五輪レガシー2:スポーツの「過程」にある価値を探れ!
「メダル至上主義さらば 選手に重圧、競技団体も潤わず」との11/26日経記事がアクセスランキング上位で注目されていた:
まとめると、「メダル獲ったアスリートは心を消耗し、競技団体はお金を消耗して、そのあとに残ったものが期待外れかも?」という話。
「メダルとれても五輪後に競技団体の収入は減ると思うよ」という予言は五輪前からあり(為末大さんとか言ってた)、現実化した。メダルでメディア露出できても、情報過多な今のネット時代に昔ほどのインパクトはなく、広告効果として回収できないと判断されがち。「社会課題に一緒に取り組む企業のパートナー」としてスポーツを再定義せねばならない。トップアスリートにとって競技成績は必要条件だが、十分条件とは限らないのだ。
一般化すれば、「結果に依存するな、過程に価値を見いだせ」となる。
要点の整理
この記事のポイント3つについて:
1.東京五輪後の潮流はメンタルヘルスとセーフスポーツに
2.メダルを競技普及の起点とする成長シナリオに限界も
3.メダル数だけでは測れない新たなスポーツの価値が必要
このうち、1.メンタルヘルス問題はスポーツに限らないし、実は昔=20世紀からあった話かとは思う。ビジネス界でも芸能界でも成功者の裏の重圧はこれまでも存在していた。アメリカのアメフトなど高収入アスリートなども燃え尽きまくり、何十億円かを稼いだのに破産したり(殺人容疑濃厚だったり)していた。今の変化とは、とくにコロナ禍以降に「概念化・言語化」され、見えるようになった面が強いのでは。
本当に新しいのは、2−3,メダルだけではダメ、新たな価値とはなにか?という提起だと思う。
競技結果だけでは長期的な成功につながらない
記事有料部分だが、わかりやすい図が1枚あり、上半分だけ引用;
20世紀に入って国のスポーツ予算はおよそ3倍ほどに増え、メダル数も1996年アトランタ14個であったのが2021東京では58個まで増え、成果につながっている。にもかかわらず。五輪競技団体の収入は2020年度から(コロナ禍もあるとはいえ)やや低下傾向ですらある。
つまり、メダル獲得、という結果だけでは、競技の長期的な成功につながらない。ここまでが笹川スポーツ財団『中央競技団体現況調査』 2022年度調査結果をふまえた整理のようだ。
記事の最後、「スポーツ協賛、露出より課題解決」と整理されていて
競技団体側は、日本代表を応援すること自体の宣伝効果がいまだに大きいと考えているが、企業側は社会的価値を重視するようになり、従来型の広告宣伝提案だけでは響かない。
新たなスポーツの価値とは何か?
では、その先にあるものとは? その1つの視点を書いたのが、11/14公開のnote「東京五輪レガシー=海外コーチ」説
2020東京五輪が残した価値の1つに、「外国人コーチ × プレイヤーの海外経験」の相乗効果による、新しいリーダシップやチームビルディングについてのモデル像の提示、が挙げられるのでは?という仮説だ。
このnoteで紹介した自転車トラックやハンドボールなどは、五輪などで期待以上の「結果」を出し、五輪後もスポンサー支援がむしろ強化されているようだ。実際に、強化体制や指導法などの「過程」も今までとは違う新しさがあると思う。
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なお、競技の結果の先には、さらなる大きなものがある。超トップレベルのアスリートだけが持ちうる「影響力」だ。単なる知名度を超えた希少価値がある。その成功パターンの1つは、6月note「セレーナ・ウィリアムズは1兆円以上! 「アスリート投資家」という新たな存在」をご参照:
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