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別次元の人が頑張るニッポンに―誰からリストラする?(下)

日本の組織には独裁者、カリスマは合わない。そんな人が社会に現れても、長くは君臨できない。平清盛、織田信長、豊臣秀吉、大久保利通しかり、日本は突出したリーダーにはついていけないと考えるーそれ、本当?
 
組織のなかに、飛び抜けた人がでている。しかしみんな一緒、みんな仲良しの組織のなかでは、みんなと違う、場を乱す人とみなされ、別次元の人は浮き、排除されるーそれで、いいの?

「出る杭はうたれる」という言葉がある。才能あふれ抜きんでている者は、妬まれ、妨げられ、出る首は切られるといわれてきた。そんな日本はだめといわれたりするが、日本は聖徳太子の十七条の憲法の冒頭は「和を以て貴しと為す」だった。明治維新の五箇条の御誓文の第二が「上下心を一にして盛んに経論を行うべし」だった

日本人は「和」を大事だと、教えこまれてきた。そう考えると、「出る杭はうたれる」の本当の意味は、「だから、みんなと仲良く頑張れよ」ということだったのではないだろうか?

note日経COMEMO(池永)「誰からリストラするのか」から3年 ― みんな一緒のなかのちょっとした満足(下)

1 別次元の人に実力を発揮させないといけない

しかし飛び抜けた人が、社会を、産業を、組織を、日本を進歩させてきたのは枚挙にいとまがない。その人がいなければ、変わらなかったことは多い。だから

別次元の人を特別扱いにして
伸び伸びと実力をさせないといけない

というと、そんなやり方は日本には合わないと批判する人がいるが、過去の成功方程式、予定調和で、なんとかなる時代ではない

アメリカは実力主義・ミッションが達成しないと、辞めさせられる。日本はアメリカとは違うというが、実態的には年功序列、終身雇用が崩壊して、退職金の意味もほとんど薄れつつある

会社が目標を達成するための戦略を遂行するうえで必要なポストには、それを実現できるチカラをもった人材を採用・配置するのが普通だが、その市場価値の高い人を、会社のみんな一緒の給与体系で雇用しようとするから、集まらない。たとえ採用できても、すぐに辞めていく

世の中の商いでは当たり前の話

会社のミッションを達成する現在価値の力を持つ人材は、その人の市場価値で雇用しなければいけない

2  そんな悠長な時間は日本にあるのだろうか?

大学を卒業した新入社員では社会に通用しない。
だから会社に入ってから、社会で通用するように、その会社の文化にあうようにじっくりと育ててきた

しかし社会のスピード、デジタル技術の進歩、ビジネスゲームのルールの転換が明確になり、これまでの昭和の採用・育成モデルが機能不全となって、本当に仕事ができる人、実力がある人を採用しよう、大学ブランド名だけで採用はできないという動きが出ていたところ、突然、人手不足だといって、空前の売り手市場となって

なりふり構わず人集めに奔走している

一方、中国や韓国は大学を卒業しても、なかなか就職先がない。ヨーロッパもアメリカもそう

現在の仕事ができる人しか要らない 

そんな世界の動きのなか、大学を卒業して、会社に入って、じっくりと研修や社外研修をうけさせ、ゆっくりとレベルアップさせよう。5年、10年経ってようやく戦力にして会社に貢献してもらったらいい

そんな悠長な時間は日本にあるのか?

会社に入って使えるのか使えないのが分からない人に先行投資をして採用するから、1年で3割、半分が辞めてしまう。

新卒採用にこだわる会社は多い

3 会社は、大学を卒業した人の職業訓練校ではない

日本の会社は年功序列でチームを編成していた。現在のチームのなかでは戦力にはならないが、未来への育成のために、若い人をチームに加えた。それでも回る、ゆったりした時代環境だった、シンプルな競争環境だった、しかし本来は会社、チームの

目標に貢献しない人は要らない

現在の目標を達成できる力がある人を集めて、チームで頑張る―このスポーツの世界では常識の考え方が、なぜか会社にはなかった

就職する学生もそう。大学を普通に4年間過ごしたくらいの知識・教養レベルでは、社会は通用しない。本来、会社は、大学を卒業した人の職業訓練校ではないが、「会社に入って勉強します」と言う、それは甘えといえる

雇用する企業側も、「新卒呪縛」から脱却しないといけない
新卒を雇用する企業側も、新卒を採用して、そこからわが社を背負っていく人間になってもらいたいというのは、石炭を山から掘り出して、その石炭を使って電気を作ろうとするもの
 
ところが、石炭だと思ったら、石ころだったこともあり得る。石ころならばエネルギーを生み出せない。だったら最初から火が付いているような燃料を買ってきて、それで発電できたほうがいい
 
企業における人間の採用の基準がいい加減なので、そうなる。平凡な企業人が非凡な人材を見抜けるだろうか?見抜けない

平凡の中から非凡性を見抜く、見出すということができないと、会社はどんどん弱くなっていく

4 現在価値を常に発揮しつづける

大学の進学率、競争率をみたら、ほとんどの人が大学に入れる状態がこの30年つづいている。実質の入学試験ではない。願書を出せば進学できる大学もある
 
このように競争しているわけではなく、さして勉強もしていないのに、大卒だからと言って、「人材不足→売り手」市場で、新卒を採用すると、あとで困る。30年前の売り手市場であったバブル入社した人がその後を知っている人には、現代の売り手市場の新入社員がどうなるかは分かる
 
さらに人手不足といいながら、新卒でこれだけ多くの人が続々とやめていく

働いていない人が増えている

だから発想を転換する。現在の企業の目標・戦略を実現できるだろう人材を採用する、市場価値にあった報酬で採用する。新卒の人であっても、現在の市場価値があるならば、雇う。過去価値ではなく、未来価値ではなく、現在価値を軸に考える
 
会社の時代錯誤は社員を雇用契約すると、ロイヤルティ・会社への忠誠心が、もれなくついてくるという発想である。雇用契約した社員は、年功序列で、その組織で頑張って、自分のため、家族のために所得を上げて、地位をあげていきたいと考えるだろうという

企業側の価値観は、今は昔 

社員との雇用契約はロイヤルティ、会社への忠誠心とは関係なくなった。時間をかけて採用活動をして雇用契約を結んでも、3年以内に多くの社員が辞めていく

 人材の流動化は、加速している

入社10年後の人材を考えて採用して育成したが、その人材が入社3年はおろか1年で辞めたら、会社はまわらなくなる。だから社外から、社内から、現在価値のある人を採用・配置する。経営人材はすでにそうなっている。下からじっくり育つのを待つのではなく、外からできる人を配置する

もうそうなっている

組織の生え抜きで頑張らせたいという愛社精神は分かるが、現在の企業の課題を解決して目標を実現するためには、それを達成できる現在価値がある人材で探して、頑張らせるという経営をしないといけない。

その通りだと思って、そういう人を探すが、会社はこういう失敗をする。非凡の人を探そうとすると、自己PRの嵐にあう。生成AIで作った偽物が増え、本物が見出せない。本当の実力がある人はあえて自分を飾らない

しかし平凡のなかから実力ある人を見出すためには、見出す人が平凡だったら本物は見出せない

大学生もそう。大学時代に何をしたかという問いに、結果が出ていないといけない。私は大学時代にこれこれを頑張りましたは、結果ではない。大学時代に、こういう研究をして論文にして発表したとか、インカレで優勝したとか、何かに達成している人を見出さないといけない

頑張るのは、当たり前

大学の4年間に、なにかを成し遂げないといけない。大学の4年間があれば、本来、なにかできるはず、なんとでもなるはず。そうならないのは

めざす方向が間違っている
努力が足りない 

そしてその会社に入って目標・ミッションを実現しないといけない。しかしそれで立ち止まってはいけない。常に現在の市場価値を発揮できるように自らを鍛えつづけないと、現在を生き残れない


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