横断歩道で停まってくれた車に、「ありがとうございます」と頭をさげる小学生がいる国―美しい日本③
「思いを致す」という言葉がある。時間的・空間的に遠く離れた物事に心を向けるという意味の日本語である。「思いやり」という言葉がある。相手の立場になって考え、思いを共有すること、心を配ること。日本人の豊かな「想像力」が日本を創ってきた
「今月の大切な予定はいつですか?」
私の通っている散髪屋さんは、今月の重要なイベントをさり気なく訊く。1週間後に大きなイベントがあると聴くと、1週間後の私の髪の状態を想像して、散髪する。散髪1週間後、私のお気に入りの状態になっている
「美味しく食べてもらえよ」
出荷するときに、日本の畜産業でトラックにのせられる牛にそう声をかける人がいる。お肉を買って肉料理して“美味しい!”とお客さまが食べておられる姿を浮かべて、牛を育てる国など世界のどこにあるのだろうか。そんなお肉が美味しくないわけがない
「ごめんなさいね。ごめんなさいね」
生け花で、花を切る際、花にそう声をかける華道家がいる。そんな人が生けた花が美しくないわけがない
「今月の大切な予定はいつですか?」「美味しく食べてもらえよ」「ごめんなさいね、ごめんなさいね」と声かける日本人の心が、美しい日本を創った
1.価値観には、美しさの感性がある
一方、ハーバード大学を卒業して一流企業に勤めていますという外国人がいて、椅子を乱雑にしたり、マナーがなかったり、礼儀がなかったりする
礼儀とは、価値観がつくりだすもの
椅子の面は、合わしなさい
お皿は、綺麗に並べなさい
コップは、丁寧に磨きなさい
ということは教えられるが
自然にそうするのが礼儀であり
教えられても無作為にできないのは
礼儀がないということ
そういう価値観がないということ
価値観には美しさに対する感性があり
価値観がないということは
しみついた感性がないということ
海外の街を歩いていると、ゴミに目がつく
ゴミは街におちていないことが普通に考える日本人には
美しくないと感じる
最低限の条件を満たして条件をクリアしたあとは
自由だろうという考え方の世界の人と
それをしないと気持ち悪いと感じる日本人
日本人はドアを開けたら、必ず閉める
海外の人はドアを開けたあと、閉めないことが多い
ドアを閉める必要性、合理性はどこにあると考える
靴だってそう
海外の人は靴を脱ぐ習慣はもともとなく
脱いでも揃えない
日本人は靴を脱いだら揃える、向きまで合わす
そうするものだ
ということを教えられている
日本人は躾として教えられているが
その躾に合理性があるのか?
ありそうで、ない
日本は食器を並べるときも、感性がうるさい
椀はどこに置けとか、箸はどう使うのかとか
どこかで教えられ、それが習慣となり、しみつく
しみついているから
他人がそうしないと気になる
美しくないと感じる
2.横断歩道を渡り終わって、停まってくれた車に、「ありがとうございます」と頭をさげる小学生
日本の3つの美しさがある
⓵ 意匠的な意味の作為・無作為が存在していると理解できる美しさ
② あるがままのカタチ、あるがままであることの美しさ
③ あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチで、ある美しさ
🔳 道に迷っているおばあさんに声をかけて助けてあげるのは、日本の美の⓵である、作為をもって接していることが周りに伝わる
🔳 小学生が無邪気に小学校のグランドで遊んでいる姿は、日本の美の②
🔳 小学生が手をあげて横断歩道を渡っていると、車は停まる。横断歩道を渡り切ったら、その小学生が「ありがとうございました」と頭をさげて御礼をいう
こんな小学生、世界中に、いるだろうか?
なぜ日本の小学生は、停まってくれた車を運転している人に、「ありがとうございました!」というのだろうか?合理性を欠いているんじゃないか?と海外の人はびっくりする
こんな話もある
電車が駅に入ってくると、日本人は電車から降りる人が降りてから電車に乗る。海外の人はそうしない。降りる人は降りる人の責任で降りろ、私たちは乗る必要があるから、電車が来たら先に乗ろうとする。だからぶち当たる
日本人は視覚的観点のなかに、美しさというものを基本的価値観の評価軸として、「自らにとって美しいかどうか」という価値観をもっていて、自分がする仕事にそれが反映されている
自分がしている仕事が美しいか?
他人がしている仕事が美しいか?
こういう価値基準があるから
美しさにこだわり、丁寧に丹精につくる
それに世界は憧れる
日本はどうしてこんなに美しいのだろうかと
日本の美しさの⓵十②となるゴミひとつ落ちていない街は
真似をしたら、つくれる
しかし3番目の日本の美しさは、なかなか真似できない
3 外国人が真似できない3番目の日本の美しさ
「あるべきものが、あるべきところに、ある」態様である日本の美しさ③は、世界ではなかなか実現しない
お箸を揃えるとか
食べる前に手を合わせて「いただきます」
食べた後に手を合わせて「ご馳走さま」
という姿
に世界は驚く
日本人はそれを自然にしている。しかし、ご馳走様と言って、お皿を綺麗に並べたり、食器を台所にもっていかなかったり、靴を脱いだら脱ぎっぱなしにする人がいたらイライラする。美しくないと感じる。なぜか?
自分の価値観とあわないから
この価値観が日本を強くしている
机にパソコンを置いてトイレに行く。海外ならば、誰かがその席に座ってパソコンをもっていく。日本人は、「あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチで、ある」ことを大事にする。だからスマホや財布をどこかに置き忘れても、戻ってくる
こんな社会システム、世界でも真似できない
そういう意味での日本の文明度は高い。これがこれまで日本の強みだったが、弱くなってきている
住宅街では静かにするのだ、電車のなかでは騒がないものだ、そういうことを多くの人が社会的価値観として共有していた。そのとおりであることが、安心させた
電車のなかでは静かにすることが、みんなを安心させて、美しい光景に見える、電車のなかで歌ったり騒いだり、席のとりあいをしている人たちを見ると、なにをしているんだと思う
こんなこともある
「日本製の製品は故障しない」というが、正確に言えば故障しないことよりも、故障したあとのバックアップ体制がすごい
故障したら、必ず直す
これが、3つの目の日本の美「あるべきものが、あるべきところに、あるべきカタチで、ある」。そのものが、あるべき通りに動くものという価値観を持っているから、日本人は一所懸命に直そうとする。外国人は使った製品は壊れるものだからと言って、壊れたものはそのままにする
しかしそれが崩れつつある。失いつつある。現在の日本でいちばん問われないといけないのは
日本人の美しさではないか
そんな堅苦しいという人がいるかもしれないけど、それが社会的安心につながる。左側通行なのに右側通行したら正面衝突となる。正面衝突してもいいだろう、好きにしてもいいだろうという人が増えてきているけど
それは美しくない
日本の産業競争力の低下を問う前に、日本の美しさ、あなたの会社の美しさ、あなたの美しさを失っていないか?と問わなければいけないのではないか。次回、さらに日本の美しさを考えていきたい