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メタバースクリエイターズは「驚きの体験」より「未来の当たり前」をつくりたい

お世話になっております、メタバースクリエイターズ若宮でございます。

今日はメタバースクリエイターズが目指すコンテンツ創出の方向性について書きます。それは一言でいうと、「驚きの体験」よりも「未来の当たり前」をつくりたい、ということです。


未来の当たり前を目指すメタバースクリエイターズ

メタバースクリエイターズでははクリエイターの皆さんと一緒にいろんなメタバースのコンテンツを生み出しています。

VRChatで制作を手掛けた米Avatownのワールドは100Visitsを超え、

Robloxでリリースした自社タイトルは300万プレイを超えるなど、

グローバルにヒットコンテンツを創出しています。

そんな当社が直近、新しい取り組みとして力を入れているのが、メタバースとリアルの接点をつくること、より正確にいうと、メタバースからリアルに逆流するような仕掛けです。

一つは「MyAvatarGoods」というサービスです。

これはメタバース内で自分のアバターの写真を撮り、それがリアルグッズ(初期はアクリルキーホルダーから開始)になって届く、というサービスです。メタバース民はアバターが物理身体以上にアイデンティティになっているのですが、メタバースの中のみならず現実世界にもアイデンティティを持ち込むことができるわけです。


もう一つは「メタバースのとリアルの交差点」として、新宿の歌舞伎町に「新宿Crossing」(略して「#新クロ」)というカフェバーをオープンしました。

ここではVTuberキャストと店内のビッグスクリーンを通じてお話できたり、MRで店内にアバターで現れて1on1で接客をしてもらうこともできます。(店名にはメタバースと現実が「シンクロ」していくという意味も込めました)


「日常メタバース」な体験の重要性

メタバースがリアルに染み出してくるこれらの取り組みも含め、メタバースクリエイターズはコンテンツづくりの上で意識していることがあります。それは「驚きの体験よりも未来の当たり前をつくる」ということです。


そう考えているのには2つ理由があります。

一つは、メタバースが普及していく上で、「非日常」から「日常」になることが重要だと思うからです。

メタバースやVRというと、どうしても「非日常体験」が多くなりがちです。わざわざヘッドセットを被って体験するからには、見たことないような演出や日常ではできないコンテンツであるべき、という考えもあるでしょう。バーチャルライブなども含めて、たしかに「非日常」な体験はエンタメの一つの方向性として価値があります。

しかし、そういう「非日常」なメタバースだけだと、メタバースは「わざわざするもの」を超えられません

だから、それだけでなく「日常」のメタバースも重要だと思うのです。ものすごい驚きはないかもしれないけれど、一過性ではなく、常時接続でずっと使っていただけるような空間やコンテンツ。そういうものをメタバースクリエイターズは目指しています。

「非日常」にとどまる限り、メタバースは当たり前化していかない、と僕は考えています。インターネットやスマホもそうでしたが日常生活に溶け込むことがだいじ。実際のところ、VRChatやRobloxで毎日遊んでいる人にとってはメタバースは「日常の居場所」になっていて、徐々に現実以上のつながりの場所になってきている。その中で、日常的に使ってもらえる「デファクト化するコンテンツ」を目指しています。

「MyAvaterGoods」も「新クロ」も、1回だけ面白がってやったら終わり、ではなく、(リアルも含めた)日常の中に溶け込んでいくようなサービスであり場所をめざしてつくっています。


アートとデザインの機能

「驚くような体験よりも当たり前の体験を目指す」と言いましたが、これは「驚き」を生むエンターテインメントの価値を低く見ているわけでは全くありません。

驚きのあるコンテンツは、文化の可能性を「先端」として押し広げます

たとえば僕はアートが好きですが、アートにはある種の「驚き」が必ずあると思っています。価値観を変えるような体験は驚きや葛藤を伴うものだからです。それはしばしば既存の価値観の理解を超えているので、心地よさを超えたある種のショッキングさがある。


僕は性癖的に「葛藤フェチ」なのですが、よいアート作品には葛藤を引き起こすような「触発の強度」があると思っています。毎日食事を採るダイニングテーブルの横にゴッホの絵を飾るのは強すぎるでしょう。部屋のインテリアにはもう少し適したものがあるはずです。

音楽でもたとえば読書しながら聴くときに、「ながら聴き」できるような音楽と、曲に持ってかれてしまい本に集中できなくなってしまうような曲があります。日常に溶け込むというより、日常を「異化」し「前景化」する作品があるのです。BGM(バックグラウンド・ミュージック)という言い方がありますが、あまりにも名曲すぎると「背景」にはなれません。


これはアートとデザインの機能の違いにも似ています。アートが新しい表現で驚きや葛藤を生むのに対し、デザインはそうした「引っ掛かり」をなくし滑らかな心地よさを目指します。

繰り返しますが、どちらが偉い、価値が高いというより、機能が違うということですね。


「未来の当たり前」をつくる

「驚きの体験よりも未来の当たり前を作る」を目指すもう一つの理由は、その方が足腰の強いビジネスになると思うからです。

サービスやプロダクトについて、「Wow!」と「ハマり」のお話をすることがあります。


「Wow!」は1回見てびっくりする体験で、時々めちゃくちゃバズる画像加工アプリなんかがこれです。パルス波のように大きな振幅を示し一気に流行しますが、しばしば一過性で終わります。

それに対して「じわじわハマっていくもの」は派手さはありませんが、ストック型で右肩上がりにユーザーが増えていきます。


で、どちらがビジネスとして強いかというと後者だと思うんです。

今世界のトップはGAFAですが、GoogleやAmazonやFacebookを「Wow!」とびっくりしながら使っている人はいないでしょう。それらは日常に溶け込み、だからこそなくてはならない存在になっています。

AIもchatGPT以降大きく普及しましたが、これには「chat」というUIの功績が大きかったと思います。WhatsAppやLINEなど多くの人が毎日何度も使う、「日常」に浸透しきった体験の中にAIが侵入して来た、というのがポイントなわけです。「AI」はchatGPT以前には専門的な知識がある人が使うもの、というイメージもありましたが、今ではいつ連絡しても即レスをくれる物知りの友人くらいの親しみがある存在になりました。


もちろん、「当たり前を作る」といっても、僕らが目指すのはすでにある「ありきたり」ではなく、「未来の当たり前」です。

未だ無いものを目指すけれど、それがいずれは日常になっていく、そういうもの。

「GAFA」のもう一つの「A」であるApple、特にジョブズ時代のAppleはそういう「未来の当たり前」をつくってきたと思います。MacintoshもiPhoneも革命的なプロダクトですが、つきつめて洗練された滑らかなUXによって、コンピューターやスマートフォンという「一部の人しか使っていなかったもの」を「誰もが使う当たり前」に変えてしまいました。


僕たちは「メタバース界のApple」を目指す、といったら僭越かもしれませんが、本気でそれくらいの気持ちで「未来の当たり前」を作りたいとおもっています。

「新クロ」の「メタバース接客」も今は物珍しいかもしれませんが、VTuberがものの数年でYouTubeの中では珍しくもなくなったように、数年後で見慣れた光景となり、多くの店舗で当たり前にメタバースとリアルがつながり、シームレスに話す時代になるでしょう。(新宿駅すぐ、歌舞伎町の入口という好立地にあるのでぜひ一度ごはんを食べに立ち寄ってみてください)

これまでは無かった、しかしそれが浸透した時には当たり前になり、もうそれが無い世界には戻れない。そんな「未来の当たり前」の体験をメタバースを通じてつくっていきたいのです。


メタバースクリエイターズはそんな「未来の当たり前」を一緒に作ってくれる未来の才能のインターン生を募集しています!


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