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日本人はなぜクイズ番組が好きなのか?(日本はなぜ同じ失敗するのか(中))

40年前、アイドルたちの「音楽番組」が花盛りだった。30年前、アクション漫才の「お笑い番組」が花盛りだった。20年前から、「クイズ・バラエティ番組」で賑わっている。「日本の失われた30年」をなぞるように、テレビの中心は、音楽から笑い、教養系クイズ番組に移った。

1.クイズ番組が好きな日本人

日本人の教養レベルが低くなったことが分かるシーンがある

日本ほどクイズ番組が多い国はすくない

1953年のテレビ放送開始早々から、クイズ番組が制作された。テレビ放送の前から、「話の泉」「二十の扉」などのラジオのクイズ番組が人気があり、日本人の気質的にクイズ番組が合ったのだろう

日本のテレビ番組でクイズは欠かせない

クイズ番組が日本テレビ史を飾るー私の仕事はなんでしょう、私の秘密、連想ゲーム、アップダウンクイズ、クイズタイムショック、クイズダービー、パネルクイズ アタック25、世界ふしぎ発見! ネプリーグ、全国高等学校クイズ選手権、アメリカ横断ウルトラクイズ、東大王、Qさま…。過去から現在も、日本はクイズ番組が多く、近年、増えた。それも、純粋なクイズ番組から、クイズ・バラエティ番組になった。なぜ日本人はクイズ番組が好きなんだろう。

幕末の瓦版につづいて、明治時代になってからは、新聞でニュースを読んだ。政治・経済・事故・事件・スポーツ・芸能などのニュースを、いち早く、詳しく知りたがり、誰も知らない情報を毎日の新聞に求めた。その後に登場したラジオでも、テレビでも、ニュース番組が主役であり、現在は、四六時中、ネット・スマホで、ネットニュースやTwitterトレンドで情報を追いかける。このように

 
日本人は知りたがり屋
他人が知らないコトを知りたがる

今はデジタル版もあるが、かつて新聞の日刊紙は朝刊と夕刊発行を読み、テレビの定時のニュース番組で、情報をつかんでいた。ニュース番組とニュース番組の間に、娯楽番組やスポーツ番組や音楽番組が生まれた。そのような番組ばかり見てばかりいると「教養がない」と思われるから、教養系と思われるクイズ番組を見る。

2 なんでも知っている人に憧れる日本人

日本人は、古代から現代まで、みんなが知らないことをなんでも知っている博覧強記の知識人に憧れる

稗田阿礼、空海、大江匡房、西行、紫式部、清少納言、西行、法然、最澄、親鸞、道元、世阿弥、雪舟、蓮如、千利休、新井白石、林羅山、本居宣長、荻生徂徠、安井息軒、井原西鶴、太田南畝、木村 蒹葭堂、横井小楠、徳富蘇峰、南方熊楠、鈴木大拙、柳田国男、折口信夫、梅棹忠夫、立花隆、白川静、司馬遼太郎、松岡正剛…


知の巨人にはなれなくても、日本人は「知」がスキ。他人が知らない情報を知っていることに、優越感を抱く。そして日本人は秘密話がスキ

ねえねえ、知ってる?
ここだけの話

が日本人はスキ。だからテレビの情報番組やクイズ番組を見て、他人が知らない情報が手に入ることで、知的欲求をくすぐる

そして、SNS時代になった。本や新聞を読まない人が増えた。テレビを見ない人、家にテレビがない人が増えた。そこで、テレビが生き残るために、SNSにはないコンテンツづくりが必要となった。しかしテレビ全盛期のように、制作費はかけられない。そこで、増えたのがクイズ・バラエティ番組。

そのクイズ・バラエティ番組に登場するのが、もとNHKの池上彰さん、カリスマ予備校講師だった林修さん、京都大学出身の漫才師宇治原史規さん、東京大学出身のクイズ王を君臨した伊沢拓司さんなど、なんでも知っている「クイズ」スターが続々と生まれた

テレビ局としては、なんでも知っている物知りクイズスターが出演したクイズ・バラエティ番組ならば視聴率をあげられるだろう、視聴者は楽しく「教養」が身につくと思うだろう、ウィンウィンとなると考えた


3 クイズ番組は、現代版井戸端会議

クイズ番組が増えただけではない。
テレビで「お笑いタレント」を登場しない番組を見つけるのは難しいくらい、テレビにはお笑いタレントが目立つ。情報番組の司会だけでなく、コメンテーターとして、みんなが知っているお笑いタレントや歌手や元スポーツ選手や俳優・女優たちが専門家に並び、政治・経済・海外ニュースのコメントをするようになった。なぜか?

そもそもニュース番組でアナウンサーが報道しても、専門家が「専門」用語で解説されても

意味わからん・訳わからん
なにをいっているのか分からなくなった

と敬遠されるようになった。知らないと思われるのがイヤ、分からないと納得しないのが、日本人の性分

だから、難しいと思われるようになったニュースを、やさしく分かりやすく伝える番組をつくろうとなった。そこで、情報番組に、お笑いタレントたちを登場させるようになった。自分たち視聴者と同じような感じの人が、ニュースについて語る。すると、ニュースがすっと入ってくる、ほっとする、安心する。情報番組やクイズ番組は視聴者の

「井戸端会議」の現代版となった

大阪くらしの今昔館

4 ちょっと違いで、大きく変わる

なるほどザワールドとか世界・ふしぎ発見!などの海外モノのクイズ番組も多い。純粋な真面目なルポルタージュでは、なかなか視聴率が稼げないからと、有名人やお笑いタレントを集めて、クイズ仕立てにして、盛り上げる。テレビを見ているだけで

教養が身につくような気がする

だからクイズ番組を見る。しかしテレビのクイズ番組で得られるのは、情報である。そのままでは、知識や知恵やナレッジにはならない。だから教養にはならない。

こんな経験があるだろう。自分が「知っている」クイズ問題が出題されると、え!?それ、ずれている、それは本質ではない、ちょっとそれは違うと感じる。それである。つまり

クイズ番組で手に入ることは、そんなもの
教養は簡単に身につくものではない

クイズ番組の制作会社から、クイズの答えを教えてくれと依頼され、制作会社が考えた問題が送られてきた。その問題がどう考えても

ずれている。問題がまちがっている

「その問題は、本筋ではないので、こっちの問題のほうがいいのでは」と提案しても、そんな難しいことを言っても、視聴者にはうけないと、私の提案は受け入れない。そして仕方なく考えた私の答えを、「なんでも知っている知識人」が、さも自分が考えたように答える。

その知識人の答えは、私が答えた答えから、ちょっと変わっていた。ちょっと変わっただけだが、「本当」ではなくなった。このように

ちょっとした違いで
大きく変わってしまうことがある

このようにして、社会がすこしつづずれていった

5 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」から50年

クイズ番組を見ていると、受験で「マークシート」を埋めていたことを思い出す。クイズ番組が人気なのは、日本人がいかに受験に縛られているかの裏返しともいえるのではないだろうか?

かつて「読み書き算盤」で知的基盤を厚くしてきた日本人は、難しく分厚い本や原典を敬遠し、余白が多く見やすい本を選ぶようになり、ハウツー本や雑学・クイズ本や写真集がベストセラーとなり、1979年からの共通一次試験で大量の問題の5肢選択の瞬時さを競うようになり、欧米人がつくったフレームワークに「問題」を埋めたら「答え」がでたような気分になり、文字よりも絵を優先した綺麗なパワーポイントをつくったら答えができたような気分になり、読んだり書いたりするよりも欧米の「TED TALKS」を真似すればスーパープレゼンができたような気分になり、ネットやスマホ検索で「ぱっと秒で答えが出る」スタイルが、暮らしや学びや仕事で普通になった。

これらのスタイルが積み重なり、社会は軽薄短小となった。情報はすぐに手に入るが、知識や知恵に昇華するプロセスを面倒くさがるので、知的基盤はどんどん薄れていった。じっくりと時間をかけて答えを見つけていこうという方法論は古いと捨てられ、スピーディーにスマートに答えを見つける方法論が主流となり、日本の力が落ちた。思い出した言葉がある。

狭い日本、そんなに急いでどこに行く

1973(昭和48)年に、高知県の警察官がスピード違反による重大事故を減らすためにつくった標語。50年前も高速時代だった日本の時代速度は、それからさらに加速した。この50年で、日本が得たことも多いが、失ったことも多い。失った大きなもののなかに

日本の教養がある
失われた日本の30年の原因のひとつ

これからどうしていけばいいのか、次回の「日本はなぜ同じ失敗をするにのか(下)」で考えたい


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