男性にかけられた「男らしさ」の呪いもまた、解くべきなんだろうと思う。
わたくし、この1年間女のひとのこと、特に女性が働くこと、共働き、育児との両立について多く投稿しておりました。
基本的に女のひとの味方でいたいと思ってるんです。
でも実は、今年思いを馳せていたのは、男のひとたちのことでした。
女性活躍って女性だけが頑張る話?とずっと腹が立っていて、そのために男性を理解せねばと思ったのが始まりだったのですが、
男性も本当の意味で幸せにならないと、皆幸せになれないと今は感じているから。
いやそもそもは、あのですね。
何を今さら感満載ですが。
男性という生き物が分からない時がある
どうしてそこでそういうこと言う?
逆になんで今何も言わない?
人の気持ちに寄り添うとか、考えたことある?
なんでそこで張り合ってるの?
え?実はそれ地雷だったの?
などなどなど。
(俺のこと?って不安になった方大丈夫です。色んな話混ぜてます)
で友達と出した仮説が、
「感情に向き合わなくても、男性の人生というものは今まで成立していたのでは?(特に40代以降)」
本当は全て個人差で、性別での決めつけはバイアス。
でも男性学の本を読んだり、こんな記事を見ると、男性という性別で強いられる辛さも確かに存在しそうで。
生まれてから、男の子は泣かないの!から始まり、
少々乱暴や言葉少なめぶっきらぼうでも
元気なほうがいい、
お母さん(将来は奥さん)が家のことやるから、
あなたは勉強してなさい、
いい大学いい会社へ。競争に勝ちなさい。
そこから外れるともう終わり。
お金を稼ぐ人が一番えらい。一家の大黒柱になれ。
飲み会は武勇伝や馬鹿話で盛り上げてなんぼ、
うじうじ悩むな、弱音を吐くな、くどくど喋るな、男らしくない…。
とにかく働き続けるため、なるべく感情が排除されるように仕組まれてた?と勘繰ってしまう。
寄り添ってほしいし、出世もしてほしい
が今の時代、急速に家事育児の分担への要請、さらに寄り添いや言葉が足りないと言われたり、感情への対応が求められるシーンが増えているはず。上手くアップデートできず、家族や周りの人が離れてしまったり、婚活で失敗とかのケースも聞いたり。
でも一方で実はしんどいのは、稼いでもほしい、男の甲斐性、マッチョ性など旧態依然の価値観もそのまま残ってしまっていること。
私も懺悔すると、男女平等とか言いながら、仕事が佳境の時に、仕事相手が子どものケアで帰っていて「奥さんどうしてんの?」と思ってしまったり、乳児健診に父子だけで現れたのをみて「平日昼間に休めるって何者?」とか訝しがったり。自分でもその矛盾にゾッとするのです。
女性たちや世の中も、男性観を変えることが必要と思う
男の子だって泣いてもいいこと、
負けても人生が終わるわけではないこと、
「男たるもの出世したいはず」と決めつけない、
表面的な肩書に翻弄されない鍛錬、
初デートでおごる必要はないし、
家事は男女問わず、
人間として身に着けるべきスキル。
男に何言っても無駄とかあきらめないこと。
お互い言葉にすること。
(あ、「おだてて転がして男を育てろ」とかはちょっと私嫌いなんです。ある意味男性を馬鹿にしてるようで。面倒くさくてすみません)
男性たちを守っていた肩書や特権、男らしさは鎧であり剣だった。
それを振りかざすことで見つめないで済んだ、奥に隠れていた本音、コンプレックスや弱みや痛みに向き合い、受け入れる勇気を男女ともに持つべきなんだろうと思う。(結果女性が何でも言うこと聞けではありません)
今、少ーしずつその膿が出されている気がする。
きっと前より平日昼間の健診はパパ1人でも変な注目を集めないはず。次の世代はもっと柔軟だろうし、私も負の遺産はここで断ち切るように頑張る。
また来月…来年!!よりうれしいニュースが増えるといいな。