナーなどできいた「こうしたら、勝てる。うまくいく。伸びる。儲かる」という話や語りをなぜか信用して乗っかる。コンテクストが違うのに、そのまま導入しようとする
「これをこうしたら、絶対に勝てる、必ずうまくいく」というような万能の戦略などない。当初に考えたようにはいかなかったり、予想外の局面になったりする。そうなったときにどうする、そうならなかったときにどうする。軌道修正をしつづけて、ゴールにたどりつく、目標を達成するという連続的プロセスの全体が「戦略」である。しかし、そう理解していない、最初に書いた絵ですべてが実現するもの、綺麗に描いたパワーポイントで実現すると思っている人・企業が多い。そんなスゴイ、コスパの良い戦略などない
戦略は目標・ゴールに必ずたどりつき勝つこと、負けないようにもっていくことだが、「負けたら、仕方ない」とすぐにあきらめる人が増えている
それは外部の「戦略の専門家」だけではない。当事者である企業経営者も、事業責任者も、戦略スタッフですら、そう言いだすようになった
戦略は目標性をもたず
「成り行き」 となってしまった
3 戦略の核は、アナロジー(類推)
戦略が「成り行き」となり、適当で、浅くて狭くなっている
戦略とは、負けないためにどうしたらいいのか連続的プロセスである。現実の世界で勝つ実践的な戦略力を高めるために、自らが経験したことだけでなく、他人の経験に学び、「これはこういうことがいいのだな」「自分ならばこうする」と考えて、自分の引き出しに入れることが大事である
すごい実践的な戦略をたてるためには、「これは、こうだ」、つまり「A→Bならば、C→Bになる」というアナロジー(類推)が核となる
アナロジー(類推)を発揮するためには、自分自身がどれだけ多くの「引き出し」を持っているかである。その「引き出し」には、自ら場数を踏んだ経験だけでなく、他人の経験を “自分事”として咀嚼・意味づけ・解釈した知識や経験や知恵を、どれだけ自分の「引き出し」に入れられるかである
他人の話を聴いたことそのままを「引き出し」に入れない。なぜか?人は他人に語るときは、飾りつけたり、盛ったり、「物語」を創る。だから他人の話は、自らの知識や経験と照らしあわせて、 “自分事”として咀嚼・翻訳して自分の「引き出し」に入れる。そして、なにかに出くわしたり聴いたりしたとき、自分の「引き出し」を開いて
「AがBだから、Cはこうする」
と導く。「引き出し」をたくさんもっていると、「まずこうして→次にこうして→最後にこうする」という線が引け、絵・ストーリーが描ける。しかし現実は、描いた絵・ストーリーどおりにはいかない。だから時々刻々におこる問題に、臨機応変に解決して、ゴールに向かっていかないといけない。しかしなかなかうまくいかない。なぜか?
「引き出し」が少なくなった
「引き出し」が貧弱になったのは、ネット検索で出てくる「答えだと信じる答え」に頼りすぎるようになったことが大きい。その「答え」が正しいのか否かを確認もしないで、鵜呑みにする。生成AIが始まり、これからさらにもっともらしい「答え」が蔓延する。それを使いこなすためには、自らの「引き出し」を増やすことが大事である
しかし現実の「引き出し」は薄い。なぜか?自らや自社の経験しか「引き出し」に入れなくなった。他人・他社のことや経験に関心がなくなった。「自分事」として、他人の話を聴かない、社会の物事を観ない。日々の新聞やテレビや本やSNSを“自分や自社ならばどうか”と考えて、コンテクストとコンテンツを結合させて「引き出し」に入れないといけないが、そうしなくなった人が多い
4 浦島太郎ニッポン
コロナ禍が開けたと思い、これまで我慢してきたこと・辛抱してきたことは、もういいだろうと一気呵成に「解除」して、マスクを外して、コロナ禍の前に戻ろうとする。テレワークも、もういいだろうと、出社に切り替える。接待ももうええやろと復活する。花見も入学式も入社式も、みんな一緒になって、もりあがろうとしている
そして、コロナ禍前に戻ったつもりだった。前と同じ場所に戻ったつもりだった。しかしちょっと風景が違っている。社会の人々の姿が違っている、みんなの行動が違っている。まるで浦島太郎になったような違和感もある
人口が減少して、超高齢・少子化、人手不足だから、いままでと違うことをしないといけない、新たな事業を考えないといけない、新規市場を開拓しないといけないと同じことをいう。だからデータサイエンスが、DXが、生成AIが、イノベーションが必要だという。ゼロから考えろといわれて
思考停止している
たとえば物流にかかわっている人が物流以外のことを考えて、新たな市場・分野・サービスを考えるといっても、その新たな市場・分野・サービスにはそれぞれのプロがいる。短期間で彼らを上回ることは難しい。「だからこそ、新たなことをやるのだ」というが、そうではない。物流という世界でなにができるのかを徹底的に考える。まだ物流の仕事を再定義して、お客さまに価値あるモノ・コト・サービスはないかを必死に考える
物流業が2024年問題でドライバー不足になるからといって、「じゃ、物流業をやめて、物流以外はないか」と考えるのではなく、「物流で何ができるのか」と考える。ああでもない、こうでもないと考え抜くプロセスが弱くなった。あっさりと、あきらめるようになった。かつてはそうでなかった。たとえば
自動車は自動織機から、うまれた
自動織機をつくる機械で、自動車をつくった。自動織機メーカーの多くは、ねじを切ったり鋳物をつくる生産方式だったので、自動車メーカーに横滑りできた。豊田自動織機からトヨタ自動車につながった。日本には、そのような横滑りが多い。おむすびしかり、スリッパしかり、弁当しかり
何かから紐づいて、転じていく
これも「アナロジー」
日本的な価値あるものを、こうして生んできた。コロナ禍前に戻って、浦島太郎となり、思考停止している場合ではない。もういい加減、目を覚まそう
「未来を展望・未来を開拓するための戦略を考える」セミナーは、次回で最終回となります。ぜひご参加ください
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