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「文化アイデンティ」と「歴史の再解釈」が、ビジネスの大切な要素になっている。

日経新聞電子版をいろいろと読んでいたら、かなり興味深い記事に出会いました。およそ半年前のFTの翻訳記事です。スコットランドで酒を巡る広告を禁止するかどうかが議論されている、というのです。

健康を害し、社会的なトラブルを招きやすいとのアルコールのネガティブな面が禁止論を導くわけですが、禁止反対論者はアルコール消費減による経済的打撃だけでなく、スコットランドの文化振興にまで影響を及ぼすといって禁止論にNOと言っています。

まず、仮に禁止になると次のような事態になります。

規制が実施されれば、ビール、ワインや蒸留酒は、消費量を減らすためにたばこと同じく店の奥に追いやられるか、扉の閉まった棚の中に置くことを義務づけられる可能性がある。

他方、ウィスキーの売り上げは記録的に伸びているのです。

スコットランド経済が低迷するなかでも、海外需要の急激な拡大を追い風に22年のウイスキー輸出額を前年比37%増の62億ポンドという記録的な水準まで伸ばしてきたという実績がある。

アルコール業界からの大反発の底には、スコットランドの人がもつ文化アイデンティを育む土壌がひっくり返される、という危惧があります。クラフトビール会社のブリュードッグのCEOを務めるジェームズ・ワット氏は、次のように述べています。

社会は進化し、アルコールとの関係を改善する必要があるかときかれれば、答えはもちろんイエスだ。では、そのための解決策がスコットランドでアルコールの広告を禁止することかと言われれば答えはノーだ。広告禁止はむしろスコットランドに悪影響を及ぼすだろう」

(アルコール企業による)スポンサーシップや広告がもたらす多くの収入は、スポーツやコミュニティの振興を目的とする重要な草の根活動の資金として使われてきたが、それが失われかねない。それにスコットランドはウイスキーの本場として世界的に知られている」

たばこの広告禁止が、世界の隅々まで風景を変化させました。今や、くわえたばこで男らしさを表現する映画など、ちょっと時代錯誤じゃないのと思われます。それと同様の風景の変化がアルコール広告禁止によっておこる可能性があるのですが、スコットランド人の文化アイデンティティが肩身の狭い思いをする、という部分にぼくは注視したいです。

文化アイデンティありきで、すべてが決まるわけではありません、もちろん。ただ、今の世界で極めて大事な要素として尊重されているのは確かで、ユネスコ無形文化遺産も、そうした文脈に沿っています。あるいはEUの加盟国のそれぞれの言語がEUの公用語であるのも、やはり各地域の文化アイデンティティが絡んでいます。

そして、この文化アイデンティは歴史の解釈ととても近い関係にあり、それがビジネスの世界でも、これらの2つ、文化アイデンティと歴史の解釈(正確には再解釈)が鍵になっています。このスコットランドの問題では、アルコールの存在を過大に評価し過ぎてきたのではないか?と歴史の再解釈が迫られるかもしれません。

フェミニズムによる歴史の見直しをすれば近代とは18世紀や19世紀ではなく、20世紀後半が近代のはじまりになるかもしれないし、脱植民地主義からすれば西洋近代の歴史など叩けば埃がでます、片っ端から。実際、ナポレオンがエジプトから持ち去った文化遺産など、徐々に返却されつつもあります。

このように歴史の再解釈がさまざまな見地から行われている今、過去の歴史観での「オリジナル」や「本物」は、見直されるかもしれないことを前提に考えざるを得ません。それに加え、あらたに宙ぶらりんになった「オリジナル」や「本物」に依拠した文化アイデンティティも、どのように重んじていけば良いのかは再考しないといけません。文化盗用(以下を参考ください)という事故を回避する手立ては真剣に検討しないとリスクが高い、ということですね。

先月、『「ビジネスと文化」を論議するー文化創造者としてのラグジュアリー・スタートアップ』という記事を書きましたが、上述の潮流を踏まえ、新しい文化をつくっていく一つの方向がラグジュアリー・スタートアップであると考えています。手前味噌ながら、このテーマのオンラインプログラムを11月からスタートさせますが、今週、参加者の募集をスタートしました。

新しいラグジュアリーのオンラインプログラム

このプログラムでは、参加者が一人一人、自分の素材を決め、それを欧州でどう紹介していくかを3か月のタスクとして想定しています。その際、文化アイデンティが絡んできます。

文化アイデンティとは、個人のなかにいくつか複数あり、それらを状況によって選択していく、または自ずと浮上してくるものです。固定的な単一のものではないです。だから「これは自分が日本人であると感じる伝統工芸です。よって欧州で紹介したい」という説明では不十分で、欧州人との対話が生まれにくいです。対話ができやすい土壌をどう欧州側に自ら作っていくか?がテーマになります

しかも、これまでに述べたように「状況は頻繁に変化しつつある」のです。ひとつの文化アイデンティを一生変えずに生きていく人は稀な時代なのです。

このプログラムの企画を一緒にやってくれている前澤知美さんは、ミュンヘンで仕事をしているアートディレクターです。講座のサイトにとても刺激的なことを彼女は書いてくれました。

ラグジュアリーは「良いもの」の極みとも言えます。しかしその言葉の響きには優劣の差別があるようにも聞こえます。新しいラグジュアリーは、その認識の檻から一歩抜け出すことを誘う「新しい」という言葉がポイントです。「更新」ではなく「革新」のラグジュアリーとは、古い「良いもの」の定義に対抗するのではなく、それが数多くある価値観のひとつでしかないと気づき、彼らの居場所を尊重しながら、時には触発されたり意見交換をしながら、別の場所に立つことではないでしょうか。

私自身がそのような視点を持つようになったのは、さまざまな文化圏で生活し、異文化に価値観を覆されるたび、つまり別の「良いもの」の基準に出会うたびに、自分を見失うのではなく、むしろ「私が良いと思うもの」が強くなっていったからです。それは差別化のプロセスというよりも、他の価値観とのつながりを得ることで、その通用性を強くしていったという実感でした。だからこそ、このプログラムは、参加者の方にとって、価値観の檻から抜け出せる場所であり、多様な価値観と正直で対等な意見の交換ができるような場所にしていけたらと考えています。

太字にした部分をどれだけ自分で実感できるか?または、実感できるように努めるか?これが試されています。

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