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どこまでも拡がる人―松岡正剛先生の死を悼んで(下)

「1000のキーワードを考えてください」と「日本再起動」に向けた対談にあたり、松岡正剛先生からそう宿題をいただいた。大阪ガスエネルギー・文化研究所のメンバー全員で、古代から現代の時間軸を横軸に、社会・産業・技術・生活・教育などの12のテーマを縦軸に、1000のキーワードをマトリックス表に埋めた

キーワード1000のマトリックス表をテーブルに並べ、先生と事前ミーティングした。そして大阪難波の法善寺の水掛け不動さんに水をかけ願を懸けた。そのあと、縦横無尽の議論に展開した。その一部がこの3部作である
 
日本再起動を「場」「交」「耕」の3つの切り口で考えた。第1話は「場』-都市を問い直す、第2話は『交』―交流(つながり)を問い直す。最終回は「耕―文化を問い直す」を議論させていただいた。この大阪ガスエネルギー・文化研究所「情報誌CEL」での対談3部作の最終回を再録させていただく
 
松岡正剛先生のご逝去を悼み、謹んでお悔み申しあげます


1 地域文化を持ったまちをつくるには

池永 「場」、「交」と続けてきた「ルネッセ」(再起動する)ための方法を考えてきた対談ですが、今回はルネッセの中核である「耕(文化を問い直す)」にスポットを当てたいと思います。そもそも私どもの研究所の名称には「文化」がついていますが、「文化とは何か」というのが、実は大きな疑問とするところで、そこをじっくりと起こしていければと考えています     
まず「地域の文化」からお話しさせていただくと、私が思い当たるのは「出汁(だし)」です。日本料理は出汁から始まりますが、今は調味料を使い、本来の料理の工程を省いてつくってしまいます。そもそも出汁とは、その地域でしか収穫できない食材を利用し、時間・手数をかけて地域独自の味をつくり上げてきたものですが、その地域性が喪失され全国一律になってしまっていると思います
 東北に何度かうかがう機会があり、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区について、副市長さんとディスカッションさせていただき、「人口を増やすこと、減らすことをくい止めることが、まちの存在理由ではない。最終的に残るまちは、地域文化を持ったまちではないか」とお聴きしました。かつて確実にあった地域文化を、どのようにその地に注入して再起動できるかが課題だ、と。復興にあたって、国の都市計画的な枠組みだけでは限界があり、「文化」の重要性を感じられています。そこで住民の方々が話し合って、新たなまちの中心に神社を据えられました
松岡  私も閖上に行ったことがあります。震災で何もかもなくなっていました。神社から始められることにしたのですね。よくぞやりました
池永 地域に根差した産業をどうつくりうるのか、それが文化になるとはどういうことか、という点では気仙沼の例が示唆的です。気仙沼は震災があったにも拘わらず、生鮮カツオの水揚げ量は20年連続日本一を守られました。船が入港したら気仙沼の産業が一気に動き出すという、漁業と水産と商業のビジネスフローが再構築されたことが、まちを復活させる重要なポイントになっています
 一方で、「高原の原宿」と言われた山梨県の清里は、今はすっかり変わってしまっています。やはり地域の産業がない、必然性のある地域文化がないところは、ブームにはなりえても維持できないのではないかと思います
松岡  清里とは違うと思いますが、関西にも「つかしん」など、かつて一挙に人気を集めながら駄目になっていったスポットが多いですよね?
池永 やはり地域ならではの「必然性」があるか否かというところだと思います。大阪はかつては北海道の海藻を見て、出汁にして日本料理をつくったように、付加価値を創造する力がありました。東洋のマンチェスターと言われていた時代には、農業と工業を商業がつなぎ、「大阪独自の産業株式」をつくり上げていく力があった。さまざまな情報を収集し、融合・編集・変換し、価値を創造していくトランスファーを駆使する力、ビジネスモデルを進化させつづけていく「学び」という文化がなくなってしまったことが、大きく地盤沈下した要因のひとつではないでしょうか
松岡 地域文化が失われないのは、何かクラブ財的なもの、あるいはサロン文化的なものがあり、それが各家々に伝えられ、またそのクラブやサロンの集いを楽しみにしていくというような流れがあるからなのです。日本ではたとえば祭りのときに、そうした以前の「型」が再生され、それが各々にフィードバックされる。その繰り返しが地域経済文化を保ってきました
 大阪には、それがあったと思います。秀吉の時代から始まり、堂島の米市場があったため、全国のものを経済的にモニタリングできるセンターにもなった。かつ木村蒹葭堂(けんかどう)のようなクラブやサロン的なもの、適塾や懐徳堂のような私塾が生まれ、そこに素封家の鴻池善右衛門たちも私財を提供した。地域文化のエンパワーメントをパトロネージュする人たちもいた。彼らはCSR(企業の社会的責任)でやっているというよりも、本当にそういうものがおもしろかったんだろうと思います。それは松下幸之助や佐治敬三や鳥井信治郎もそうだったし、場所は違うけれども、大阪を挟んだ伏見から灘までの酒造メーカーもその動きに連動している
 逆に言えば、クラブやサロンや人、それらのフィードバックをするシステムといったものがひとつずつ外れていってしまったことが、地域文化が解体していった理由だろうとも思います。もう一度、つなぎ目をつくり直していかなければいけないですね
 池永さんがおっしゃった出汁にあたるような最初の基礎、基盤となるベーシックな大阪をつくり直すことも重要です。出汁は、お吸い物に使うだけではなくて、煮たり、かけたり、あらゆるものに使う。だから、そういった基層で分断が起きてしまうと、大阪自体が割れてしまうんだろうと思います
 ヨーロッパはEUや難民の問題を迎えながも、どうにかもつだろうと私は思っているんですが、それは人とクラブとサロンといった地域経済文化の基層があるからです。たとえばワインはブドウの木まで、チーズは牛やヤギ、それからうじ虫まで大事にしていく。カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』という有名な世界的ベストセラーがあるくらいですから。大阪は、なぜかそれがバラバラになってしまった。寂しいことですね

2 文化の種・土壌・背成と目利き

池永 大阪が失った最大のものは、文化ではないかと思います。その「文化」という言葉自体も、本来の意味が誤解されているように感じます。文化イコール美術、芸術、芸能というふうに捉えられがちですが、それも曖昧です
 たとえば陶芸品。樂焼という陶器そのものは文化ではなくて、繰り返すこと、樂焼という芸術品をつくり続けることが文化の本質ではないかと思います。樂焼は、初代から16代までそれぞれが先人のワザを伝承しながらも新しいものを加えてつくり続けています。文化の本質は「繰り返す」ことではないでしょうか
 それは浄瑠璃も歌舞伎も一緒で、芸術文化に留めるのではなく、都市文化や地域文化、さらに生活文化、産業文化、企業文化も可様で、それぞれの本質をどう永続的につなげられるのかが最も大切ではないかと考えています
 今回のテーマは「耕」ですが、「カルチャー」という英語はラテン語の「耕作し栽培する」が語源です。土地を耕して、種を蒔き、水と養分を与え、雑草・害虫を駆除して、収穫する。種を取り出してまた植えるというプロセスを繰り返していくことが文化の本質で、それぞれのステップを最適化し、それぞれのステップをつないでいかねばならないのに、それを忘れてしまったことが、大阪が大阪でなくなった要因ではないかとも捉えられます
松岡    耕す、耕作されたものとしての文化というのは、種と土壌と育成が三位一体で連動しています。もし文化が失われたり、弱体化、衰退したりしているという場合は、この三つが分断されたんだと思います。わかりやすく言うと、たとえば種と土壌を切り離し、種は種、土は土で売ってしまう。あるいは土の改良は時間がかかるので、もうしないとか、業者化してしまう。そうなると生活と結びつかなくなります
 たとえば樂焼は、利休という偉大なディレクターが、長次郎の焼き物を広めたのではなく、それにあうサイズで茶室という不思議なものをつくり上げた。利休の前に活躍した武野紹鷗も堺の人でしたが、堺に育ったディベロップメントな気質のある人たちが、既存にあった文化と、焼き物という技術を単に合わせるだけでなく、茶室というクラブ・サロン的な空間を生み出した。したがって、もし文化が廃れたり分断されたりしているとなると、先ほど言った種と土壌と人を見ているディレクターやプロデューサーの存在、利休や紹鷗にあたる目利きが必要だということになります
池永 「イノベーション」という言葉が流行っています。ビジネスの現場でも、何でもかんでも「イノベーション」で、言葉がひとり歩きしています。ともすれば、違うこと、別のことを迫い求め、変えることが意味あると走りつづけ、ものごとの本質を見失ってしまっている。突然100%変わるのではなく、過去から95%ほど大切なことを伝承し、新たなことを5%取り込み、進化・洗練させ、繰り返しながら価値を創造していくことが、本来のイノベーションではないかと思います。先ほどの文化論と同じく、そもそもの原点・本質が失われたことが大きい。大阪には変えてはいけない大切なことがあったはずなのに、変えてしまっただけでなく、それが何かということを忘れてしまった
松岡    大阪は目立つことをしようとしすぎたんでしょうね。変えてはいけないことを大事にしないで、目立ったらええわということで、見た目に走ったんでしょう
 「文化」というのはわかりやすく言えば、基層と中層と表層があって、基層にアーキタイプという原型、母型があり、中層にプロトタイブ、類型があり、一番上の表層、表によく見えるところに典型、ステレオタイプがあります。大阪はこの表層のステレオタイブにイノベーションを感じすぎたというか、間違って使いすぎた。使うのであれば、下のブロトタイブの改革がなければいけなかったんです
 プロトタイプとは、椅子やピアノ、あるいは食物というようなもので、この概念がないとそれが何か呼べないというものです。椅子という概念がないと、椅子をつくってみろとなったときにプロトタイプはつくれない。ステレオタイプで目立つことをやって、それがブロトタイブを生んでいると考えられるならそれでもよかった。ところが大阪はその新たなブロトタイプ、現代社会の新たな類型をつくれなかった。さらに言うとアーキタイプ―歴史の奥にある基層としての日本、あるいはアジア、あるいは人間や環境というところまで下りられなかったのですね

 3 「~とちゃうの?」の学ぶスタイルと「ええんちゃう」の無責任性

 池永 それから言葉の問題があります。「~とちゃうの?」という言葉が、実は大阪の本質を表しているように思えます。いろいろな人との交わりのなかで「なるほどなあ」「そうなんか」「せやなあ(そうだなあ)」というふうに会話をしていて、相手から実は学んでいて、自分の考えをまとめて、「~とちゃうの?」という言い方になる。自分の考えを他人に話しているうちに、考えを再確認して、編集しているんですね。東京人が「~だよね?」と言うところを、大阪は「~とちゃうの?」と言う。この差は実は大きいと思っています。「~だよね?」という東京の言い方は、他人と同じということが大切という意図が入っていますが、「~とちゃうの?」という大阪の言い方は自分の考え方を確認しつつ、信念に変えていこうとする意図がある。そして、問違っていたら、すっと変わる。頑固なほど変わらないように見え、納得すると変わるという、人から学ぶ姿勢・マインドを、大阪で仕事をしたり、話をすると感じます。学ばなくなった大阪と言われますが、この「~とちゃうの?」という言葉に、まだ可能性はあると考えています
松岡 それはおもしろいですね。私は、大阪の文化や大阪のよさはアナロジー、類推や連想力があることだと思います。これは編集文化にとって一番大事なものです。それを掴むために「~とちゃうの?」を絶妙に使って、「こっちかな?」「あっちかな?」とうまく比較し、自分の連想力のなかに取り込んでいく
 そう言えば、大阪は「えらいこっちゃ」って言いますよね。この「えらい」というのを両義的に使えているのは素晴らしいと思います。「これは大変やで、もうあかんわ」と、「これはえらい(凄い)ことですなあ」と、両方使う。「かなわんわ」と「さすがやわ」という両義的なことを判断するのもおもしろい
池永 こういった表現は、海外の人はわかるらしいです。とりわけ東南アジアの留学生と話していますと、彼らにはすっと意味が入ってくると言います。ですから、大阪本来の強みであるトランスファー文化はまだ残っているにもかかわらず、自らが本来持っていた方法論を東京ナイズされた形に変えなければと思っていることが問題で、逆に外国人の方が大阪の本質を見つけてくれているというところがあります
松岡 大事なところですね。東京は、私は何が一番嫌かというと、ロジカルシンキングになってしまったことです。何もかもがロジカルシンキングで、二者択一型で、オプションを増やし、リスクヘッジをしてロジカルに結論を出す。アナロジーの力が薄れているんですね。大阪はまだ連想の世界が残っているし、漠然とした領域に濃いものがあるので、そこを活かし方がいいと思います。アナロジカルシンキングのいいところは、二者択一ではなく、二項同体や多項同体ができること。いくつものオプションを「かまへんで全部やりまひょか」「せやけどとりあえずでっせ」というような、結論を先送りできる力を持っている。結論を急ぐようになったから、駄目なんですね
池永 そうですね。まさにそこが大きいです。一方、「ええんちゃう」という言葉がここ十数年使われはじめたことが気になっています。一見、ものわかりがいいように映りますが、逆に無責任・放置親・諦めが、この言葉に表れているのではないかと思います
松岡 「ええんちゃう」は、要するに「いいかげん」。これを「いい加減」にした方がいい
池永 「ええんちゃう」が適用するなら、目利きは必要ありませんね。かつて商いのまちと言われた大阪に、本質を見抜く目利きがいなくなりつつあると思います
松岡 目利きは、用意と卒意の両方の目が利く。用意とは、順備されたものを「こっちがいいです」ときちんと選べるということ。卒意とは、その場の空気をつくること。俳諧や漫才、お笑いといった文化そのものではなく、見ている側の目に用意と卒意の両方がなくなり、その場でやっている即興力だけを見ているから、目利きが育たない。駄目と言わなければいけないものがあるにも拘わらず、できていない。ということは、用意についての歴史観や価値観が推積しなくなっているわけですね。たとえば桂米朝に代わるものを話すときに、米朝以前と米朝を、用意と卒意の両方で完璧にじゃなくても説明できなければいけないのにできていない。そこが問題です

 4 ミニマルポッシブル✕人情=上方スタイル 

池永   2016年にサウジアラビアの副皇太子が来日され、天皇陛下と皇居・御所で会見 したときの写真があります。白とページュを基調とした部屋で、おふたりの背に障子があり、外の光が差し込んでいるのですが、この写真が世界に発信されたときに、「ミニマリズム」という言葉で絶賛されました。おそらく10年前でしたら、アラビアの世界では評価されなかったと思います。こういった最小限の構成要素からモノの本質を引き出していくところが、まさに今のインバウンドで海外から評価されている本質ではないかと考えています。南禅寺の庭に見入っていたり、琵琶湖の波の音をただひたすら聴いていたりする外国人がいらっしゃいますが、問題は、日本の文化の枠であるミニマリズムが日本のどこにあるのかという議論がなされていないところにあります
 大阪は怖いところと言われ、とてもイメージが悪いのですけど、その怖い大阪に外国人がどんどん来られている。実は大阪市中央区は「訪れるべき地域世界ランキング」で1位になり、ニューヨーク・タイムズ紙でも、「2017年行くべき世界の場所52」に大阪と流球列島が選ばれ、マスターカードでも「急成長渡航先ランキング」で2年連続で1位になっています
松岡 大阪人がそう思えずに、日本人もそう思っていないのに、なぜ外国人が大阪のおもしろいところを発見しているのか?それがミニマリズム?
池永 ミニマリズムと、独特なローカリズムや奈良・京都の歴史も包含した文化性があるところですね。さらに寛容的で心地よいところだと
松岡 ミニマリズムは、ミニマルポップルというふうに言い換えていいと思います。つまり引き算によって、ポシビリティ、ポテンシャルが上がることが大事で、茶室も、数寄屋造りも、枯山水も、何かを取っ払うことによって多様性が入っても問題ないとなる。たとえば茶室は、何もなくして、誰が入ってもいいというものにできたわけですからね。単なるミニマリズムだけでは、ミニマルアートみたいになったり、あるいは全部ガラスでつくってしまうとか、スッキリしたものがいいというふうになってしまうので、警戒した方がいいでしょうね
 それから、やっぱり人情味というようなものに、再帰したらどうかと思います。西鶴や近松以来形成されてきたもの、蕪村が残したもの、あるいは私塾が発達できたように、人情味というか、柔らかいところが必要だろうと思います
 フィギュアやサブカルチャー、フォークソング、歌謡曲、食べ物といったものを全部並べて、どこにミニマルポッシブルがあり、どこに人情味があるのか、回答を与えてみるといいのではないでしょうか。さらに、ミニマルポッシブルと人情を掛け算すると、上方スタイルが浮上してくると思います。何が上方スタイルになってきたのか、吉本から新喜劇まで、串カツからたこ焼きまで、出汁から昆布まで、そこに潜んでいるものは何かを列挙しないと、本質のところはわからないかなという気がします

 5 都市の再起動に必要なものとは 

池永 最後になりますが、これからの大阪、近級に向けて「ルネッセ」として何をすべきかをご教示いただけたらと思います
松岡    ルネッセが再起動のエンジンとなっていくには、一つはパックミラーに映る過去を、ビビッドに見せながら前進する方針をつくらないと駄目だろうと思います。そのバックミラーは小さいものでもいいから、いくつも持っていた方がいいですね。大きなバックミラーにせず、いろいろなものが映り込んでくるようにする。出汁や料理が映るところもあれば、大阪弁が映るところもある。大阪独特の映り方の違うパックミラーになると思います
 二つ目は、先ほど大阪アナロジーと言いましたが、大阪は連想や類推、比喩の能力、「えらいこっちゃ」のような多重性のある言葉を持っていますから、二者択一的ではなく「よい」と「悪い」の両方を持てるような表現力を外に発信した方がいいと思います。たとえば柔道で、効果や有効を、国際ルールで決めていますよね、それで日本は1本勝ちに走らざるをえない状況になっている。私の見方では、1本勝ちにこだわるのは、サムライの精神としてはいいけれども、評価認力、目利きの力を失うということになります。ですから、審判に効果や有効の見方をもっと教えるぐらいになった方がいい
 三つ目は、パトリ。パトリオティズム、郷土愛ですね。ナショナリズムではなくてパトリとしての大阪、郷土としての大阪を持ってほしい。その郷士にこそ、世界が入っている。世界中が大阪にある、そういう郷土愛を大阪人は持ちたいんだと宣言すべきです。アリゾナも瀋陽も上海も、東北も福岡も沖縄もみんな入る。そういう郷土愛を大阪が持つんだとなれば、アメリカに匹敵するものが生まれると思います。アメリカは全部をサラダボウルのなかに入れているわけですから。大阪はもっと屈託なく、大きなパトリを持って、小さいバックミラーをいっぱい持ってやればいい。そして「ルネッセ」は、その再起動すべきルネッサンスのエンジンに装着するシリンダーの役目を担っていただきたいですね
池永 肝に銘じます。長期にわたる対談、本当にありがとうございました

https://www.og-cel.jp/search/__icsFiles/afieldfile/2018/02/22/02-11.pdf

(情報誌CELVol.118・発行大阪ガスエネルギー・文化研究所・編集平凡社)

松岡正剛先生との対談3部作「場」「公」「耕」の議論が、大阪・関西万博、大阪再起動につながればと考えている


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