なんでも○、なんでも正解(上)
小学校のテストの採点、クラス全員○
ある小学校のクラスで、テストがあった。そのテストの採点結果は全員○、全員正解。先生不足のために応援に行った先生OBが、そのクラスの担任に、「この子の解答、間違っているよね。どうして○にしているの?どうして全員○なの?」と訊ねると、「いろいろと面倒くさいじゃないですか!✕にしたら、いろいろと言われて鬱陶しいじゃないですか!」と若い先生が、なにがおかしいの?と顔で答えた
ついに、ここまできたのか
1 なんでもかんでも「ヤバい」
いろいろなものが
どんどん短くなっていく
パッセージが短くなっていく
ボキャブラリー、語彙が乏しくなっていく
なんでもかんでも「ヤバい」
なんでもかんでも「すごい」
X、フェィスブック、LINEと
長文が短文に、文章が単語に
Instagram、TikTok、BeRealになって
文字が消え、写真と映像だけとなり
絵文字、感嘆符が増え
文字が消え、絵文字単独になり
「意味」が、人によって
受けとり方が変わっていく
話が通じなくなっていく
2 なんでも青ではない
色も同じ
たとえば青色
青色にはいろいろあった
日本の伝統色「群青色、み空色、瑠璃色、浅縹、千草色、藍色、浅葱色、舛花色、縹色、深縹、天色、紺青色」など
古代から
時間をかけて
日本人はつくってきた
様々な色を
その色がつくられた
行事、仕事、暮らし、祭りなどの
背景、文脈が消えていくなか
なんでもかんでもが
「青色」
にくくられていく
それぞれの色がもっていた
「意味」が無くなってしまいつつある
それぞれが持っていた
微妙な「違い」が
どんどんそぎ落とされて
バリエーションが
一緒くたになっていく
3 意味が変わっていく
なぜそうなるのだろう?
たとえば「おもてなし」という言葉
話している人が使っている
「おもてなし」という言葉と
それを聴いている人が
受けとめる「おもてなし」の言葉の
意味がちがっていることがある
それは
Aさんが経験して感じた
「おもてなし」と
Bさんが経験のなかから感じた
「おもてなし」と
がちがっているからである
そもそも
もてなしを提供する人が
その「意味」を
理解できなくなっているから
言葉の一人歩きが
加速していく
言語論でいうと、こうなる
シンフィエ(言葉が指す対象・意味するもの=たとえば「りんご」という果物)を、シンフィアン(言語として表現されるもの=日本語では「りんご」、英語では「アップル」)の概念で、説明される
そしてラング(文字)をパロール(実際に話される言葉・お喋り)する。その文字(ラング)にこめた意味が、別の人に言葉で伝えていく(パロール)うちに、別の意味に受けとめられていく
こうして
コミュニケーションが
うまくいかなくなる
このように
言葉は一人歩きする
熱いものは時間を経ると低くなるという
熱力学の第2法則「エントロピーの法則」と同じように
「言葉」も高いレベルから低いレベルに
濃いものから薄いものへと
移行していきがちである
こうして
もともと、その言葉に
込められていた意味が
変っていく
たとえば
自然、銀行、物理、化学、電気、哲学、文明。
これらの漢字はすべて
日本人が西洋の言葉から翻訳したものである
中国人が驚かれることがある
日本が使っている「漢字」が
漢の字と書くことに
中国でも使わなくなった漢字を
1400年以上も使いつづけている
日本人に
日本の中学校、高校の授業に
「漢文」があり
論語や老子・荘子を
学んでいることに
中国人は驚く
日本は漢文を
日本の古典とともに
戦前までは必修科目で学び
漢籍・漢詩・唐詩は
日本人の価値観・思想・文学・芸術・歴史・生活など
日本文化の基盤だった
戦前まで、日本の教養人は
漢文・漢詩を書けた
1000年前に書いた清少納言の「枕草子」が
現代中国の知識層や若者に読まれていることに
日本人が驚くが
古代からの中国と日本の交流史からすると
それは必然であった
それだけ長年
日本人が使いづづけた
知的基盤であった
漢字がどんどん
使われなくなっている
なぜそうなるのか?
これからどうなっていくのか?
次回に考えたい
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