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「定年」の呪縛に終止符を

昨今、「定年」を延長する日本企業が増えている。

背景には、人口減少に伴う労働力不足や、改正高年齢者雇用安定法で、70歳までの就業機会の確保が企業の努力義務になったことなどがある。

「定年制」は日本企業の95%以上が導入*している非常にポピュラーな制度だが、ぼくが所属しているサイボウズには「定年」の考え方がない。
*厚労省『平成29年就労条件総合調査』参照

何歳であろうと「やるべきこと」「できること」「やりたいこと」のマッチングを基本的な考え方に置き、それさえマッチしていれば、何歳であろうと働き続けることができる。

なぜ日本企業の多くは「年齢」を軸に雇用管理を行うのか。今回は「定年制」というテーマで思うことを書いてみたい。

「定年制」とは何か?

「定年制(定年退職)」とは、「労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度」である。

先述したとおり、日本では非常にポピュラーな制度であるが、一方で、世界を見渡してみると、「定年制」が原則不可となっている国もある。

たとえば、アメリカやイギリスでは「定年制」は、雇用における「年齢差別」とされ、一部の例外を除いては原則的に禁止されている。

確かに言われてみれば、まだ十分働けるのに年齢を理由に一律で解雇される、というのは差別的な取り扱いであるように思える。

また「定年制」は、有期労働契約の期間の定めとは違い、定年到達以前の退職や解雇を制限するものではないが、日本の場合、大企業に多くみられる「終身雇用」の慣行と相まって、「定年」まで勤め続けることが美徳とされ、「途中退職=裏切り」とみなされることもある。

別に何歳まで働こうが、何歳で辞めようが、チームと個人がうまくマッチングするのであれば、「年齢」は特に関係ないような気もしてくるが、日本で「定年」が重要な意味を持つのには、もちろん理由がある。

ここからは「カイシャ」と「シャカイ」の両方の視点から、「定年制」の存在意義について見ていきたい。

定年にまつわる「カイシャ」の事情

まずは「カイシャ」、つまり企業側の視点から「定年退職」という制度を見ていきたい。

日本型雇用の大きな特徴として、①職務(ポスト)を限定しないこと ②職務(ポスト)に関係なく給料が(ある程度年齢に比例して)上がっていくこと の2つが挙げられる。

これら2つの特徴は、就業経験の無い若者(新卒学生)を一括で採用後、強制的に人事異動させることで労働力を確保(雇用を維持)しやすくしたり、段階的かつ長期的に難しい仕事を与えていくことで手厚い人材育成を可能にしたり、誰もがキャリアアップするモチベーションを得られたりと、大きなメリットを会社、社員の双方にもたらすものだが、幾つかの弱点がある。

参考記事:強制人事異動をやめたら、組織は崩壊するのか?

中でも、決定的な弱点は「膨れ上がる人件費」と「解雇の難しさ」である。

欧米社会のように「職務(ポスト)」を限定して採用しているのであれば、給料(人件費)も「職務(ポスト)」に見合ったものになるし、「職務(ポスト)」がなくなれば一定の手続きを経た上で解雇することも可能である。

しかし日本企業の場合、「職務(ポスト)に関係なく年齢とともに給料が上がっていく」ため、人件費が実際の業務内容に見合わないものになる上、「職務(ポスト)を限定していない」ために、「職務(ポスト)」がなくなったとしても解雇するのが難しい。

よって日本企業は、どこかのタイミングで人を強制的に解雇しなければ、経営が立ち行かなくなってしまうのである。

では、この強制解雇のタイミングをどこにするか、という話になってくるのだが、そもそも「職務」を限定していないのだから、「職務」を遂行できるかどうかを基準にするわけにもいかず、給料その他処遇に年功的な要素が含まれている以上、結局のところ「年齢」を基準にするほかない。

そのため、日本の「カイシャ」には、一定の年齢で強制解雇する「定年退職」が必要になってくるのである。しかし、ここで疑問が湧いてくる。

「定年制」が、賃金原資の増大と、人事の停滞を解決するためにあるとすれば、「定年」を延長することは日本企業にとって、大きなダメージを与えることになるはずである。

しかし、日本の法律は「定年」を延長する方向にシフトしている。

この矛盾を理解するためには、日本の「シャカイ」にとって「定年」がどのような意味を持っているのかを知る必要がある。

定年にまつわる「シャカイ」の事情

どんな国でも、重要な社会的トピックの1つに「国民の生活保障」がある。そこで重要な役割を果たすのは、多くの場合「雇用」と「年金」である。

働いている期間は企業等で「雇用」されて給料を、そして、働けなくなった後は「年金」をもらうことで、人は生活に必要なお金を得ている。

そして「定年」とはまさに、「雇用」をどの年齢で区切るか、ということと同義である。

そのため、特に高年齢者の生活保障を考えるうえでは、「定年」と「年金」は切っても切り離せない関係にある。

実際、日本で1941年に成立した労働者年金保険法の養老年金の支給時期である「55歳」は、当時の企業の定年年齢が概ね「55歳」だった、というところからきている。

つまり、少子高齢化による財政悪化等で「年金」の支給時期が遅れるのであれば、「カイシャ」の「定年」を伸ばしてもらう必要が出てくる、というわけである。

またそれに加えて、特に日本の「シャカイ」は「定年延長」という「カイシャ」内部の労働市場で雇用を維持してもらいたい特別な理由がある。

一言でいえば、日本社会では中高年齢者が新しいカイシャに中途入社するハードルが高すぎるのである。

先述したとおり、日本社会は1つのカイシャの中で長期間、さまざまな仕事を経験しながらキャリアアップさせることが多いため、「職種」を軸にした企業横断の外部労働市場が欧米社会ほどには発達していない。

また、その「職種」で働くために必要となる「職業能力」の訓練も、基本的には「シャカイ」ではなく、「カイシャ」が担っているために、その企業の中でのみ通用する特殊技能の割合が高くなり、採用の基準も「この『職務(ポスト)』をお願いできそうか」というよりも、「この『人』と長くつきあっていけそうか」という視点が基準になりやすい。

加えて、日本企業の賃金は年功的要素が強く、年齢に比例して給料もそれなりに高くなるため、「給料が高く、既に他の会社で教育され、長期的かつ広範囲なコミットが見込めない中高年齢者」よりも、「給料が低く、まだ何の色にも染まっていない、長期的にどこの部署でもやっていけそうな若手」を採用したがる傾向にある(ちなみに欧米社会は逆で、経験豊富で職務を安心して任せられる中高年メンバーの方が重宝されるケースが多い)。

つまり日本では、一度「カイシャ」から出てしまった中高年メンバーが、もう一度他のカイシャに「雇用」されるということが難しいからこそ、他の国よりも一層、「定年」を長くすることに意義があるのだ。

「年齢」の呪縛を解き放つには

2000年代以降は労働法政策を議論するなかでも「定年制は年齢差別」という問題意識が共有され、誰もが年齢に関係なくいきいき働ける世界を目指し、「カイシャ」は年功賃金制や職務を限定しない働き方からの脱却を、「シャカイ」も職種を軸とした企業横断の外部労働市場構築を意識した施策を打ち出しているが、20年が経過した今もなお、既存のやり方から大きく抜け出すことはできていない。

それもそのはず、先述したとおり、現在の日本型雇用には「モチベーション」「育成」「雇用」という観点から、依然として一定のメリットがあるうえ、本当に欧米社会のような「職種」を軸にした社会に変えていくには、社会システムを丸ごと見直すくらいの気概が必要になるからである。

しかし、ぼくは(まだ仮説でしかないが)サイボウズで起きている現象がこの状況を打開する1つのヒントにならないだろうか、と考えている。

冒頭にも書いたとおり、サイボウズには「定年制」が存在しない。

これは賃金が年功的ではないうえ、労働条件を「やるべきこと」「やりたいこと」「できること」をベースに個別決定しているため、「定年制」を設ける必要がないからである。

参考記事:「ジョブ型」かどうか、より大切なこと

ここで特に注目したいのは、サイボウズの少なくない中高年メンバーがサイボウズ以外にも居場所を持っている、ということである。

月に1回程度、NPOで複業をしているという人もいれば、週3日はサイボウズで働き、残りの2日は他の会社で複業しているという人、また、本業の仕事を持ちながら、週2日程度、サイボウズ側を副業として働いている人など、距離感の取り方は人によってさまざまである。

参考記事:「シニア副業」を間近で見る若手社員の胸中

中には、徐々にサイボウズで働く日数を減らす一方、副業先で働く日数を増やしていった結果、最終的に副業先の会社に完全に転職する、というようなケースも存在している。

つまり、サイボウズでは中高年メンバーが「多様な距離感」を選べることで、比較的、柔軟かつ安全に外部の労働市場とつながっているのである。

職種別労働組合も大きな力を持たず、企業を横断した分かりやすい基準がない日本社会で、既に他の企業独自の文化で育ってきた高給の人をいきなりフルコミットで雇う、というハードルが高いのは十分に理解できる。

でもそれも「まずは週1日から……」など、労働力をグラデーションでみることができるようになれば、今より外部労働市場とつながるハードルが下がる、ということは無いだろうか。

さらにテクノロジーの力によって、もっと社内の「情報共有」が進んでいけば、コミットする割合が少なくても、周囲がどんなコミュニケーションをしているのかが見える化され、外から来た人も、その企業の文化になじみやすくなる、ということはあり得ないだろうか。

1人ひとりが「カイシャ」との多様な距離感を選択できるようにし、情報もオープンにしていくこと。情報技術とインターネット的な価値観を取り入れることによって、職務を限定しない等、日本型雇用の良いところは残しつつ、何歳であろうと、働く人が安心安全に自分の居場所を見つけていける、そんな「シャカイ」をつくっていくことはできないだろうか。

若手、中高年、シニア。そんな枠にとらわれず、1人ひとりが自分らしく幸せに生きられる、そんな社会をつくりたいという共通の「理想」を持つ人たちと、ぼくはこれからも力を合わせていきたい。

参考文献:
独立行政法人労働政策研究・研修機構『データブック国際労働比較2019』
濱口佳一郎『日本の労働法政策』
海老原嗣生・荻野 進介 『人事の成り立ち』
海老原嗣生『人事の組み立て』

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