どこまで軽くなるのかニッポン―日本はなぜ同じ失敗をするのか?(下)
お地蔵さんは、えっという場所におられる。お寺のなか、お墓のなか、商店街のなか、住宅地のなか、道路の交差点に、いろいろなところにおられる。お地蔵さんには古い歴史がある。インドで「クンティ(土地)+ガルバ(胎蔵)」と呼ばれた教えが、シルクロードをわたり、中国経由で、飛鳥・奈良時代の日本につたわってきた。ここで、クイズですーなぜお地蔵さんは赤いよだれかけをしているのでしょうか?
1. なぜお地蔵さんは、赤いよだれかけをしているのか?
「大地が命を育む力を蔵する」という地蔵菩薩は、6つの世界を輪廻・転生し、人々の苦しみを無限の慈悲の心でつつみ、苦しんでいる人の身がわりとなって救う
日本にやって来た、弱い者を救う「地蔵菩薩」と、古来から日本で信じられていた「道祖神」が混ざり、新たなに編集され、町や村を守る、子どもを守る身近な菩薩として再定義された「地蔵信仰」が、室町時代に京都から畿内に広がった
日本人は、煩いは外から入ってくると考えてきた
煩いは外にあって、内と外の境界を突破して、内に入って煩いがおこす。だから、戸は開けっぱなしにはしない。開けたら、閉める。ここから先は入ってはいけない線が結界。内(ウチ)と外(ソト)、そしてまんなかという位置構造を意識する日本人。この内と外と、内でもない外でもない真ん中の位置に、お地蔵さんが登場する。外から疫病や盗人など災いが侵入してくるのを防ぐために、お地蔵さんは内と外が接する、いわば内でもない外でもない真ん中におられて、内の人々を守ってきた
お地蔵さんは一体だけ場合も、六体のお地蔵さんが一か所に並んでおられることもある。六地蔵さん、意味がある。6体の地蔵さんそれぞれ役割がある。地蔵さんは、人々の苦難である6道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)を旅して、弱い立場の生き物、人々を救済する。各道ごとに「檀陀(だんだ)、宝印、宝珠、持地(じじ)、除蓋障(じょがいしょう)、日光」の六地蔵さんが並ぶ。
冒頭のクイズ「お地蔵さんの赤いよだれかけ」はなにか。お地蔵さんは、子どもたちを守ってくれる。だから子どもを持つ親は、子どもの健康を祈り、自分の子どもの匂いをつけた赤いよだれかけをお地蔵さんにかけた。よだれかけの赤にも、意味がある。赤色は、魔除けとして日本人が古来より大事にしてきた色だった。
このように日本文化の基盤には、シルクロード文化・中国文化とそれまでの日本文化との融合、編集が濃厚であることに気づかされる。その日本文化を、明治維新以降、よりわけ戦後に、多くのことを日本人は忘れていった。お地蔵さんは、明治維新の廃仏毀釈の政策によって、多くのお地蔵さんは捨てられ破壊された。現在、残っているお地蔵さんは、土から掘りおこしたり破壊から守られたもの。このように、お地蔵さんには深い背景がある
2 . 簡単な方向に向かいつづけた日本
お地蔵さんの話など、興味がない。企業を生き抜くためには、業界の専門知識と技術を身につけ、人間力が大事だ、教養なぞでは企業は勝ち残れない。それ、なんぼのもんやと、評価されなくなった、
こうして、日本から教養が向け落ちた。大人に教養がないのは、職場に教養は必要がないからである。職場には労働力だけだしたらいい。教養など求められない。そんなことばかり言うてなんぼになるねんという親に育てられた子どもは、当然そうなっていった。
教養は、決して形式的なものではない。たとえば若者が流行の歌を聴いて心うたれたとする。これも教養。音楽を聴き、そこに出てくるフレーズで、風景が心に浮かび、彼女を大事にしなければいけないとか、自分の想いだけで突っ走ったらいけないとか、歌に励まされる。「歌に励まされた」とよくいうが、これも教養です。昔の人は手習いで詠んできた和歌とか漢詩などは教養そのもの、自分の心が感じるものをピン留めする。このピンがいっぱいある人が教養人で、なにかあったとき、ピン留めした教養の基盤から、物事を類推していった。その教養では仕事ができんと言われる企業の価値観に陥っていた
では日本が長年学び続けてきた中国は現在、どうか?
中国の大学試験は、全国テスト。その試験の成績によって、大学が割り当てられる。その大学テストでは、文系理系問わず、漢詩や唐詩や孔孟老荘の思想が問われる。絶対的に「教養」が問われる。日本のレベルではない。中国の知識人の教養は高い。中国では人材の育成の仕組みに教養のプログラムが取り込まれている。日本とはここが違う
世界は教養の高い人間が上にあがるべきだと考え方があり、そういう人材を引きあげられていく。登用していくときの「教養」が求められる。日本はそうではない。教養なぞは引退したらいい、実務的、俗物的、単純、軽い方向に向かっている。40年前からものづくりで「軽薄短小」が論点となっていたが、人間まで「軽薄短小」になろうとしている
このままではあかんと、アート思考とかいって、美術館やコンサートに行って美術や音楽に親しみ経営に活かすというような取り組みが話題になっているが、たんにそこにいくだけでは教養とは言わず、ファッション、ビジネススタイルの一部にすぎない。
大事なのは、そこに行き、なにか創作されたものを鑑賞して、それに込められたモノ・コト、そこで伝えられようとするモノ・コト、伝わってくるモノ・コトをピン留めする。そしてなにかあったときに、このピン留めしてきた教養の基盤から、物事を類推して、着想・発想していくことが大事だが、教養を必要とないと考えている人は変わらない
3 高級車に乗ってパッシングする人たち
日本人の教養の低下を一目瞭然で感じるシーンがある。高速道路を走っていて、高級車に乗っている人がパッシングしまくるシーンに出くわす。
車と乗っている人とが不釣り合いになった
日本では高級車に乗れば、威勢がよくなり、偉くなったような勘違いをして、そこどけとバッシングをする。一方、欧州では高級車に乗る人ほど、優しい運転をする。高速道路を走っていたら、民度のレベルがよく分かる。いつからか日本人は簡単に身にまとえる「上級国民」のファッションとして、高級車に乗って走るようになった。日本で高級車に乗る人に教養などないから、高速道路はパッシング・追い越しが横行するようになった
なぜそうなるんだろう
有名な話がある。ユダヤ人は教養だけは剝ぎ取られないと考え、昔から子どもに教養を身につけさせた。学習・教育で得た知識は陳腐化する、しかし教養は一生その人のものとなる。だから、生きていくためのチカラとして、ラテン語体系に組み込まれたギリシア・ローマ文化を学び、教養をつけた。文化的背景の重みや深みがあるラテン語体系から、心と思想を養った
日本には漢字文化があった。シルクロード・中国文化圏の漢詩・唐詩・孔孟老荘思想などを日本的に編集して日本的漢字文化体系を発展させ、多くの教養人を育て、日本文化を洗練しつづけてきたが、明治維新で標準語になって失った。東アジアの思想・文化体系が凝縮された漢字体系がたんなる記号になろうとしている
文化的背景をもったことを学ぶ
という背景がなくなりつつある
4 歴史の学び方を間違ったニッポン
これこそ、同じ失敗をなんども繰り返す課題の核心。そんな失敗をよく見る。それを知っている人がまわりにいるのに訊かない。訊けばあり得なかった失敗をしている。その繰り返し。
日本がとりわけ歴史で軽んじるものがある。美術史や科学史である。西洋では、それが丁寧に現在も残されている。科学史ならば、さかのぼればガリレオとなり、アルキメデスにつながっていく。美術史ならば、レオナルド・ダ・ビンチやラファエロなどの表現者につながっていく。歴史を学ぶということは、
変わることと変わらないことを学ぶ
発想法や表現法を学ぶ
ところが日本では、美術史も科学史は流行らなくなった。なぜかというと、そういう背景を知らなくとも、ファッションとして美術を堪能できるし、道具として科学を利用することができる。こうして、運慶も葛飾北斎も千利休も伊藤若沖も加納永徳も、名前は作品は知っているが、彼らが日本に残した影響の構造、文化的背景を知ろうとしなくなった
美術史や科学史で根っこが分かってくると、なんでもかんでもLEDではなく、ロウソクのランプで夜の暗さを実感したり、「深み」を学んだりできる。明治維新以降、そういう学び、仕事が減って、たとえば日本風土から作り出した伝統色を失いつつある。170年前までいっぱいあった青が「なんでも青色」になった。こうして令和日本から日本文化が消えようとしている。
日本文化は、大文字焼きも精霊流しも七五三も、まだ残っているじゃないかという人がいる。しかしこの行事に、どんな意味があるのかが分かっていない。分からずに、ハロウィーンとかクリスマスと同じく、季節行事・イベントとして開催したり、参加する。
今は、まだ、これにはなにかあるのだということに、うすうす気がついている。しかしそれすら、危うくなろうとしている。祭りも山車の担ぎ手がいない。年賀状など節句に関係する生活文化も枯れつつある。文化背景が分からなくなって、事柄だけになる。事柄だけになれば、好きか嫌いか、楽しいの楽しいのか、受けるのか受けないのか、費用対効果で判断されるようになる。こうなっていくのは、なぜか?やはり日本の社会・経済・産業に
教養が薄いから、そうなる
だから日本は、同じ失敗を繰り返す。まだまだ書きたらないので、「日本の教養」は、また後日、書かせていただく。
数日前から続く原因不明(コロナは陰性)の高熱のため、論理破綻している内容ですが、日本をなんとかしたいと願う熱情をお含みください