日本円の現在地~年初来安値を受けて~
「円安の夏」の背景
お盆休み中、ドル/円相場は一時146円台を突破、断続的に年初来高値を更新しました:
かつて日本の盆休みは「円高の夏」として警戒されていましたが、昨年、今年と真逆の「円安の夏」に直面しています。これまでの盆休みが「円高の夏」だったことの理由は判然としません。例えば多くの参加者が一斉に休暇を取るタイミングで為替市場の流動性が薄くなる中、残された実需勢のリーブオーダー(為替予約による事前注文)が機械的に約定して値が飛びやすいシーンが多発するといった解説はよく見られました。その説が正しいかはさておき、そのような事態は現状にも当てはまるものでしょう。
決定的に異なる点は、かつての実需勢は輸出企業を中心とする円買い、今の実需勢は輸入企業を中心とする円売りという事実です。日本が抱えている需給環境が本邦市場参加者の居なくなるタイミングで顕在化しやすくなるのが盆休みという時期なのかもしれません。
円安は「欧州通貨高の裏返し」
現状、円は引き続き独歩安の状況にあります。筆者は今次円安を「ドル高の裏返し」と整理し、FRBの政策転換(pivot)を契機として円高に戻ると主張する姿勢は為替市場の見方に違和感を覚えてきました。実際、そのような見方が報われてこなかったのが過去半年の為替相場でしょう。
こうした論点については過去のnoteでも繰り返し言及してきました:
円安が「ドル高の裏返し」というのはイメージ先行という部分が大きいように感じます。例えば最近の名目実効為替相場(NEER)の動きを見ても良く分かります:
図は主要通貨について年初来のNEERを比較したものだ。8月7日時点で円は▲6%と独歩安ですが、ドルも▲0.7%と軟調です。事実として起きていることは「円安かつドル安」です。片や、英ポンドやスイスフラン、ユーロなどの欧州通貨が+4.0~+6.0%と堅調であり、2023年の為替市場全体ではドル高の流れは既に断ち切れており、むしろ欧州通貨高がトレンドになっていると言えるでしょう。
なお、水準で見た場合、円のNEERは1ドル152円付近にあった2022年10月並みの水準まで下落しています。しかし、図に示すように、当時(昨年10月)ほどドルのNEERが高いわけではありません:
具体的には1ドル152円まで接近した昨年10月21日時点でドルのNEERは110.29でしたが、今年8月7日時点では103.07と▲6.5%ほど下落しています。しかし、同じ期間で円のNEERは+2.6%しか上昇していません。ドル相場が円相場の動きを規定しているかのような解説が未だに目立ちますが、事実はそうではありません。敢えて他通貨の傾向から今年の円安を説明するならば円安は「欧州通貨高の裏返し」と表現するのが適切でしょう。
なお、上図を見る限り、確かに昨年は年を通じて「ドル高の裏返し」と言えるような局面が続いたようにも見えます。しかし、そもそも円安が始まった2022年3月、ドルのNEERは横ばいでした(厳密には▲0.01%下落している)。少なくとも今次円安の発火点はドル高では決してありません。とすれば、そもそも円安が始まった背景に日本固有の要因があり、それが経常収支や貿易収支など、需給環境の大きな変化ではないかと言うのが従前からの筆者の立場です。
「安全資産としての需要」は期待できるのか
もちろん、円安の裏側にあるのがドル高にしろ、欧州通貨高にしろ、共通して言えることは「日本と違って海外は利上げしている」ということなので内外金利差が円安相場を支えているという解釈も確かに重要です:
特に今後はFRBやECBを始め、多くの海外中銀が利上げ停止後、「タカ派的な現状維持」を決め込む時期に差し掛かるでしょう。政策の予見可能性が高まる中、恐らくボラティリティも落ち着きを見せるはずです(中国の不動産市況次第とも言えますが、少なくとも現時点では)。そうなれば円キャリー取引を背景として投機的な円売りが積み上がりやすい環境と言えます。
同時に、来るべき海外中銀の利下げ転換が円高をもたらす展開もある程度は不可避と思われます。しかし、これまで円相場の押し上げに使われてきた「安全資産としての需要」はもはやスイスフランの専売特許のようになってしまっています。最近で言えば、ロシアのウクライナ侵攻時に円は買われるどころか結局売られています。もっと言えば米国で株が売られている時に円高になるという昔良く見られたようなパターンも最近ではそれほど安定していません。今後、米景気の失速が鮮明になり、利下げ転換が現実味を帯び、ひいては世界経済全体に暗雲が垂れ込める状況になったしても、果たして円がどれほど求められるのでしょうか。
「安全資産としての需要」はアウトライトの自国通貨買いを相応に含む経常収支(≒貿易サービス収支)があってこそ成立するものであり、例えばスイスフランやユーロにはそれがあります。
片や、あくまで「会計上の黒字」である第一次所得収支黒字頼みの状況に陥ってしまった日本において、かつて経験した強烈な円高が再現されることがあり得るのでしょうか。この辺りも過去のnoteで議論しています:
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA075J80X00C23A8000000/
大幅な利上げも難しく、需給環境の改善もさほど期待できないのだしたら、円高が起きると言ってもかなり限定的な相場現象にとどまるのではないでしょうか。「どうせ円高に戻るはず」というのは貿易黒字時代の発想であり、従前とは視点を変え、いくつかの仮説を走らせながら見通しを作っていくことが必要になると考えます。昨年3月、筆者が構造的な円安の可能性を指摘した際、疑義を唱える向きが多かったですが、あれから1年半が経過し、まだ円安は終わっていません。せめて可能性を疑う姿勢は失ってはならないと思います。
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