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シュレーディンガーの猫というパラドックス—よく分からない時代(3)

コロナ禍に入って、3年が経った。2023年4月、明らかに空気が変わった。大阪駅や京都駅構内をすれ違う人の多くが外国からの観光客だという時間帯もある。閑古鳥が鳴いていた観光地はどこの国だというくらいに世界からの観光客が一気に戻った。繁華街もそう、世界の人が笑顔で遊んでいる。日本には、伝統と最先端がある、美しい、クール、最高、素晴らしい,
ずっといたいといった声があふれている

この3年間、悪夢だった、苦しかった、必死に耐えてきた、我慢してきた。インバウンドはコロナ禍前をきっと上回るぞ、さあさあ、ここで一気に巻き返そう、リベンジだ、頑張ろうという空気が膨張している

明らかに、潮目が変わった。まるでコロナ禍がなかったように、コロナ禍前に戻った人と企業。コロナ禍を契機に変化した価値観・構造の本質をつかみ、次にむけて動きだした人と企業。二分される。いや大半は、前者である。前提条件は、コロナ禍はなかったとする。それは、なぜ?

なぜならば、変えるのは大変
変えないことの方が、簡単だから

1 出社かテレワークは自分で決めて


マスクをつけたままでいるのか外していいのか、よく分からない。自分で決めろとなった。どうしたらいいのだろう、よく分からない。マスクをとったら、なんだかんだ訊かれるのは面倒だから、みんながマスクをとるまで変えないでおこう、当面はそのままでいよう

テレワークもそう。コロナ禍を契機に、テレワークを導入する企業が多かった。テレワークを進めている企業も多かったが、導入しなかった企業があった。同じ会社でも、テレワークをしている部署と、テレワークをしていない部署があった

コロナ3年の実験をした。特段大きな問題がなかったので、テレワークと出社のハイブリッド勤務を制度化しようと決めた企業がある。一方、テレワークでは仕事が回っていないのではいかという鶴の一言で、テレワークをやめて出社勤務に戻そうという企業。まだそのどちらにするのかを決まられず、しばらく様子をみようという企業も多い。なぜそのままなのか?それはテレワークでも出社でも、企業の業績は


ほとんど関係なかった
テレワークになっても影響はなかった

どうなっているのか?ここには、コロナ禍前からの日本の仕事の課題を内在している

2 きみは、今、どこにいるの?


4月に入って、こんな経験をした。定期的にミーティングをしていた企業から、これまではコロナ禍でオンライン会議だったが、コロナ禍も収束しつつあるので、今回は対面会議にしたいと連絡があった。その企業の担当者に、「みなさん、出社勤務に戻ることになったの?」と訊くと

「いや、そうじゃないんです。出社するか在宅かは、自分で決めろとなったんです。どちらにするかは自由と言われたので、今日は出社することを選んだんですが、私が今日、会社に来ていることを、会社は管理していない。コロナ禍前は、みんな、会社に集まっていたので、会社で遅くまでいたら頑張っているね!と言ってもらえたり、調子がなかなかでなく離席が多かったら怠けているんじゃないの?といわれたりするような「仕事の見え方」ではなくなって、今日は会社に来ているのね…ぐらいの扱いになった」

こんなこともあった。ある会社に電話したら、目的の人が出なくて、別の人が電話に出た。「〇〇さん、いらっしゃいますか?」と訊くと、「すこしお待ちください」と言って、しばらくして、「すみません、〇〇は、本日は在宅勤務みたいです」という返事だった。最近、そういうことが増えた


仕事の場で、なにが起こっているのか?


会社のなかに、その人がいるのかいないのか、わからなくなった。 それを、誰もつかんでいない、見ていない、管理しなくなった。会社に行くのかテレワークするかは、本人が決めていいということになったが、本人がどちらを選択しているかを会社・組織は管理しているようで、実はしていない。 いや、実質的にできない。そういうことが、現在、各社で起こっている

3 「シュレーディンガーの猫」のパラドックス


85年前に発表された「シュレーディンガーの猫」という量子物理学の思考実験がある

箱がひとつある。その箱に、50%の確率で毒ガスがでる装置が入っていて、その箱のなかに、猫をとじこめる。1時間後に箱を開けて、箱のなかがどうなっているのかを確認するという実験である

箱を閉じている1時間で、毒ガスが出たら箱のなかに閉じ込められた猫は死ぬ。毒ガスが出なければ、猫は死なない。その装置から毒ガスが出る出ないで、猫が死んでいるのか死んでいないかが分かれる。猫が死んでいるのか死んでいないかは、箱を開けたときに、はじめて分かる

このシュレーディンガーの猫の論点は、猫が死んでいるのか猫が生きているのかは、箱のなかに閉じ込めている間、そのどちらかであるという状態がつづく。常識的に考えて、生きている猫と死んでいる猫が重なっている状態など、あり得ない。しかしこの実験の論点は


猫が生きることも死んでいることも成り立つ


というのが「シュレーディンガーの猫」という思考実験の意味である。
つまり、一見正しそうに思える前提と妥当と思える推論から、受け入れられないような結論が導かれることがあるというパラドックスである

この「シュレーディンガーの猫」的に考えると、在宅勤務・テレワークは


仕事をしていることと
仕事をしていないことが

同時に成り立ってしまう


たとえばあなたが、テレワークが認めらえているある会社の課長とする。あなたの部下が10名いて、ある時間に、部下10名が仕事をしているのか仕事をしていないのか、つかめない、わからないという状況になった

ある時間に、勤務している部下たちに用事があって電話をした。ある部下は、電話に出て、訊きたいことが聴けた。その部下は仕事をしていた。また別の部下に電話したら、電話には出たが、「すみません、今、子どもをあやしているんです」「ごめんごめん、じゃ、いいよ」と電話をきった。その部下は仕事をしていなかった。「シュレーディンガーの猫」状態である
 
課長であるあなたはどうだ。午前10時40分に、あなたは部下たちに電話したのだから、課長であるあなたは仕事をしていた。しかし10名の部下が仕事をしているのかしていないかが分からないということが起こっている。分かるのは、課長であるあなただけ。つまり


「我思う、故に我在り」である

世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分の存在だけは疑うことができない

デカルト


このように、コロナ禍を契機に在宅勤務・テレワークがはじまり、テレワークと出社勤務のハイブリットワークとなり、上司の目の前に部下たちがいないという状況になった。仕事のスタイルが、このように変わった


自分のことを決められるが
他人のことは決められなくなった


つまりこれまでのような労務管理・時間管理ができなくなった。テレワークと出社のハイブリッド勤務において、これまでの管理というスタイルでは対応できなくなっているのに、管理のスタイルを変わらずに、新たな働き方を進めている。そういうことが起こっている。これからどうなるのかは、明後日の「分からない時代」の最終回で考えたい


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