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日本から失われつつある、とても大切なことーどないなってねん(下)

なにごとも観ようとしないと、なにも見えない
これだけ現実の社会で人口構成・年代構成・家族構成が変わっていたら、街の風景が明らかに変わっていることが目に見えていたはずである。しかしある一定の幅の年代で構成されている役所や会社や工場、同じような世代で構成されている学校だけで過ごしていたら、真の街の風景は見えない。だから世の中を見間違ってしまう

1  見える変化と見えない変化

衝撃的なグラフ。未婚の人がこんなに増えている。増えていることは認識していたが、トレンドで見たら、凄まじい。これで、なにがおこっているのか?なにがおころうとしているのか?

               日本経済新聞 2023年12月25日

50歳の男性は4人に1人、女性は5人に1人が未婚。この30年で、生涯未婚の人が一気に増えている。現在50歳の人が20歳だった1990年から、年々急増して、単身者が増えている。つくづく、こう思う


この30年って、なんだったのだろうか?

生活者マーケットが激変した
家族のカタチが大きく変わった
これまでのやり方では通用しない国となった
このマーケットの変化を認識している人・企業
そうでない人・企業の違いが
ビジネスの成否を分ける

今からでも遅くない
この生活者の変化、マーケットの変化に
正しく向き合い
どうすればご満足を得られるかを考え
それをカタチにして
お届けできた会社が
お客さまに選ばれるはず

しかしその出発点である
お客さまの変化・マーケットの変化を
観ようとしないから
ビジネスチャンスを逸してしまう

変化には、見える変化と見えない変化がある

新たに生まれる変化は目に見えるが
無くなった、失われた変化は目に見えない
見えない変化は観ようとしないと
見えてこない


2  第3の場所が消えた

単身者が増えて、自分の居場所がかわった

会社帰りに居酒屋で、みんなとちょっと一杯。お気に入りの落ち着いたバーで、心を静める。小洒落たカフェで、楽しく会話。お気に入りのレストランで、大切な人とワイングラスを傾ける。テニスやフットサルの部活で、みんなで頑張る。趣味のサークルで、自分探しをする。都心の大きな本屋で、知的な時間を味わう。スポーツジムで、。勉強会で、これからの自分に投資する。

単身者が増えて、自分の居場所にいく必然性がなくなった

その居場所は、会社でもない家でもない第3の場所であった。第3の場所は、自分にとっての誰かがいない場所で、自分を解放できる場所だったが、単身者にとれば、誰もいない家が、自分の居場所となった。家で、ネットやオンラインで誰かと繋がっていたら十分、ゲームで十分、リアルで繋がらなくて十分となって、第3の場所がいらなくなった

その第3の場所が減ると言うことは、どういう意味なのか?ここに、日本にとって、見えない大切なことがあった

3   ウチとソトの感覚が消えた

その見えない大切なこととはなにか?—それは、日本人が古代より承継してきた「内(ウチ)と外(ソト)」の感覚

日本人の「ウチでもあり、ソトでもある」「ウチでもない、ソトでもない」という空間が、なくなりある。見える空間と見えない空間、そしてその間の空間の感覚が薄れつつある

「それがなんやねん?」という人がいるだろうが、日本社会において、極めて大きな変化なのだ。そもそも、この「ウチとソト」の感覚は古い

古事記に、“煩(わずら)いは、まとわりつくもの。だから脱ぎすてることで、禊(みそ)がれる”と伝えられてきた。外(ソト)、他とかかわることで自分の身にふりかかる煩(わずら)いや穢(けが)れは、要所要所で脱ぎ捨てないといけない。煩いや穢れを脱ぎ捨てる場所が「結界」である。その穢(けが)れが、古事記にイザナキとイザナミの黄泉の国の話で書かれている。この現代にもつづく日本人のウチとソトの感覚は、古事記が編纂された712年よりも、さらにさかのぼる日本人の感覚であって、とても古い

@ikenaga.hiroaki

このように、日本人は、「内(ウチ)と外(ソト)」という感覚を意識していた。煩わしいものを身にまとってしまう世界が外(ソト)。家のなかは内(ウチ)で、 内では煩いはまとわりつかない。玄関前の盛り塩、敷居、畳の縁には、外の煩いを内に入れない「結界」の意味が込められていた

家の内ではなにもまとわりついてこないから、お気安にしてくださいとなるが、家の外の世界ではいろいろなものがふりかかってくる。“内の空間は結界で守られた世界だ”という精神性がいまも日本人の所作なり言葉として残っている。たとえば、この言葉

「敷居は踏んではいけない」

家の玄関も、“結界”のひとつ。玄関で靴を脱いで家のなかに入ると、“結界”によって、それぞれの部屋の意味が変わってくる

ダイニングの床で座っていたら、「ダイニングでは座ったらあかん」と注意される。つづくリビングと和室、廊下と和室を仕切る「敷居」は、「踏んではいけない」と怒られる。敷居を越えて畳のうえに立っていると、「まぁ、すわってすわって」と声をかけられる。このように敷居を境に、がらっと意味が変わる

                                                                                                                      @ikenaga.hiroaki

同じ家のなかでも、空間ごとに、日本人は意味を与え、行動を変えてきた。この精神性ともいえる感覚が外国人はよく理解できない。日本人はずっとその精神性のなかを生きてきた。そこから日本の美、日本文化が育まれてきた。しかしその精神性が分からないという日本人が増えた。明治以降、戦後以降、とりわけこの30年間で、その精神性が消えつつある


4「まんなか」という空間が消えた

ウチとソトの感覚で、もうひとつ日本人が喪失しつつある重要なことがある。かつて日本人は、ソトから入ってきた人をウチでもソトでもない「まんなか」である縁側で、もてなした。近所の人とは、縁側で話した。家のウチには、そうやすやすと人を入れなかった。ウチに入れる人は、「ウチ」の人から認められた人であり、家の構造も奥に行けば行くほど、内(ウチ)になる。その縁側が無くなった

明治に入って、ウチトソトの「まんなか」が薄くなり、だんだん減っていき、戦後の団地でついになくなった。ウチとソトの境界をはっきりとさせ、ソトからダイレクトにウチに入れるようにした。もしくはウチに入れなくした。ウチでもソトでもない、ウチでもないソトでもない「空間」がなくなった。ウチとソトがはっきりとさせて、警戒するか家族並みとなるかを二分した。大半はウチに入れなくなった。玄関のドアも、開けなくなった

@ikenaga.hiroaki

なにごとも教えられなかったら、分からなくなることがある。自分の周りの人がそれをしなかったら、分からなくなる。そういう場所がなくなれば、実践できなくなる。戦後、核家族となって、故郷にいる祖父母と離れて、家から縁側が無くなり、家から畳の部屋が無くなり、敷居が無くなり、玄関のたたきが限りなく小さくなり、たたきの意味が変わり、ウチとソトの精神的空間感覚が薄れ、さらに単身者が増えて、伝え伝えられる関係がいなくなると、結果として社会から

大切なことが消えていった

5 日本的スタイルが消えた


もうひとつウチとソトの感覚で、大事な話がある

かつて日本は草履文化だった。草履のままでは、建物のなかには上がらなかった。上がらないといけない場面では、白足袋を履いた。明治に入り、靴を履くようになって、日本人は白足袋をやめた。白足袋をやめたので、玄関で靴を脱ぐと、"上は洋装で下は素足"というスタイルとなる。ここで、明治の日本人は考えた。どのような恰好で、家にあがればいいのだろうか?

靴を脱ぐスタイルから靴を脱がないスタイルになるに伴い、日本の建物が変わった。明治維新までの建物は靴を脱いで上がる形式であったが、明治維新からの混沌期を経て、日本の住宅は和を守った家、洋式の住まいとなった家、和洋折衷の家の3つに分かれ、時が経つなかで和洋折衷に馴染み、そのあと洗練されていった。この折衷が、日本人の得意技、日本的スタイルだった

日本的スタイルは、なんでも折衷しようとする
A と B を混ぜて、C を生む
〔1+1=2 ではなく、 1+1=Xにも、1+1=Y にする〕

@ikenaga.hiroaki

日本的スタイルは、なんでもかんでも折衷しようとする。「A+Bを混ぜて、Cを生む」。それも、単純に「1+1=2」とするのではなく、絶妙なバランスで、「1十1」をXにもYにもした。この変換システムが日本的な強みだった

住まい方も、絶妙な和洋折衷がおこなわれた。それまでの和式の住まい方と西洋式の住まい方を混ぜようとする。玄関で靴を脱いで、廊下を歩き、応接室やリビングに入って、そこで靴下や素足でソファ・テーブル・椅子に座るのは、どうもしっくりこない。ここで、日本人は考えた。日本的な「スリッパ」が発明された。これが日本人のイノベーションの発想プロセスである。

                                                                                                                      @ikenaga.hiroaki

ウチとソトとそのまんなかがある
ウチでもありソトでもないは無限大
ウチでもなくソトでもないも無限大

このウチとソトとまんなかという精神的空間感覚をもとに、日本は独自のモノ・コト・サービスを創造してきた。まんなかの無限大のなかに、ビジネスを生みだした

そのまんなかが無くなりつつあり、なんでも折衷して絶妙なバランスを駆使して変換させていく日本的スタイルがなくなりつつある

どないなってねん

6. ウチの論理がソトを支配する

ウチとソトという境がなくなった人の姿を社会でよく見かける。この30年、増えた。ウチで手厚く「守られ」、そのウチをソトに持ちこんだのは、実は子どもではない。子どもたちの親の世代であり、祖父母の世代である

たとえば電車の座席に靴をはいたまま、子どもが座席の上に立っても、親・祖父母が放置している。かつての親や祖父母ならば、子どもを注意した。「靴をはいたままでは席が汚れるのでダメ」という感覚がなくなってきた。ウチのロジックを何の疑問もなく、そのままソトに持ち込む

どないなってんねん

電車のなかで、赤ちゃんがぐずる
「静かにしなさい」と、お母さんが大きな声を出して注意する。それは子どものために注意をしているのではない

電車に乗っているまわりの人から白い目で見られるのが嫌だから、「静かにしなさい」と形だけ言葉を発すだけで、子どもは泣きやまない。「子どもだから、泣くのは仕方ないじゃない」と平然とする

ウチのルールをソトに持ち込む。かつては電車で赤ちゃんがぐずるかもしれないと思っていたから、余裕をもって電車に乗るなど工夫をして乗ろうとしていたが、あわててギリギリに乗るから子どもが泣き出す

どないなってんねん

7 ウチとソトとまんなかが戻ろうとしている

かつての日本には、ウチでもないソトでもない「まんなか」があった。ウチとソトとそのまんなか。ウチでもありソトでもない、ウチでもなくソトでもない、その間である「まんなか」のなかの無限大のグラデーションが消えた。ウチかソトかになり、まんなかがなくなった。日本人は

変えてはいけないことを
変えてしまった

戦後、この30年でまんなかが消えていったが、コロナ禍を契機にウチとソトの関係が変わろうとしている。またウチとソトの境界が溶け合って、ウチにソトが入り、ソトにウチが入りつつある。ウチでもないソトでもない、まんなが生まれ、グラデーションが拡がりつつある

コロナ禍を契機に、テレワーク・オンライン化に伴い、価値観が変わり、その人にとっての、新たなウチとソトとまんなかがうまれつつある。スポーツ、学び、寛ぐ、趣味、芸術、芸能、食など、家と会社以外の人と人の交流の場、人と人の交流の場、学びあう場、家と会社・学校ではない、新たな第3の場所、居場所が増えつつある

ウチとソトとまんなかが、コロナ禍を契機に、戻りつつある。それは昔のそれでなく、新たなウチとソトとまんなかが生まれつつある

明らかに変わりだしている
しかし観ようとしないと
それは観えない


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