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岐路に立つ「成熟した債権国」

本当の見どころは季節調整値
10月10日、財務省より発表された本邦8月国際収支統計は経常収支が+589億円と8月としては現行統計開始以来で最小の黒字を記録しました:

既に発表済みの8月貿易統計が▲2.8兆円と史上最大の赤字だったため、低水準の経常黒字は予想されたものではあります。商品市況は夏前にピークアウトしているものの、輸入統計における鉱物性燃料価格へ反映されるには暫く時間がかかります。また、時節柄、円安で輸入金額が押し上げられているというデメリットがクローズアップされやすいですが、第一次所得収支黒字が円安で膨らんでいるという実情も踏まえ、総合的に評価されるべきではあるでしょう。単純に「対外収支の赤字が大きいのは円安のせい」という主張に帰着させようというのはやや乱暴です。基本的には商品市況の落ち着きと共に赤字額は減っていくはずです。

もっとも、今回、注目すべきはヘッドラインで報じられる原数値ではなく季節調整値だと思います。季節調整済みの8月経常収支は▲5305億円と2か月連続で赤字を記録しました。これは現行統計で比較可能な1996年以降では初めての動きです:

今年の春以降、筆者は今次円安を「ドル高の裏返し」と整理し、単に金利差だけから説明することの危うさを執拗に議論してきました。noteでも何度か取り扱ったテーマです:

近刊の拙著『「強い円」はどこへ行ったのか』(日経プレミアシリーズ)では、日本が「成熟した債権国」から「債権取り崩し国」への道を歩んでいる可能性を議論し、今次円安の背景について構造的な視点を持った方が良いのではないかと提案させていただきました:

https://www.amazon.co.jp/dp/4296115065/

 実際、「債権取り崩し国」に近づいているかどうかは事後的にしか分からないことではあります。そもそも国際収支の発展段階説で提示される6段階は「必ずそうなる」とか「その順番通りに進む」とか、何らかの確定した未来を約束するものではありません。英国のように「債権取り崩し国」から「未成熟な債務国」へ1周して戻ってきても、国際金融センターを擁するがゆえに安定を享受するケースもあります(もっとも直近では金融市場の反感を買い不安定になっているわけですが):

しかし、世界で3指に入る経常黒字国だった日本で季節調整済みの経常黒字が消滅し、「円安の年」としては1985年のプラザ合意以降で最大の値幅を更新している状況を前に、構造的な円安の可能性を議論しないのはやはり真摯な分析態度とは言えないように思います。円安が始まった今春時点で、こうした論調を提示すると「日本の経常赤字は一時的であり、構造的な円安とは言えない」という反駁も多くありました。しかし、もうそうした論陣は大分後退したように思います。

もちろん、円が変動為替相場制で取引され、ドル全面高が事実として相当極まってきている以上、円高への揺り戻しはあるはずです。しかし、それを「長期下落トレンドの中での押し目」と整理する立場はかつてよりも増えるのではないでしょうか。
 
「円安は日本経済全体にとってプラス」は現場知らず
筆者は現状、ほぼ毎日、多様な業種の事業法人の方々とお話させて頂く機会に恵まれています。年初9か月間で見られている円安は、輸入企業は言うまでもなく輸出企業にとっても苛烈なものであり、長期的な為替戦略の必要性を検討し始めている事業法人は少なくありません。為替の変動率が高く、社内レートが固定しづらい状況が続くと予算が立ちにくくなります。それ自体を事業リスクと見なす向きは当然あります。例えば輸出企業でも、手持ちの円貨をどうすべきという論点は浮上します。これだけ相場が乱高下すれば「このままで良いのか」という思惑はどうしても出てくるものです。

詳しくは上述の拙著『「強い円」はどこへ行ったのか』の中で整理していますが、「日本の大企業製造業を中心にメリットがあるので日本経済全体にとってプラス」という主張は「様々な条件を一定にして緩やかに円安が進んだ場合、GDP成長率にとってプラス」という総論であって、各論に目をやればもっと考えなければいけないことがあります。以下のnoteでも詳しく議論したことがります:

例えば、ごく足元の状況に目をやれば、国内に生産拠点を構える輸出企業は為替上の追い風を感じつつも、部材の供給制約に悩んでいるケースは多いように見えます。そうなると円安で攻勢をかけようにも思ったほど生産が進められないことになります。また、日本経済全体として加工貿易の性格が色濃いため、部材が高騰しているところに円安が加わると輸出企業が「高いものを輸入して、安いものを輸出している」構図に直面しやすくなりあす。これはGDP統計上の交易損失として今次局面では頻繁に問題視されているところであります:

筆者の観測できる範囲での肌感覚に過ぎませんが、「円安は日本経済全体にとってプラス」と言って納得する日本企業は輸出企業であれ、輸入企業であれ、現状では決して多くないように思えます。もちろん、その感覚が絶対に正しいと言うつもりはなく、経済分析上で得られる「円安は日本経済全体にとってプラス」という結論を正義とする総論にも立場があることは理解します(日銀のように)。
 
「債権取り崩し国」の悩みは格差拡大に?
しかし一方、各論に目をやれば、日本において「円安で得する経済主体」と「円安で損する経済主体」に分断があるという問題も無視できないでしょう。前者の代表格は輸出大企業、後者の代表格は一般家計でしょうか。例えば前者が円安で収益を積み上げた結果、後者の賃金が相応に増えるでしょうか。そうではなかったことは、アベノミクス後の約10年間を振り返ればよくわかるでしょう。その背景にある問題は、恐らく1つではないでしょうが、例えば硬直性が指摘される日本型雇用などの論点も絡んでいそうであり、そうだとすると経済政策の範疇を超えて、非常に大きな話になります。

いずれにせよ、「円安で得する経済主体」から「円安で損する経済主体」へのスピルオーバーが十分ではないという前提に立てば、円安は格差拡大を助長する相場現象にとどまります。「債権取り崩し国」としての今後の日本が慢性的な円安に悩むのだとすれば、今後は格差拡大が社会問題としてより大きなものとなっていくということでしょうか。もちろん、「成熟した債権国」としての地位がやはり当分続き、円安相場が収束するという可能性もないわけではないと思います(資源価格次第でしょう)。

答えは事後的にしか確認できないものですが、歴史的の分岐点に立つつもりで円相場や日本経済を分析する必要性は増しているように感じます。

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