世界一の美食都市サンセバスチャンに学ぶースペインで日本を感じる(中)
街は生き物である。街は、変わる。その街がそこに存在している風土、立地性という必然性がある。それらから、歴史、文化が醸成されていくが、その街の人々がありたい姿を願い、それを実現する戦略を描き、時を連続的に継続的に重ねることができたら、街は変えることができる。それを成し遂げたスペインのサンセバツチャンを訪ねた
1 美食都市サンセスバスチャンは、どうつくられたのか?
料理も変わる
世界の料理の中心は、70年代まではフランス料理だった。80年代にイタリア料理がブームになり、90年代には日本料理、2000年代にスペイン料理、ペルー料理など南米料理、北欧料理と拡がった。しかし料理はそれぞれが単独で存在するのではなく、それぞれの地域の料理が混ざり合い、佳いものへと進化していく継続的持続的な活動である
美食の街として有名なスペインのサンセバスチャンを訪ねた。フランスと隣接するスペイン北部の避暑地であるサンセバスチャンには、ミシュランの星付きレストランが多い。しかし美味しいレストランが多いというだけでなく、食を軸に都市ライフスタイルを魅力的なものに変えた都市として、2016年に欧州文化都市として認定され、食と文化と人を融合して総合的なまちづくり「ガストロノミー」が、世界から注目されている
世界的に美食都市づくり・ガストロノミーをすすめるサンセバスチャンのなにが、世界の人を惹きつけるのだろうか?
美食都市のサンセバスチャンの真骨頂はバル巡り。サンセバスチャンの旧市街地には、バルが点在している。小さなバルのなかのカウンターに並んでいるピンチョスを取り、食べてみたい料理をオーダーして、バルのカウンターや狭い空間や店前で、ピンチョスを食べ、バスク地方のお酒チャコリを飲みながら、好きな仲間たちと語りあう。バルを出て、ビルとビルの間の路地を歩き、次のお気に入りのバルを選んで、またピンチョスを食べ、飲み、語らう。市街地の路地を行ったり来たりして、数軒のバルをまわって、仲間とハシゴする楽しい時間をすごす。そのサンセバスチャン・ライフスタイルが、人々を魅了する
2 世界に旅立った若者たちが都市を変えた
サンセバスチャンは、どのようにして美食都市となったのか?
それを探りに、世界から、日本からも、多くの人が視察に行く。食文化や飲食業、街づくりにかかわる人たちが大挙して、美食の聖地であるサンセバスチャンを訪問して、日本で展開しようとして、「日本のサンセバスチャン」などと訴求するが、似て非なるものになっている。それはなぜ?
コンテンツは真似ることはできても
コンテクストは真似られない
小さなバルに入ると、新鮮な地元食材をつかった鮮やかなピンチョスが目に入る。バルは「小皿の芸術」が並ぶ画廊のようであり、ミシュランに認定されている高品質な料理をカジュアルに、安価に、美味しく食べることができきる高級居酒屋でもある。旧市街地のビルとビルの様々なバルのなかから選んで、手軽に店に入って楽しむ。その日の自分好みの美食時間を創ることができるサンセバスチャンスタイルが人々を魅了する
サンセバスチャンが位置するバスク地方は、ローマ帝国から自治を許され、ラテン民族の支配を受けず、独自の文化を育んだ。バスク語を話す人がバスク人で、バスク人がいる土地がバスク地方と呼ばれる
スペインのなかでも独自な文化を承継していたバスク地方だが、さらにフランスに近い港湾都市だったサンセバスチャンはフランス人の高級避暑地となり、スペインの都市ではあるが、パエリアを代表するスペイン料理ではなく、フランス料理が普及した
そのサンセバスチャンに1970年代後半に、一人の若いシェフがあらわれた。当時、世界の料理の中心であったフランス料理から、カジュアルなフランス料理が生まれる流れを捉え、それを持ち帰って、バスク地方の食材・料理と融合して、新たなサンセバスチャン料理へと進化させた
その若いシェフが創り出した新たな料理に刺激を受けたサンセバスチャンのシェフたちも世界に飛び出て、世界のすごいモノを探して旅をして、それを持ち帰って、それを融合して、スパイラル状にサンセバスチャンを進化させた。一人の学びを個人だけのものにするのではなく、学んだレシピを仲間で共有して、サンセバスチャンに面的展開した。そしてまた別の仲間が新たな食を探しに世界に出る。日本にも学ぶ
それが芸術的なピンチョスの美味につながる。サンセバスチャンの料理人は日本料理の懐石料理、八寸に学び、日本料理の昆布やカツオ節・マグロ節などの出汁に学んでいる
このようにサンセバスチャンのバルやレストランの美食を進化させつづけている成功方程式は、世界に出て世界の食に学び、その本質をつかみ持ち帰って、水平展開するナレッジマネジメント、料理人のコミュニティである美食倶楽部や総合的な料理学校や食の課題解決をめざす総合的な食の拠点など食のエコシステムが、世界一の美食都市サンセバスチャンを進化させつづけている
サンセバスチャンが継続して、発展しつづけることができているその成功方程式の本質、食と文化と都市を融合するガストロノミーの文脈を理解しないで、「美食都市を目指そう」と声を上げたとしても、表面的、部分的に留まり、都市は変わらない
3 アンバランスになっている現状認識からはじめる
日本も、ソトに出て、佳きものを見つけて、それを教え合い、学び合い、ウチをレベルアップしてきた。ソトで学んだことを、ウチに組み込み、融合させ、新たなものをうんできた。伝統と新規を融合して、古典とモダンを融合して、洗練させ、美に昇華させてきた
それが日本の成功パターンだった
日本は、古来より、混ざりあい、融合させてきた。しかし融合というプロセスには、高度な技が必要である
融合において、大切なのはバランス
バランスが崩れたら、おかしくなる
たとえば、明治時代、文明開化の当初は、アンバランスだった。日本は西欧の文明を怒涛の嵐のように移入した。旧に新を融合して、和と洋を融合して、和洋折衷といった様々なモノ・コトをめざしたが、バラバラで、しっくりしない、気持ちが悪いモノ・コトが多かった。何度も何度も、いろいろと試して、時間をかけて、混ざりあわせてきた。そして10年20年30年かけて、しっくりいくようになった
バランスは、一点しか無い
天秤で物の重さを測るとき、天秤のお皿に分銅を乗せる。分銅を加えたり減らしたり、てこを一定にしようとする。試行錯誤を繰り返して、ある一点をめざして、バランスさせていく
このバランスが崩れている
バランスする能力が弱くなりつつある
これが、日本品質の低下の一因である
日本品質が低下していく
どうしたらいいのか?
江戸時代、伊勢神宮詣りが流行った
一生に一度、伊勢に行きたいと願った。そのため、村や町の人はお金を出し合い、旅費を積み立て、くじで当たった人が伊勢詣りした。お伊勢講である。日本中から、伊勢神宮に旅人たちがむかう。江戸時代は自由に旅ができず、移動をするためには通行手形が必要だった
しかし伊勢詣りは黙認され、ウチの町・村以外のソトを知るチャンスであった。伊勢神宮への出発にあたって、村・町の境界まで見送り、ウチとソトの境界で迎える。伊勢詣りの道中で観たコト、聴いたコト、感じたコトはそこで聴く。ソトの事柄は、ウチとソトの間で聴いた
ソトの話をそのままウチに持ちこまなかった
それが江戸時代の日本人の創意工夫だった
それをストレートにウチに持ち込むようになり、バランスさせるチカラが弱くなっている。それが日本品質を低下させている。いったんバランスが崩れると、元に戻すことが難しくなる
私たちは、バランスを崩している
日本品質を落としている
そう、現状認識して、バランスさせる
創意工夫して、試行錯誤していく
アンバランスしている日本の現在地をサンセバスチャンで感じた