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金に換えられないニッポンー生産性低迷の本当の理由

生産性とはなに?生産性を高めよ、生産性がない、生産性の向上…生産性という言葉、分かったようで分からない。あなたは、この言葉を説明できますか?曖昧な言葉には大きな意味が含まれていることがある。まず生産性とはなにかから、話を進めていく


1 生産性ってなに?

「生産性」とはなに?—まずおさえておきたいのは、「生産とは物をつくる」という意味だけではないこと

財・サービスを満たすことが生産。原材料を加工してなにかを創ること、これが生産。原材料をとるのも生産―ダイヤモンド・石炭・石油・天然ガスを掘ること、これも生産。お米を収穫する、魚を捕る、これも生産。理容も美容もネイルアートも耳かきサービスも、ITサービスも生産。インバウンドは純粋には貿易外収支だが、観光も生産である。このように

財とサービスを生み出すのが生産

ところが牛乳の生産はどうか?ある日に牛から搾った牛乳を5000Lを出荷して5万円の収入があった。しかし政府が牛乳の需給調整・買取量を調整しているので、今日搾った牛乳は捨てた。 搾った牛乳は捨てたので、今日の生産性はゼロ円。なにかを産んだが、生産性はゼロ円。なにかおかしくない?

生産や生産性を考えるとき、その観点が欠落している

つまり財やサービスを生みだすことは「生産」だが、 財やサービスを成立させているのは「金額」である。財やサービスは「金額」で示される。GNPもGDPもすべて金額。金額に示されないものは、生産とは言えないことになる。世の中には金額カウントできない「生産ではないもの」が山ほどある。実はとても増えている

2生産性のカラクリ

私たちは、生産を金額ではなく、個数や量で捉えるのが普通である。牛乳を何L生産したのか?石炭を何トン生産したのか?風力発電を何kWh発電したのか?というような「個数・量」で生産を捉えるが、経済の世界では生産を「金額」でカウントする。だから風力発電をしても電気が売れなければ売上げが立たないので、経済でいう「生産」にはならない

つまり金額でしか生産がカウントできないとなると、生産性の上がる下がる要因は単価である。単価が上がれば生産性が上がる。逆に単価が下がると生産性が下がる

値段がさがると、生産性がさがる

ラジオを作っている会社があった。1台1万円のラジオを年間1万台販売して売上は1億円であった。その会社の生産性は1億円となる。1万台のラジオを10人で作っていたら売上が1億円だから、労働生産性は1人当たり1000万円となる

あるとき、海外会社が同じような機能のラジオを売り出した。するとこれまで取引のあったバイヤーが、あなたのラジオは1万円では買えない、5000円ならば買ってあげるといわれ、売値を下げた。よって単価5000円×1万台、売上は5000万円となった

突然、生産額は半分になる

1億円の生産額があった会社が、5000万円の生産額となった

これまでと同じように1万台のラジオを作っているのに、売値が下がったので生産額が半分になる。10人で1万台をつくる体制はなにも変わっていないのに、1人当たり1000万円だった生産額が500万円の生産額になる

賃金ベースの生産性で捉えると、同じラジオを同じ数量をつくったが、ラジオの単価が5000円になっても300万円の賃金ならば、会社は従業員に倍の賃金を払うこととなる。日本の生産や生産性や賃金を考えるうえでの留意点である

デフレが進み、生産性が下がった

日本が弱くなった」と多くの人がいうが、海外との価格競争のなかで、日本のレベルが下がったという要因が大きい。働いている人の働きぶりが悪いのでさがったという要因よりも、世界のなかでの日本の相対的地位が下がったために生産性が下がったといえる

そういう整理で、生産性が理解できる

こういう事柄を踏まえると、日本の生産性の低迷は、海外との競争で、日本が生産性を下げている

現実は、価格勝負では日本の競争力が落ちている。失った生産額を取り戻さなければならない。付加価値をあげたり、新しい商品・サービスがうみ出せるように、動かなければならない

3 金に換えられない人たちが増えている

会社のなかに、一円にもならないコト、なにをしているのか分からないコトをしている人が増えている。世の中に出ないモノを研究・開発ばかりしている人、社会課題とは乖離したコトを検討ばかりしている人が増えている。社内の大切な資本や国の補助金を獲得して何年もそれに投入するが、なにもうみだせず、結局やめてしまうプロジェクトが増えた。チャレンジ精神はいいが

結果をだせない人、生産ゼロの人が増えた

国が1億円の公的補助金をある会社に出して、その金を使ってなにかを開発しようとする。その会社がその1億円をなにかに使うので、世の中に金がまわることはまわる。しかしその会社が結局なにも生みだせないと、生産性はゼロ。こんな案件が増えている

さらに生産性ゼロの仕事をしている人は、自分の労働が社会においてなにを生んでいるのか、なにに貢献しているのかがわからない。しかしそんな生産性ゼロの部署があるなか、会社は売上げがあがっている

自分は生産していないが
誰かが生産してくれているという風土

そういう風土が広がっていくなか、日本の会社全体の生産性が下がっていった。そんな事柄が日本のなかで増えていくなかで、シンガポールやマレーシアなどの国々の生産性が日本を上回っていった。シンガポールやマレーシアなどの人件費が安いからだという人が多いが、東南アジアの国々の人件費は上がっている。では日本と東南アジアとで何が違うかというと

金に換えられているかどうか

4 金に換えられるかどうか

シンガポールやマレーシアは金に換えているから、生産額が上がり日本の生産性を上回った。一方、日本は金に換えられない事柄が増えている。なにかをしようと考えても、それを具体のカタチにすることができなくなっている。世の中にモノ・コト・サービスを出して、お金にすることができなくなっている

離陸しても着陸できなくなっている

シンガポールやマレーシアには、日本は負けていないよと考える人が多い。なぜ日本はこんなことになるのだろうか?なぜこのようにどんどん労働性が下がっていくのだろうか?

みんな、真面目に働いているよ

たしかに遊んでばかりいるわけではない。働く人は働き、新しいことにチャレンジしようとしている。しかし調査や分析ばかりだったり、机上で検討ばかりだったり、会議ばかりだったりで、世の中にモノ・コトを出せなくなった

つまり金に換えられなくなった
だから労働生産性が下がる

たとえば漫画が好きでずっと漫画を描きつづけ世の中で受け入られ売れて金になれば、それがサービスとなり生産となる。しかしいくら努力して頑張ってもデビューできなかったら、それはサービス・生産にならない

一方、日本のものづくり会社を辞めた年配者たちが中国や韓国に渡って仕事をした。中国や韓国は、その人の知識やスキルを活かしてモノ・コトを作りあげ、金に換えた。中国や韓国が急に伸びたのは、そういう側面もある

日本の技術者を受け入れ、金に換えた

日本企業は、金に換えられない事柄が増えすぎている。お金にならないことをしてばかりいるほど、日本に余裕があるのか?ーない。金にしないといけない、創造的に物真似をして、金にする。みんなに喜んでいただけるモノ・コトを、みんなに良いなと言っていただけるモノ・コトを創って、世の中に出して金に換える。しかし研究開発ばかりして、検討ばかりして、議論ばかりしていて、お金に換えられなければ、日本の生産性はさがる

お金にできないことがいかに悲劇か。これだ、これをしようと思いついて、動き出したら、お金にしよう

会社の経営者や管理者やスタッフが視察や見学という名で国内外を旅したり、講演や研修に行ったり、繁華街を飲み歩いたりするようなことがまだまだ多い。それはベースの売上があるからできるのであって、その人たちがその行為を金に換えることができたら生産になるが、売上げが一円にもならないと、生産性はさがる

どうのこうの言っている時間があるなら
金に換えよう


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