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組織とナラティブ

こんにちは、ナラティブベースのハルです。今注目される「ナラティブ(語り)」という概念を切り口に、個人的な体験や自社の実践から見えてきた気づき、そこから生まれたオピニオンをまとめます。今回のテーマは「組織とナラティブ」。「最近コミュニケーション不足だな…」とボヤいてしまうその奥にあるコンテクストを、いっしょにのぞいてみませんか?
前回の「医療とナラティブ」につづく別切り口の第2弾、ぜひお付き合いください。

どんな組織にも「必ず」起きている課題とは?

10年以上フルリモート組織でチーム運営してきた知見を生かし、様々な組織のチームビルディング支援をしています。「コミュニケーションに課題があって…」「チームビルディングを強化したい」そんなご相談を受ける中、どんな組織にも「必ず」起きていると言っていい共通の課題があります。そればズバリ「課題だと思っていることがズレている課題」です。

組織において、人やチームに自律・自走が求められる一方、それぞれの判断で動こうとすると、相対する価値観が表出し問題となるケースが増えています。「え、今それやるの?」「そっちは効率的かもしれないけどこっちは」「??目的がわからない」という具合です。こういった問題は今に始まったことではないものの、明らかにリモートによって顕在化が進んでいます。同じ組織の中でもこちらにとっての合理が、むこうにとっての非合理というわけです。

課題解決では足りない!

もう一つ、チームビルディング支援の実践の中で感じていることがあります。それは、「課題解決型」の発想だけではもう足りない!ということです。
ひとつにはオペレーション改善を軸に成長してきた高度成長期の考え方が色濃くのこっている歴史的背景があるのではないかと思うのですが、前述の通り、そもそも課題がズレてしまっている状態では逆に課題解決と思ってやっていることが課題を生んでしまいます。同じオペレーションを磨き上げて勝ち残れる時代ではなく、イノベーションを起こし変化で時代に適応する組織が生き残れる時代ですから、課題(マイナス)を解決(ゼロ)するだけでなく、新たにどこ(別のプラス)に向かうかに意識をそろえ、やり方を変容させる(別のゼロに向かう)ことが必要です。

そこで、ナラティブベースが提供、実践しているのは、以下のような課題解決型と対話共創型を行ったり来たりするハイブリッドなモデルです。

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通常の「課題解決型」の流れに加え、「対話共創型」の対話の場づくり(価値観をすり合わせたり、目的を共創したり)をいれていきます。組織の中でそれぞれの非合理を排除しようとする力を一旦フラットにし、共通の合理をみつけ道筋を共創する方法(後述の「ナラティブベースのナラティブ・アプローチ」)をとっていくのです。

変わる主人公とナラティブの細分化

ところで、このそれぞれの合理が相対してしまう現象を「組織とナラティブ」(ナラティブ=ここでは「それぞれが自身の体験の中でつくりあげた自分が主人公の物語」という意味で使います)という切り口から少し俯瞰してみてみます。すると、今起きたことではなく、社会の長い変化の中の一部として捉えることができます。物語の主人公が国家から企業、企業から個人へと移り変わってきた流れの行き着いた先ではないかと思うのです。

記事では、戦場におけるリーダーシーップの失敗を紐解く『失敗の本質』の野中郁次郎氏が、危機に直面した今こそ、過去の物語を盲信せずに今ここにある共感において集合知を形成し、ナラティブをもってリーダーシップをとるべきだと指摘しています。

遡れば戦争のような国家単位の失敗体験、高度成長期のような企業単位の成功体験があった時代は、多くの人が同じ物語(ナラティブ)の中に生きていました。つまり共通の強い背景・文脈(コンテクスト)を持っていたのです。働き方においても、社会全体が成長していれば組織の中で成長できたので、その組織の共通の物語から飛び出る必要もありませんでした。

ところが、その後、年功序列・終身雇用は崩壊し、転職が当たり前になり、非正規雇用の拡張で帰属意識は薄れ、働き方の多様化によってもはや所属する組織は一つではなくなりました。この中で働き方におけるナラティブ(物語)は細分化され、成功・失敗体験も働く理由もどんどん個人的なもの、共有・共感しづらいものになっていったのではないでしょうか。単純にセクショナリズムや上下関係の問題なのではなく、多様化による価値観の分断、そしてリモートによる場所の分散でこの問題は加速しているのだと思います。

ナラティブをナラティブで統合する

そんな見解を持ちながら、自社が取り組んでいるのが、働き方において細分化してしまったナラティブ(物語)を、ナラティブ(語り合うこと)によって統合していく試みです。

「ナラティブ」という言葉が面白いのは、「語る」という行為と、「語ったもの」という行為の産物を同時に意味するところです。個人のナラティブ(語ったもの)が社会のナラティブ(語ったもの)を構成し、その大局的な流れを捉え道筋をみつけることでストーリー(物語)として捉えることができます。また「語る」「語り合う」という行為によってそれを理解する、近づくといった手法にも展開できるのです。

上記でご紹介した「対話共創型」の場づくりは、この「語る」「語り合う」行為によって問題に近づく「ナラティブ・アプローチ」を用いています。

「ナラティブ・アプローチ」は、専門性を脇におき、フラットな対話から相手の重要な背景を引き出し解決策を探り出すアプローチ手法です。これまで、医療やカウンセリング、ソーシャルワークなどで用いられてきたこの手法を、わたしたちは「働き方」を変えていく手法として用いています。(ナラティブベースHPより)

「ナラティブ・アプローチ」について、自社のホームページでは上記のように説明していますが、今では組織開発やキャリア支援においても利用が広がり、多様な目的で様々な手法が展開されています。

ナラティブベースがチームビルディング支援で行うナラティブ・アプローチの手順は、以下のような流れです。

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ビジネスの中では、非合理を排除する力が強く働きます。そのため、なかなか個人的な背景が語られ表出することがありません。しかし、その背景にはそれぞれのナラティブがあり、その文脈をすり合わせていかないと共に目的に向かうことができません。そこで、フラットな対話のできる場作りや、語ったことを客観的に眺めて建設的に話し合える観察の時間を取ることで、非合理の中から共通の合理を見つけ、そのあとの道筋(そのチームの物語)を共創していきます。また、対話は重ねていき絶やさないことが重要なので、対話が慣習化するよう、ナラティブベースのチームが浸透まで数ヶ月支援伴走を続けるようにしています。

組織の対話の先にあるもの

さて、ここまでお読みいただき、組織におけるナラティブの重要性はお分かりいただけたかもしれません。でも「なんだか時間がかかりそうだし、そこまでやる価値があるのか?」「ただでさえ時間に追われているのに、対話の時間をとるなんて難しい」と思われる方も多いと思いますし、実際、時間がかかるのも事実です。何に時間をかけるかは、その組織の考え方によるところとは思いますが、オペレーション業務や前例が多数ある判断はどんどん人が行う必要がなくなってきています。本当に時間をかけるべきは、「人間にしかできないクリエイティブな仕事」と言われて久しいですが、ひょっとしたらそれは対話なのではないでしょうか。対話はこれからの時代に欠かせない競争戦略であり、共創戦略です。

そしてもう一つ、対話の先にあるものを付け加えるとしたら、対話が浸透した組織では人が育つということです。たくさんの組織や対話をみてきて、人の成長を促すのは、「安心」という感情だと確信しています。対話を通し、それぞれのナラティブを互いにわかっているという安心感は、何にもかえがたいものです。安心は不安から生まれる様々な感情(固執、恐れ、怒り、諦め、攻撃もしくは無気力など)を解き、挑戦を促進し人を育ててくれます。自社でも常にフラットな対話を心がける中、人が対話を通し相互に成長を促される姿に日々感動しているわたしです。


今回は、自社の実践を通してみえてきた「組織とナラティブ」について、わたしなりの見解やアプローチ手法、実感している効果などをまとめてみました。共感や興味をもっていただける内容だったらうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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