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どこで、なにで、おかしくなったー日本の方法論「物真似はどこにいった」③

空飛ぶクルマを、「大阪・関西万博2025年」の目玉にしようとしているが、はたして世界の人は空飛ぶクルマを観に大阪に行きたいと思うだろうか?空を飛ぶクルマが、これからの日本の産業の柱になるだろうか?

先日、中国の深圳のベンチャーが、UFOのような世界初の円盤型有人eVTOL(電動垂直離着陸機)のテスト飛行した。技術の進歩速度を考えたら、予想されていたことだが、だとしたら、空飛ぶクルマを上回る、たとえば船だと思ったら急に空を飛ぶという「空飛ぶ船」を創ったらどうだろうか?万博ならば、それくらいの跳んだ発想があってもいい


1 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で、おかしくなった

電気自動車で日本は遅れている。じゃ、どうしたらいいのか?という議論をする前に、先行する電気自動車を独創的に真似したらいい。昔ならばそうしていたが、それをしなくなった。中国やアメリカの電気自動車が売れているのならば、中国やアメリカの電気自動車よりも良いものを作ればいい。やったらやり返したらいい。しかしそうしない

日本はなぜやり返さなくなったのか?

真似するなんて、下のモノがすること、そんなのカッコ悪い、そんなのハシタない、ロジカルにマネジメントしないといけない、エビデンスにもとづくマネジメントをしないといけないという経営者が増えているが、ビジネスは学問ではない、サイエンスではない

その変化は、どこからきたのだろうか?
一冊の本がある。エズラ・F.ヴォーゲル氏の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が発刊されたのが19797年。その前後から1990年のバブル経済絶頂期までの約10年間の日本の空気は

地に足のつかない
浮足立っていた時代だった

そしてそれから日本は、世界から「鎖国」して、外に学ばない、いや真似しなくなって、失われた30年に沈んでいった

2 イノベーション信仰で、おかしくなった

なんでもかんでもイノベーション
トップもミドルも若手もみんなイノベーション

私たちは世界一位だ、私たちは真似されることはあっても、真似などしない。わたしたちはNO1、だからどこにもない世界初の技術やモノやコトを出しつづけないといけない、画期的なイノベーションをおこさないといけないという時代の空気になった。なにかええものはないんか、みんなが驚くものはないんか、みんなにすごいと言ってもらえるものを創れとなった

日本は、イノベーションの意味を取り違え、「奇をてらい新しいこと」だと考え、世の中と乖離したモノやコトが優先されるようになった。どこにもない新しいモノやコトはないかと研究・検討ばかりするようになった。そんなもの、滅多にある訳がない。だから結局完成させることができなかったり、準備に準備を重ねて満を持してこれで完璧だと思って市場に投入するが、まったく売れなかったり、いままでならばありえなかったようなレベルのトラブルが起こったりした。それは現在につづいていく。なぜそういうことが起こるようになっているのか?それは

基本を疎かにするようになったからではないか

海外からやってきたイノベーションという言葉を、日本人は「技術革新」と訳した。それも、たんなる技術開発ではなく、イノベーションに「価値ある変革」というニュアンスを込めた。イノベーション=技術革新と考えられるようになったのは、戦後日本の消費経済を牽引した圧倒的な物量の家電製品と自動車のイメージが強かったためで、ひたすら高度化に向けた進歩、変化を求めるようになった

note日経COMEMO(池永)「なぜ日本人は「イノベーション」が好きなのか」

しかしイノベーションは、決して技術開発だけではない。プロダクトだけでなく、サービス分野にもイノベーションがある。日本人は「イノベーション=技術革新=IT・DX」と捉えがちだが、たとえば江戸時代の米相場が開発した商品先物取引もイノベーション。リースもシェアリングエコノミーもサブスクリプションなど「お金のもらい方」を変えることもイノベーションなのだが、日本は「技術」「製品」の革新にばかり目が向くようになった。これが日本人の発想を狭めた

そして、「奇をてらい新しいこと」をすることをありがたがる風潮になった。イノベーションとは「奇をてらうこと」だと勘違し、変わったこと、新しいことばかり求めるようになった。今までの機能をすこし変えたり、流行りのものをつけくわえたり、少し見せ方を変えて別のものにして売ろうとしたりと、奇をてらって新しさを訴求して、失敗した店や企業はいっぱいある。そして日本の映画もテレビもドラマも小説も音楽も、面白くないのが増えた。視聴者のリアル、読者のリアルとは乖離した、よく分からない、そんなの現実ではあり得ないよという内容やストーリーが多くなった

尖がったもの、変わったものばかりで
真ん中がなくなった

3 MBAとMOTで計画ばかりを書いて、おかしくなった

ある国のあるモノやコトが売れている、評判である。これはすごいな、面白いなと発見して、それに刺激を受けて、着想・発想して、創ってみた。それを売ったら、多くの人に買っていただけた。そのあとに、人を集めて、いろいろな知恵を加えて、ダントツなモノにした

世の中に目を向けて、ソトの良いものを見つけて、それを真似して自ら創って、売って、お客さまに受け入られ、これでいけると確信をもったら、技術者・専門家を集めて、真似したものを上回るようにした

それが日本の成功方程式だった
勝ちパターンだった

それが変わった
企画や技術部門から人を集めて、現場感覚のないコンサルを事務局にして、大学やMBAやMOT(技術経営)で習ったビジネスツールを使って、これからどうなる?わが社はなにをどうしたらいい?どうしたら生き残れるか?などと、プロジェクトチームやワーキンググループなどを設置して、みんなで企画書や計画書をパワーポイントに何日も何日もかけてまとめるが、それで何かが動いたことがあったのだろうか?誰かの心を動かすことができただろうか?

どこの会社も、だれも考えたことがないようなモノやコトなど、そんなオフイスでの議論で生まれることなど滅多にない。そうやって人と時間と金をかけてまとめられた計画は、どこかの、誰かの物真似にすぎない。そもそもMBAで教えているベンチマークは


物真似である

だとしたら、堂々と物真似したらいい。世の中は競争だから、世の中にあるすごいモノを探して、それよりも良いもの、佳きものを創ったらいい。人気のあるレストランがあったら、その店に行って、これは美味しい・すごいと思ったら、なぜ美味しいのだろうか?、これを自分で作ってみようとする。これでいい、これで食文化が進歩してきた

真似はいけない、真似はルール違反だ、真似はずるいとかいって、良いものを良いものとして認めなくなり、美しいものを美しいと感じられなくなったのが現代日本

古代から、日本は中国から世界最先端の知識・思想・技術など何から何まで中国を真似た。生命をかけて中国の都市に船で渡って、いろいろな人に会い、いろいろなモノやコトを見て、これはすごいと思うモノやコトを怒涛の嵐のように日本に持ち帰り、徹底的に真似して、磨いて、発酵させ、洗練させ、元のモノやコト以上のモノやコトに創り上げた。怒涛の嵐のように外から受け入れて、内で独創的に真似て、内のそれまでのモノやコトと結合させて、じっくりと練って独自のモノやコトを生み出した

するとまた怒涛の嵐のように、外からすごいモノを取り入れる。そのなかから取捨選択して、あるモノを真似て、内のモノと結合させて、すごいモノを創造していった。その方法論は、平安時代にも鎌倉時代にも、室的時代にも、安土桃山時代にも、江戸時代にも、展開された。怒涛の嵐のように、外から受け入れて、独創的に真似て、内でそれまでのモノと結合させ、発酵させて、すごいモノを創造するというサイクルを繰り返してきた

明治維新に入ったら、今度は西洋から、新しい社会・産業技術を真似した。最初はしっくりこなかっても、時間を経るごとに、もともとの日本のモノやコトと結合させて、洗練させ、独自なモノ・コトを産みだしていった。そして、すごく良いねと評価された。そして戦後、アメリカを真似して、40年前に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持て囃されて、自惚れ、思考停止した


そこからおかしくなった

だったら、また良いものを真似したらいい。かつてのように怒涛の嵐のようにソトからすごいモノ・コトを受け入れて、独創的に真似たらいい。内のモノ・コトと結合して、元よりもすごいモノ・コトを創ればいい

では、どうしたらいいのかは、明後日の物真似シリーズの最終回で


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