日本の失敗の構造—なぜ撤退できないのか
「見限りと見切りですわ」―大阪で50店舗の多彩な飲食店を展開している経営者に、「商いを続けていく秘訣は?」を訊ねた。「見極めることが肝要や。売上が落ちた。その数字を見て、シェフと話をする。シェフはまだやれる、挽回できると言う。私はお客さまの立場で、『その店に行きたいかどうか』で考え、見限る。拙速、薄情と思われるかもしれないが、その観点で見極め、見限り、見切る。それがいちばんお互いの傷が少ない。シェフに力があれば、別の店をやってもらう」
コロナ禍でも、彼が経営する50店の大半の店の売上は、コロナ禍前の数字を上回っている。「私の店はどこも大きくないが特徴があって、お得意さまが大半なので、コロナ禍も変わらず来ていただけている」―ここにも商いの秘訣を見る。
1.なぜ古代遺跡となったのか?
鎌倉幕府がどこにあったのか、正確には分からない。ある時代の日本の中心地であっても、荒地となり砂に埋もれて、いつか人に忘れられる。なぜか。それは、そこに
必然性
がなくなったから。にもかかわらず、「そこを元に戻そう」「なんとかしよう」と考え、頑張ろうとする。まるで余命いくばくもない末期癌の患者に完治させねばと医療的に頑張ろうとするようなもので、前提が変わったのに
元のままで考える
2. なんとかなる・なんとかならない
コロナ禍もそう。コロナ禍後は元に戻るのか戻らないかの議論は、もはや意味がなく、現在は
元のとおりではない
という前提に立たないといけない。コロナ禍後に戻りうるものか戻りうるものでないのかという議論も意味がない。「元のとおりではない」と考えることが大事である。なぜか。事柄は
合理的にしか進んでいかない
開いている店がまばらなシャター商店街、こどもたちが来なくなった遊園地、若者を見かけなくなった街。それは元に戻らない、なんとかしないといけないといっても
なんともならない
なんとかなるのだったら、放っておいても
なんとかなった
必然性がある場所や事業ならば、再起動できる。必然性がない場所や事業をなんとかしようと頑張ろうとしがちであるが、なんともならない。その街や事業に、必然性があるのかないのかを見極め、見限り、見切らないといけないのに、そうしない企業・組織・人が多い。時の変化とともに、物事は変化する。だから市場・顧客を再定義しつづけ、事業を再構築しつづけないといけないが、多くはそうしない。マーケティングとはMarket+ingと書く。
3. ポジティブ撤退のすすめ
法律は新たにつくられるときは話題になるが、いったんつくられると変更したり廃止されないことが多い。店をオープンするときは元気が出るが、店を閉めるときは寂しい。会社をつくる人は評価されるが、会社を畳む人は目立たない。作ることに意味があり、潰す・壊すことには意味を見出さない。そんな日本。
戦後早々のベビーブームによる人口増というプレゼントで、高度経済成長(1955年~72年)を経て、Japan As No. 1と世界から持て囃され、バブル経済を謳歌した。日本史上空前の膨張社会となるなか、少子化と高齢化が広がり、あっという間に、縮退社会となった。実態は縮退時代に入っていたのに、意識はバブル時代がつづいた。
膨張したオーバースペックの社会から、適正人口に戻った社会に戻していくことが縮退社会の論点になっていたにもかかわらず、伸びきった斜陽市場・事業に予算をつけつづけた。なぜそうしたのか?
いったんついた予算は死守しなければと損だという思いと
縮めることはネガティブ
と考える価値観が思考停止させた。これら価値観が縮退を難しくした。ではどうしたらいいのか?
「断捨離」 をポジティブにおこなう。捨てるべきものは捨て、残すべきものを活かす。縮退社会を悲観的に捉えるのではなく、ありのままを受け入れ
ポジティブに縮めていく
という価値観に転換していくことが求められる。
4. 旧日本陸軍の失敗に学ぶ
太平洋戦争後半の1944年3月に、旧日本陸軍が最終的に9万人を投入したインパール作戦は、開戦時に大勝利したマレー戦の成功体験を踏襲した補給を軽視した作戦で、撤退時期と方法を間違い、空前の犠牲者を出した。この戦場での敗戦も含めて、旧日本陸軍が負けたのは、戦争全体の状況を掴んで(市場を再定義)、戦線を縮小(事業の再構築)できなかったという要因も大きい。撤退すべき時と場に撤退を決断しなかった。現代日本も、それを繰り返している。
必然性を失った場所で
固定観念を捨てず負けた
という失敗が多い。この失敗はどこからきているのか?日本には
膨張・成長が「善」
縮小・撤退が「悪」
という膨張思想がある。
この50年で、生まれてくる人が半減した。当然ながら市場は縮小する。本当は減っていることに気がついているのに、そのことを認めず、前提を変えず、これまでと同じことを繰り返そうとする。
膨張思想である
これまでずっとやってきたから、長い間それを検討してきたから、折角人もお金をかけて準備してきたから
今やめたら、大変なことになる
と考えるのが、旧日本陸軍が犯した失敗の構造と同根である。
もうやめられない
日本人は何百回も何千回も何万回もそう言ってきた決断をずっと先延ばしする企業・人が多い。
その事業で「収益化」できる絵を描けるなら、それをやればいい。しかしそれが見えないのに、いろいろ色を付けて、事業を継続しようとしてきたのが
日本の失敗の構造
必然性が無くなったこと、必要ではなくなったものを、時時刻刻につかみ、決断して、やめることが損失が小さい。需要がないは成り立たない。そこに必然性があり、需要があるのかどうかを問う。それを必要とする人がいる時空間で、事業展開するビジネスを作りなおしつづける。
旧日本陸軍のインパール作戦の失敗から学ぶべきことが多い。コロナ禍を契機とした日本の構造変化、ウクライナ紛争を契機とした世界の構造変化を読み、臨機応変に縮退社会の現在を生き抜いていかねばならない。