パーパスのパーパスから、個人のパーパスを考える
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パーパスのパーパスから、個人のパーパスを考える

最近よく取り上げられる「パーパス」とはなんでしょうか?
筆者は「顧客や社会にとってどのような存在になるか」という形で組織やブランドの大義や大志を表したもの=パーパス、という解釈をしています。

具体的には、創業者が込めた想い、バトンを引き継いだ歴代の経営者などが会社運営にあたり大切にしてきた考えを、上記の編集方針から一つのステイトメントに結晶化し、可視性・継続性を持たせたものである、と考えています。

ところでパーパスを言語化する、それこそパーパス(目的)はなんでしょうか?

どんなビジネスでも、創業時は少人数での運営となるので、創業者の考えや方針は対面で伝えることができます。なので特段パーパスやMVVなどを定めなくとも、組織が向かうべき方向はリアルタイムで共有できるし、創業者の思いと組織行動がずれてきた場合も、修正は容易です。
しかしビジネスの成長に伴い、多様な人材が加わり、組織は大きくなります。するとそれまでは機能していたようなダイレクトコミュニケーションができなくなり、創業者やそれを引き継いだ経営者の考えは全体に伝わりにくくなります。

人はそれぞれに信念や価値観を持っているので、組織のメンバー一人ひとりがそれぞれの考え方に基づいて行動していたら、チームワークが機能しないし、メンバーが持つ多様な才能や視座を一つの方向に向けて組織の強みを構築することがままなりません。

なのでパーパス(など)を定め、為すべき大義を指し示し、社員全員の業務遂行の拠り所にする、というのが、パーパスの主たるパーパスだと思います。

*話がちょっと横道にそれます。
もう一つ、パーパスのパーパスに関連することに、
(1)組織行動がパーパスに従う
(2)それにより商品やサービスがパーパスに基づいた一貫性をもつ
(3)と同時に組織からの発信がパーパスに基づいた一貫性をもつ
(4)その結果消費者・社会から見える企業像=一貫したイメージとなる
つまり、ブランドが構築される、という点があります。
このように記述すると、ブランドはパーパスに基づいた企業行動の結果できるものであるように読めますが、それを意図的に行うのがブランディングです。このようにブランディングとパーパス(やMVV)に基づく経営は表裏のl関係にあるのですが、煩雑になりますので、この記事では一旦横において論を進めます。
ブランディングとパーパスの関係については、よかったら以下拙稿をご笑覧ください。


話を「パーパスのパーパス=社員全員の業務の拠り所」という点に戻します。
今回のCOMEMOのお題はこちらです。

上で述べてきた「パーパス観」をベースにして「個人パーパス」という言葉を目にした時、筆者はモヤモヤを感じました。

モヤモヤその(1)
個人は組織ではないので、意志の伝達・共有という問題は発生しない。しかるに個人にパーパスが必要なのか?

モヤモヤその(2)
パーパスは組織の永続性を前提として(組織を担う人が変わっても企業の軸が揺らがないように)定められているものであるが、個人はいずれ死ぬ。しかるに個人にパーパスは必要なのか?

モヤモヤその(3)
個人は経験と共に成長し、視座が上がり、世界観が拡張される。しかるにパーパスを決めてそれを守ることが本当にいいことなのか?成長と共に目指すありようやその大志もアップデートされるべきではないのか?

モヤモヤその(4)
まずは井上大輔さんの素晴らしい記事をご覧ください。

本当にその通りだと思います。個人がやりたいことと、周りが個人に期待することは一致しているとは限らず、そして個人をより幸せにするのは、後者なのだと思います。その時、個人がパーパスを持つことにどんな意味があるのか?

以上のモヤモヤを踏まえて、筆者が「個人パーパス(的なこと)」について思うことを述べ、この記事を締めくくります。

個人の存在意義は、元来持っている希望や才能だけではなく、その人の成長度合い、周りとの関係、周りからの期待などによって変容する、相対的なものです。なので個人がパーパス的なものを持つ場合「一生をかけてXXを目指す」というような普遍的な要素は考慮しない方が良いのではないかと思います。つまり、その時その時で興味・関心を高く持っていることを自問自答し、その答えを自分のテーマとして持つ、というくらいのスタンスで考えるのが良いのではないか、という次第。
筆者で言えば、子供の頃は弁護士になりたいと思っていた希望を大学であっさり捨て、マーケティングやりたいと思ってみたらマーケティングとは縁もゆかりもない父のキャリアを自分のベンチマークにしてみたり、など、これまでの人生の中で、一貫性・論理に欠けた形でその関心事項を変遷させてきました。こうして文字にしてみるとなかなかにお恥ずかしい限りですが、他方、その時どきの自分に立ち戻り、その視座で考えてみるとこれもまた致し方なかったのかな、と思います。むしろ昔よりは多少マシな物の見方ができるようになってきてよかったとも。

また、周りからの期待は、自分だけではコントロールできないので、それが自分の関心とずれている場合は、自分の関心は趣味や学びの領域として大事に育む、ということも大事なのではないかと思います。

次に人生の最後の瞬間に「ああ、あれをやっておけばよかった」と、いわゆる「やらぬ後悔」を感じることは避けたいところ。
ので、スティーブ・ジョブスではないですが、毎日の意思決定・行動に対して「今日が人生最後の日でも同じ決断をするか」といった、やはり自問自答を行い、関心事項や周りからの期待と関係ないこと、つまり自分の幸福につながらないことは削ぎ落としていく、ということも大事なのかなと思います。
人間は成長と共に変化するので、その関心事項も時事刻々と変化し得ます。これはつまり、常に自分の関心事項の変化にアンテナを高く張る事によって、人生をより濃密に生きることができる、ということかもしれません。

まとめると、個人パーパス的なものをどう持つか、それとどう向き合うか、の勘所は、常に自問自答を重ね、自分の心の声を聞き続けること、であると筆者は思います。

読者の皆さんは、どのようにお考えですか?

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富永朋信(プロフェッショナルマーケター・「幸せをつかむ戦略」著者)
9つの事業会社でマーケティングやってきました。うち、西友、ドミノ・ピザなど4社でCMO。現在は株式会社Preferred Networksの執行役員CMO、イトーヨーカ堂・セルム顧問、日経XTrendアドバイザリーボード、厚生労働省年金局広報検討委員、内閣政府広報アドバイザー等。