「ストーリーテラーを信じるな」、抵抗しつつも自ら堕ちたストーリーの闇~山上徹也容疑者の全ツイート9万文字を読んでわかったこと〜
ストーリー4: ストーリーそのものの毒
これまでの記事で安倍元総理銃殺の動機として、当初語られた「ストーリー1: 政治的背景」ではなく、「ストーリー2: 宗教2世による復讐」として母親の入信後の家庭崩壊の境遇から旧・統一教会への復讐を目指したというもの、
さらに、その背景の「ストーリー3 : 氷河期世代の貧困私怨による拡大殺人」について説明してきた。
その山上徹也容疑者に対して、「減刑署名活動」や「山上ガールズ」の様な存在が生まれている。「京大にも行けたかもしれないのに、非正規労働者」不遇の秀才に共感する人々だ。「〇〇だったら、私もこうだったかもしれない」
という氷河期世代の共感のストーリーだ。
「自分の中のどこかに山上徹也がいる」
本来凶悪な犯罪者のはずが同情を集めるのも、境遇や生い立ちのストーリーに自分自身を認める氷河期世代が多いからかもしれない。
ストーリーは自分だけのもの?
前回の記事で触れた拡大殺人の被告に共通することは、自分自身だけのストーリーを強固に持つ一方で、他者から勝手に「動機(ストーリー)を盛られる」ことを極端に嫌っている。
秋葉原事件の加藤は、派遣社員であったことから若者の労働環境が原因とされた。掲示板に「負け組」と書き込んでいたため、「負け組」の「神」「教祖」「救世主」とみなす共感現象が起きた。加藤自身は逆に「自分の努力不足を棚に上げて「勝ち組」を逆恨みするその腐った根性は不快です」と切って捨てている。精神科医による犯行動機分析の著書を「様々な間違いの集大成」と完全に否定、「盛られた動機」を調べもせずに垂れ流す 「広報」と化した大手報道媒体を捜査機関とともに批判している。
他の被告達も、社会が自分たちが納得できるストーリーを押し付けてくることを拒む。弁護士を拒み、上告を拒み、社会が求める悔悟と反省と更生のストーリーを拒む。
それは自分だけの大切な(社会常識とはかけ離れていても)ストーリーだからだ。
ストーリーの毒を熟成させる閉鎖空間SNS
上記の9つの最近の無差別殺人を検証して思ったことは、事件は2016年以降に加速度的に増えてきていることだ。これは、SNSの伸長と無関係ではないと思う。孤独と貧困と不遇に喘ぐなかネット空間のみが自分と社会との接点となる。それは、2008年の秋葉原事件の加藤容疑者の掲示板のように、実社会と別の「自分だけの王国」の物語だけが強固に書き換えられていく。
奇しくも安倍内閣発足の2006年はTwitter創業、Facebook一般ユーザー解禁年。安倍政権はSNS時代とともにあった。
果たして山上徹也容疑者のTwitterではどのようなストーリーが展開されていたのか? 本人のものとされるアカウントは閉鎖中だが、下記の2019.10.13から2022.6.30までの全ツイート9万文字を読んでみた。
山上徹也のツイートは何故こうまで現実的で理性的なのか
まず驚くのが、カエサル、フロイト、ニーチェ、ドストエフスキーも読んでいるらしいその知性、そして現実主義的姿勢と客観的論理性だ。
例えば、憲法や安全保障については、親中反米の戦略で行くなら国家の土台を崩すくらいの覚悟必要であり、空理空論の護憲派を酷評。
むしろ旧統一教会と関係が深いと既に認識していた岸信介元総理と安倍元総理の日本の安全保障政策の正しさとレガシーを認めている。
また、全体に厭世的冷笑的ではあるが他者に対する敬意もある。誠実に公平に議論しようとしている。
論点をズラして自分の言いたいことだけ言うTwitterの相手に対して、できるだけ事実を論理的に整理して議論しようとしている。
例えば、原発事故の放射性物質の農地への安全性保証についても冷静だ。議論を単純化し歪曲する相手を、同じ土俵のレトリックに立ってやりこめている。
とにかく、非現実的な護憲主義、反原発運動、フェミニストイストというような攻撃的なフェミニズム、数字のないゼロリスク信仰、、、
全ての極端な思想(イズム)について、冷静に論理で批判しているのだ。
北方領土2島返還、検察の黒川事件、中国史学者呉座氏の炎上、法的根拠なくマスク着用を強制する航空会社の同調圧力、メンタリストDaigoの炎上、お笑い芸人渡部の今後の身の振り方、大塚家具のお家騒動、様々な時事について論理的で的確な辛口コメントをしている。ワイドショーでも十分通用するコメント力だ。
それぞれのツイートについて私は、ほぼ全て同意できる。
右でも左でもなく、親米でも嫌中でもなく一つ一つ論理と理性で現実的に判断するしかない。
そう思いながら、ツイートを読み進めて、はたと本質的な事に気づく
山上徹也は、カルトに繋がる全ての耳に心地よいストーリー=イズム(主義)を危険視し、それらを憎んでいるのではないか。
ストーリーそのものの毒について
わかりやすいストーリーの力で片方を叩く、もしくはうまく利用しようとする。心地よいストーリー、多くの人が信じるストーリーによって全ては白か黒かに分断され、グレーゾーンをウロウロしている人は叩き潰されるか、そうなりたくなければ相手の雰囲気をみて、取り敢えず「それな」と同調しておく。
そして山上徹也も、その「表面的な普遍性を装った(ストーリー)悪意」が力を持てば持つほどその反作用(毒)も大きくなる」と警告している。
トランプ、反移民問題、そして、映画のジョーカーのストーリーの毒を上げている。京王線事件の服部恭太被告は、京王線で「ジョーカーのコスプレを真似た私服」(本人)を着ていた。
自らも、2019年10月6日愛知県常滑市に火炎瓶を持って韓鶴子総裁の殺害を狙いに訪れたの前夜、映画「ジョーカー」を見ていた。
ストーリーは、時に人に夢と希望と生きる意味を与える。ビジョナリー経営者、最近ではパーパス経営や存在意義を重視するティール組織等が企業経営のトレンドになっているのはこの流れだ。
一方で、歪んだストーリーは、時に人々を蝕む毒となり、家庭を蝕み、国家を滅ぼす。山上徹也の母親然り、ウラジミール・プーチンの大ロシアストーリーに率いられたロシア連邦然りだ。
カルトと反カルトというストーリーの猛毒
ストーリーの持つ毒の可能性、それが集団として合目的に利用されるとカルトに繋がることを山上徹也は、生涯をかけて理解していた。
そしてカルトを憎む反カルトも同じくカルトの闇に堕ちていくということも。
旧統一教会に入信させようというカルトもあれば、統一教会会員から脱会させようと拉致監禁する反カルトもある。反カルトには棄教に向けて監禁を請け負うビジネスも一部に存在すると聞く。
カルトを激しく憎むみつつも、反社会的で暴力的な行為の準備を執拗に行う同じ穴に落ちていく自分を事件前日の手紙においても冷静に自己認識している。
抵抗しつつも自ら堕ちたストーリーの闇
理性的で論理的で、カルトに繋がるあらゆるストーリーの毒に自覚的で抑制的。
そのはずが、それでも少しづつ、自分のストーリーの闇に落ちていくのが、ツイートを追うと分かる。
呪いは「善悪の彼岸」(ニーチェ)、すなわち道徳を超えたところでしか贖えないとしている。この日に理性の一線を超えた「何か」が定まったように見える。
9日後の12月16日、米本氏のブログに、
と書きこんだ。この頃には、銃による復讐の気持ちを固めつつある。
そしてその翌週12月12日に、たまたまやってみたネットの診断メーカーで「未来のお前」が本人の命を狙っていると「診断」される。
偶然とはいえ的確なこと、それは「命懸けの自滅的な事を未来の自分が行う」ということだ。
行動を起こせば、カエサルのように世界を変えることができるのか、光秀のように単に身を滅ぼすだけなのか、とにかく行動しやり遂げる、との覚悟を決めつつある。
ここで興味深いのは、カエサルの「ルビコン川の賽は投げられた」というエピソードと本能寺の変の2つを引用していることだ。
カエサルが軍事力を率いてローマ入りをした史実は法を破って内乱罪を犯してでも世界を変えるために為すべきことを為す英雄行為の歴史的象徴だ。
本能寺の変といつのは信長というのは時の権力者の急襲殺害だ。
報道では、2021年9月12日のビデオメッセージをみて、安倍元総理と旧・統一教会の関係が深いと「思い込んで」対象に選んだとされているが、
私は、山上徹也はそれより以前、2019年10 月6日の韓鶴子総裁来日時の火炎瓶での攻撃を断念した時点から2019年の年末までの2ヶ月で徐々に「安倍元総理」の銃殺の決意を固めたと推理する。
特に注目されるのが、韓鶴子襲撃予定日の前夜にみた映画「ジョーカー」に強い刺激を受けている。その1週間後の投稿
2回観ていたと思われる、バンド「クリーム」の音楽とジョーカーの映像がこちら。
そして、その3日後に意味深の投稿
結果とは「何の行為」の結果を意味するのか。
そして10月20日の投稿。
真摯に絶望する「無敵の人」の当事者のストーリーの誕生だ。
2021年、暴力に向けた発言は徐々に過激になっていく。
そして、2022年凶行の11日前、一つの文章に出会う。
この文章そのものは、QUORAのA.N.さんのプロフィールの中の文章だ。だが、特に気に入り「いい文章だな..」と書いている。
山上徹也は奈良県警に「6月は実行するつもりはなかった」と、供述していたが、この彼自身の人生を暗示するストーリーの文章が大きな引金となった可能性はある。
そして、山上徹也の最後の投稿。
プーチンを、ルールを守るメリットがない世界最強の「無敵の人」として認定して、事件の1週間前に山上徹也のツイートは終わる。
そして、運命の7月8日「その心が慟哭を叫び、石が動いた」。
ストーリーテラーがその長い手を伸ばす
山上徹也は、「麻原的なもの」はいずれ復活すると予言する。
作家村上春樹は、1995年の地下鉄サリン事件をきっかけに「アンダーグラウンド」と「約束された場所で〜アンダーグラウンド2」という2つのノンフィクションを書いた。
その理由は「私(村上春樹)は小説家であり、ご存じのように小説家とは「物語」を職業的に語る人種である」であり「だからその命題(ストーリーを語る)は、私にとっては大きいという以上のものである」からだとしている。
麻原の差し出すジャンクの物語を放逐できるだけの、つまり浄化できる「まっとうな力を持つ物語」を小説家として提示し続けられるのか?
ストーリーに対する根源的な職業を賭けた問いを自らに投げかけている。
MAGA(Make America Great Again)、イスラム原理主義、Brexit、日本会議、影響力を持つストーリーテラーがその長い腕を伸ばしつつある。
ストーリーテラーを絶対に信用するな
ギリシャの哲学者プラトンはその代表作「国家」において、理想のユートピアを描いた。その第1歩として書いたのが奇しくも、
「詩人を追放せよ。一人たちとも見逃すな」
だった。
詩人というのは、当時の文章の全てが韻文だったことを考えると今の限定された存在ではなく、全てのストーリーテラー達のことだ。
プラトンが、ストーリーテラーを敵視したのは、ストーリーによって感情や欲望が論理を飲みこむ「ストーリーの毒」を生む事を2400年前に既に理解していたからだ。
但し、ここに一つの大きな矛盾がある。プラトンは、彼の哲学においてイデアという概念を説明する時に「洞窟の寓話」をいう巧みな例え話を用いた。わかりやすく哲学の授業で良く使われる寓話だ。プラトンはストーリーテラーを否定しつつ、自らは最高のストーリーテラーとして君臨させている。
プラトンが当時描いた理想の「国家」は、優れた哲人王による共産制だ。私有財産を廃止し、全ての職業が同じ経済水準になることを目指した。男女の恋愛も親子の情愛も廃止し、妻は共有され、子供は集団で育てられる。それは、奇しくも、自由恋愛を禁止し、神が決めた相手と合同結婚式を行わせ、全ての私有財産を献金させる旧・統一教会の「理想の世界」と酷似している。
「ストーリーテラーを絶対に信用するな」
そして、それはプラトンの様に「ストーリーテラーを絶対に信用するな」といってるストーリーテラーすらもだ。
本当の人生は、そんなわかりやすいストーリーの浸透で幸せになるような簡単なものではない。アメリカの自由民主主義を世界に広げるというストーリーのもとでどれだけの血が流されたか。
ここまで、安倍元総理の銃撃事件発生依頼、衝撃的な事件の被害者安倍元総理について2本、そして加害者山上徹也について3本、様々な人々が発してきたそれぞれの文脈(ストーリー)について、できる限り、報道されている事実に基づき構造的に分析して書いてきた。
ただし、これらも私が描く一つのストーリーだ。
ストーリーテラーを絶対に信用してはいけない。
山上徹也は、厭世的で逆説的表現ではあるが「相手のストーリーを安易に理解しようとせず、自分のストーリーを押し付けず、お互いの無理解に絶望しつつも、それでいてお互いの存在とその生きる権利を認めることの大切さ」を説いている(という様に私は感じる。)
白か黒かではない限りなくグレーな世界を、心地よいストーリーに頼らず、親や社会から与えられた約束されたストーリーを追い求めるのでもなく、泥水をすすりながら自分の力で生きていくしかない。
それが山上徹也の9万文字から私が受け取ったメッセージだ。
切ない。
泣きそうになるほど、
ただ、どうしようもなく切ない。
但し、「私達は幼少期にどんなダメージを受けても過去に起きた事は取り返しがつかなくても、
それでも、私達は自分自身で変わる事ができる。」- Alice Miller
そのはずだ。
絶対に。