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ミラノのデザインエコシステム
2月4日、4月8-13日に開催されるミラノサローネ国際家具見本市のプレス発表がピッコロ劇場で行われました。
ミラノがデザインの重要な舞台であり、サローネがその一役を担っていることは、何度もここで書いているので説明する必要もないでしょう(ただし、初めての方は、「デザイン文化」をデザインするーミラノデザインウィークの変遷 を参照ください)。
また、今年のサローネの規模や概要はサイトを参照いただくとして、ぼくはこの劇場にいて思ったことをつらつらと書いておくことにします。
サローネがミラノ・デザインエコシステムを駆動させるだけでなく、システムの熟成をはかる機能をはたしている
ずいぶんと長い見出しです。しかし、ここは短くせずにはっきりと書いておきたい点です。
昨年末に「ある場が空いてるなら、どこか他の場が混んでいるはずーイタリアデザイン再考」という記事を書きました。イタリアデザイン史の見方が変わりつつある―20世紀後半のマエストロをたたえるのは良いが、それに加えて21世紀を生きるに必要なイタリアデザイン史の見方が求められている、という趣旨です。
そう思う根拠が、次の3つのサインです。
― トリエンナーレ美術館で開催中のイタリアデザイン史のセクションがミラノのデザインエコシステムの理解を助けるようになっている。
― 1970年代のイタリアプロダクトデザイン史の空白をファッションのフィオルッチが埋めていたことをトリエンナーレ美術館で開催中の回顧展で示している。
― 昨年11月末、サローネはミラノデザイン・エコシステムのレポートを発表しているー1990年後半に政府が行ったイタリアデザインシステムのリサーチ以来、すなわち20数年ぶりの原点復帰とさらなる進化。
1961年からスタートしたサローネがインテリアプロダクトの世界を後押しし、それがインテリア以外のビジネスから文化に至るまで広範囲の分野に大きな影響を与えてきました。
駆動力としてのサローネです。
この役割を語るエピソード的現象の一つが、フオーリサローネという市中各所でのイベントです。昨年も1週間で千前後のイベントが行われました。1980年頃からフオーリサローネが目立ちはじめ、1990年後半以降、フオーリサローネが盛況になると出展者が「サローネに参加した」と言うようになります。
「サローネの参加」は見本市会場で出展することなので、フオーリサローネに参加するのはサローネとは異なります。フオーリサローネでも良い場所を使用すれば高い費用を要するので、どちらが高いかという金額の高低ではありません。
サローネという名称の認知度が高いので、デザインの主要舞台に参加したことを強調したいデザイナーや企業にとって、そっちに寄りかかるのが得なのです。どのみち、距離も業界も遠くにいる人にとってはサローネでもフオーリでも、どちらでもいいーそういう便乗商法のロジックです。
それが「どうでもよくない」のがサローネの主催者です。サローネの会場に審査を通過して正式に参加した企業にとっては、フオーリと同じに見られるのは不都合でした。投資にみあった成果を得ようとしたのが邪魔されたとも思うでしょう。ですから、サローネは必死になって「フオーリサローネはまったく別物」と線をひこうとしました。参加企業というお客さんの信頼を繋ぎ留めないといけません。
しかし、2010年代になると「ミラノデザインウィーク」との名称が多くの問題を救うことになります。ミラノ市にとっても、サローネの時期は経済的貢献が大きく、かつ国際都市としての評価をあげることになるので、さまざまな側面で協力的な姿勢を示していきます。フオーリだどうだとぶつかり合うのではなく、コラボできる絶好の機会じゃないとバックアップするわけですね。
インテリアビジネスだけではく、あらゆるジャンルのデザイン全般、あるいは文化的なイベントの開催にもミラノ市は「裏書き」をしていくのです。このように「サローネとフオーリの確執を通じて」、ミラノのデザインエコシステムはより成熟してきたのです。
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彼女が代表になってからエコシステムの成熟化が加速している。
©Andrea Mariani/Salone del Mobile.Milano
それでは、デザインウィークとしてミラノ市全体がー最近のALCOVAの開催場所にみるように、郊外への広がりもみせていますーステージ化していくと、サローネのステイタスは相対的に下がるのか?とも想像しがちですが、実態は逆ではないかと思います。
情報発信元としてのサローネは、市中で開催されるような文化イベントを自らの手で会場内で企画していくようになります。各企業の新商品発表の場で商談をするのが主目的であった。また、新しいトレンドを効率的に把握できる。
そのような性格に特化していたサローネがフオーリでの実例を参考にもしながら、より高見を目指すコンテンツをつくりあげるようになります。それだけでなく、サローネ自体がフオーリにタッチポイントをいくつかセッティングするのです。
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つまり、長期に渡ってサローネを中心にみていくと、瞬間的には不都合に見えることが好都合を生む契機になっていたのです。
ここはぼく個人の想像です。ミラノデザインのエコシステムの発展史を知る人にとっては、その人が寛容であり視野が広いかどうかは脇においたとしても、多くの事象がエコシステムの一部に嵌り込んでいくー成熟化の一端を担うーのが分かるのではないかと思います。
ボトムアップのデザイン文化の存在が顕著に出ており、この点にサローネ観察の一つの面白さがあるでしょう。
Thoughts for Humans.というテーマから思うこと
かなり刺激が強い下の写真から3つのことを思いました。
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一つ目、人間中心設計という言葉がこの20数年、特にビジネス領域のデザインの次元で普及しました。ユーザーをメインに据えて製品開発する、というのは一例です。とても先進的な真っ当なアプローチでありながらも、一部では販売目的のカラーが強すぎるとの批判もでてきます。人間中心と言いながら、ビジネスのためではないか?いったい人間を見ているのか?と。
そして、環境問題がよりクローズアップされてくると、人間の存在は相対的に小さくなっていきます。地球環境が主語になるべき、との声が大きくなってきました。これも正論なのですが、その正論がちっぽけな人間の尊厳を押しつぶしてよいわけでもなく、このところに問題があるなあ、と考えていました。ですから、Thoughts for Humans.の文字をみて即思ったのは、人間存在の再認識という方向です。
二つ目は、AIとの関係です。西洋近代哲学のはじまりには「人間は考える葦」という考え方がこびりついています。頭の機能に人間の価値を求めると、AIの普及が人間の存在価値を減じるのではないか?との疑問が出やすいわけですね。だから、我々の身体において頭はごく一部ではないか、との再認識がまっとうな人間観をつくるはずです。そこで内臓ではなく、皮膚が強調され、しかも動く皮膚が前線に出てしかるべき、とのアピールを思いました。
三つ目。デザイン思考ーDesign Thinking を想起しました。デザイン思考は一つ目の人間中心設計と密接な関係があり、米国流のデザイン思考の特徴になっています。これとは別にイタリア流デザイン思考がある、という主張がイタリア人デザイン研究者の間にあります。米国流デザイン思考への反撥も含みます。
建築家がプロダクトデザインもするとの流儀をベースとした議論です。建築空間、そこに置かれる(使われる)モノ、それらを享受する人間、これら3つの要素を常に視野にいれてデザインしているのがイタリアのデザイナーである、ということです。そういう文脈でItalian Design Thinking for Humans とも言えそうだと考えました。
また、「ため(for)」を視野に入れたビジネス との記事で触れた創造都市の提唱者であるチャールズ・ランドリーの述べた「ため(for)」という観点も想起します。
ミラノは世界における(in) 最高のデザイン首都だけでなく、世界のため(for) の最高のデザイン都市になるのが良い。
クラフトをテーマにあげたサテリテの動向は見逃せない
サテリテはサローネのなかにあって35歳以下の人が参加できるセクションです。1998年、冒頭の写真の真ん中に立つマルヴァがリードして立ち上げたプロジェクトで、今年26回目になります。テーマはクラフトです。
このサテリテという場は、前述したフオーリサローネの発展系です。フオーリサローネが発表の場として注目されると、若い人もそこで何とか自分の作品を見せたい。しかし、人が集まるところで披露するにはお金がかかる。安い目立たないところには人がこない―このジレンマに解決策を提示したのがマルヴァだったのです。
これまで1万4千人以上の世界中のデザイナーがここから巣立ち、ぼくも、このサテリテで知り合ったデザイナーがそれなりの数います。例えば、2008年に初めて会った芦沢啓治さんもその一人です。
ぼくは今年の選考委員会のメンバーだったので、どのような作品を参加者が出してくるのか殊更興味があります。こう書くと、作品を見ていないの?と思われますよね。
そう、展示する作品は見ていないのです。サテリテへの応募条件は、デザイナーの過去の作品の提示なのです。選考委員はこれらをみて、デザイナーの潜在能力をはかるわけです。年齢も考慮します。これからの伸びしろをみます。
即ち、サテリテは若手デザイナーが自らの能力をトップ企業の経営者にも見てもらう機会だけでなく、このプラットフォームは若手デザイナーが独り立ちするに必要なことを学ぶためにも機能しているのです。そして学び合った仲間ーたまたまスタンドが隣り合っていたーが、世界各地にコミュニティをつくっていくとの副産物もあります。
その人たちがクラフトに立ち向かうのです。例えば、日本と欧州でクラフトへの認識が異なります。日本でのクラフトは手作りというプロセスに限定しがちです。対峙するのは生産機械です。他方、欧州でのクラフトはコンセプトの考案から検査に至るまでの一連のプロセスにおける人間の役割が視野に入ります。あえて対峙するものをあげればAIです。
よって、ぼくは若い人たちが、どういう観点からクラフトの世界に踏み込むのか、とても興味があります。
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ぼくは1990年代からサローネを見ていますが、1990年代、サローネの会場は市内でした。そして盛況になったとは言え、今からすればフオーリのイベント数もそこそこでした。ですからサローネに2-3日通うのが習慣でした。しかし、今世紀になり郊外に会場が移り、フオーリの数が増え、最近、サローネにでかけるのは丸一日だけとのパターンが多くなりました。
今回、サローネ内でのイベントプログラムを知り、最低でも2日は行こうと考えています。
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冒頭の写真は©Andrea Mariani/Salone del Mobile.Milano