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大切なことは変えたらあかんーあなたがあなたでなくなる

「テレワークは、これからどうなる?」
という質問をよく受ける。昨年5月に新型コロナウイルスが5類感染症に移行して、テレワークメインから出社メインに変わろうとするなか、1年が経った。新年度となる4月から、さらに出社スタイルに戻そうとする会社が増えつつあるが、戻っていこうとする先のワークは、前のワークではない、元ワークではない

テレワークに向かっていくのは
必然ではないだろうか?

生成AIが進むと、生成AIが出してくる答えが正しいか嘘かどうか分からないレベルであるが、「サラリーマンの7割ぐらいの仕事はなくなる」といわれている。そもそも、会社・組織でしている仕事のなかには「作業」が多い。その「作業」は、この20年間、インターネットで効率化・合理化の名のもとで実質減っていた
 
その「作業」は1人ワークでおこなえるのに、人と人が絡んで何かを生む「チームワーク」は必要がないという仕事が増えている。テレワークをやめて会社に集まってチームワークをしようというが、実際は一人ワークが多く、オフイスのレイアウトでも1人ワークスペースが増えている

逆に、1人でワークに集中して成果をだそうとしている時間に、誰かが絡んでくるので、ストレスが高まり生産性を落としていることも多い
 
会社の仕事のなかには、会社に集まってチームワークしないといけないものばかりではない。1人ワークでは十分なことも多い。1人ワークでは出てこないような着想・発想・創造していくためには、多様な人が集まったチームワークでおこなえばいい。にもかかわらず、会社はこの1人ワークとチームワークをごちゃごちゃにしている、だから1人ワークが増え

 テレワークが増えていくのは必然 

その1人ワークの「作業」時間が、情報収集・情報編集の観点で、生成AIの普及でさらに減っていく。だからサラリーマンの仕事は変わり、とりわけ事務職は減っていくことになるだろうと不安になる

それは、生成AIが特別ではない。これまで、世界が生みだす新たな技術は産業を変え、仕事を変えた。たとえばコピー機が使われる前は、青焼き屋さんとか、活版印刷屋さんがあった。会社の資料は手書きで、だれかにタイピングしてもらった。それを青焼き屋さんや活版印刷屋さんに印刷してもらっていたが、その仕事はなくなった。

その人たちは、なにか悪かったのだろうか?

今、その仕事をしている人はほとんどいない。しかし会社は回っている。その人たちに仕事はなくなっても、別に社会は困っていない
 
そうすれば、テレワークやジョブ型ワーク・生成AIなどで、会社の事務職・管理職の仕事がなくなっても

社会は困らない

ハンコの業界も同じ、コロナ禍を契機に、テレワークでは不便だということで、決裁、申請にはハンコは絶対に必要だと言われていたが不要になり、官公庁がハンコを不要にした。そのとき、日本には「ハンコ文化」が大切だとかハンコ業界がすごく反対したが、社会は困ったかというと、なにも困っていない。このように

必然性がなくなれば
なくなっていくものは
なくなっていく

そういう意味で、 テレワークが進んでいくと、都心にある会社に行く時間が減る。そうすると、都市と郊外の関係が変わり、社会は変わっていく

いや、すでに変わりつつある

何が良くて、何が悪いという話ではない。かつて街の商店街には八百屋さんがいっぱいあった。あるとき、アメリカのやり方を真似たスーパーができて、街の八百屋さんが減った。急成長したスーパーは過当競争・価格競争に陥り、高齢化など人口構造の変化で、移動販売で野菜とか魚をお客さまの居る場所に持っていくようになった
 
何のことはない、それは昔の姿。常設店舗ではなく移動店舗になっただけで、昔の八百屋さんや魚屋さんが行っていたことをしている

それはかつての行商 

それって、どこの段階を取っても、良いも悪いもない。人が求めることは変わらないし、人が求めることに応えていくのが商いでありビジネスである

本質は変わらない

にもかかわらず、企業は、大切な「本質」を変えようとする
鉄道会社は「脱鉄道」をめざそうとする。携帯会社は「脱通信」をめざそうとする。百貨店は「脱祖業」をめざす。そんなことを勧める経営の教科書もあるけれど、ほんとうにそれでいいのだろうか?

社会・市場・世の中の流れを適合して、自らを変革していかないと、世の中から取り残される。いままでどおりしていたら、お客さまは逃げていく、お客さまはいなくなる。たしかにおっしゃるとおりである

最近はやらなくなった流行言葉である「ノノベーションをせよ」とともに

再定義をせよ 

と、教科書的に論じるビジネスの現場を知らない学者や経営コンサルタントは多い。しかしその再定義は、その会社・組織がいま社会に提供している事業、モノ・コト・サービスを捨てることではない。今までとはまったく違うコト、新たなことをするモノでもない
 
たしかに、いままでの延長線で捉えるのではない。しかし今の自分、自社を捨てるのではない

「駅馬車会社」があった
産業革命前のイギリスの主力輸送機関だった「駅馬車会社」は、いかに馬で早く運べるのか、いかに多くの人を運べるかという経営をつづけていた。駅馬車会社は駅馬車に固執していたため、新たに生まれた機関車や自動車の存在・動きに気がつかず、お客さまを奪われ、駅馬車会社は衰退していった

若しも自らの事業を「輸送事業者」と定義し、市場・技術の変化を捉えていたら、時代は変わったかもしれない。自動車産業は何屋?家電産業は何屋?散髪屋さんは何屋?と常に問いつづけないといけない時代

note日経COMEMO(池永)「わが社はいったい何者かを問いつづけよ ─ 再定義の時代」

大切なのは
社会から、自分たちは何者なのだと
思われているのか?
自分たちはどんなチカラを磨いてきたのか?

自動車は自動織機から、うまれた

自動織機をつくる機械で、自動車をつくった。自動織機メーカーの多くは、ねじを切ったり鋳物をつくる生産方式だったので、自動車メーカーに横滑りできた。豊田自動織機から、トヨタ自動車につながった。日本には、そのような横滑りが多い。おむすびしかり、スリッパしかり、弁当しかり

何かから紐づいて、転じていく

note日経COMEMO(池永)「勝てる戦略の作り方—浦島太郎ニッポン (上)」

現実社会の変化、市場の変化を観察して、自らの事業の現在地をつかむ。自らの事業の本質、自らの強みを認識して、上から、右から、左から、下から自らの事業を捉え直す。時代の流れに適合して、自らの社会の価値を再定義して、新たなモノ・コト・サービスを創りだして、自らのカタチを再構築するのだ

その答えは意外に自らのそばにある
そこにあることに見えていないだけ

1月から開催してきた「未来を展望して、未来を開拓するための戦略を考える」セミナー(5月22日)も最終回となる。AI専門家の大阪大学の八木教授と東京大学の大澤教授と、社会文化研究家池永の徹底討論です。これから社会はどうなるどうする、都市・郊外はどうなるどうするーぜひご参加ください


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