箱根駅伝は「誰のものでもない」から儲からない
箱根駅伝2024、青山学院が「箱根の強さ」を見せつけ優勝。このnote では、原晋監督が最新刊で「20年の集大成」として主張し、注目の書『箱根駅伝は誰のものか』でも論じられるテーマを考えてみたい。
誰のものか? 答えは「誰のものでもない」のだと思う。いわば界隈の空気によって動いていて、リーダーシップ(オーナーシップ)不在。だから儲からない、という論です。
"箱根駅伝をめぐる「闇」の真実" 問題
原さんの最新刊『最前線からの箱根駅伝論 〜監督就任20年の集大成』。指導方針、教育的価値など説明しながら、
第4章には "箱根駅伝をめぐる「闇」の真実" と刺激的な表現で、運営について踏み込んでいる。原監督の立場から見えているのは、ようするに、「意思決定のプロセスが見えない」「無責任主義」、意訳すれば「古い人達の空気」によって、箱根駅伝は決まっている。関東陸連だけでなく日本陸連もそうで、対象的なのは野球やサッカーの日本代表だと、クリティカルに書かれる。
(1/4追記:版元から一部掲載されてます ↓ )
僕の仮説を書いておくと、この差とは、陸上では「草の根の指導者、運営者」=たとえば中高の陸上部顧問の先生など=によって、競技自体が成り立っている。その核にあるのは、「好きだから、手伝う」「自分が恩を受けたから、恩返しをする」といった損得度外視での姿勢ではないだろうか(伝統大学の人脈などもあるのかもしれないが)
結果として、「空気」を重視した運営がなされる。
野球やサッカーは、プロスポーツが主導し、各チームは大企業が運営する。この文化では、ゴールが明確で、損得は重要で、組織的に選出されたリーダーによるトップダウンに慣れている。日本代表もスポンサーに大企業が多数ついて、選手を出すのも大企業小会社なわけで、大手企業による合弁事業のようなものだ。そこで、知名度の高いリーダーを招きながら、大企業(=その奥の株主)に説明可能とするマネジメントをすることは必須条件となっている。「オーナーシップのある経営」とも言える。
こうした成り立ちの違いが、組織運営のありかたに影響しているのではないかな。
箱根駅伝が、大学側の立場からは、儲からないことの理由も、ここに根ざすと思う。「誰のものでない、みんなの箱根駅伝」なのだから、儲からない。
ここ、もう少し説明していこう。
"箱根駅伝の収益はどこに消えているのか" 問題
原さんの本で注目は、収益問題に踏み込んでいること。「関東陸連が日テレからもらうのは3億円くらい、参加大学には300万円分配(=計6000万円)、内訳も日テレとの交渉過程も不透明」という点だ。
この点をさらに踏み込んでいるのが、駅伝に強いスポーツライター酒井政人さんの『箱根駅伝は誰のものか: 「国民的行事」の現在地』
酒井さんは過激なタイトルによりネットで燃えがちだが、現場取材を丁寧に積み上げる方でもあり、この本も歴史の整理など進める。第4章「箱根駅伝は誰のものか」でも、「関東学連の密室政治」など強い表現を使いつつ(※タイトルや見出しは普通は編集者が決めるので酒井さんの文とは限らない)、やはり情報は丁寧。
主要スポンサーは1回で8−10億円を払うと噂され、その広告効果はある試算では60億円相当。だとすれば、広告の投資効果はかなり高い。つまり、広告主の立場、メディアの立場から見れば「箱根駅伝は儲かる」のだ。
比較として、アメリカ大学スポーツでは、カレッジフットボール(アメフト)プレーオフ3試合で、
と、規模はほぼ同等だが、放映権料だけケタが違う。
日本とアメリカの背景の違いは大きい。アメリカはそもそもスポーツが国家共通の宗教みたいになってて、日本で複数年契約数十億円の野球選手がアメリカにいけば1000億円にもなるレベルだ。大学スポーツの人気も高い。とくにアメフトとバスケはプロに迫るレベルで人気がある。
つまり、大学スポーツ自体の競争力が高く、メディアに対する交渉力が強い。そこでNCAAという団体に窓口を一本化して、複数メディアを競わせることができる。
日本では、大学スポーツで人気なのは箱根駅伝だけだ。高校スポーツでは甲子園の高校野球トーナメントだけだ。それだけが人気な理由は、メディア側が人気になるように育てたからだ。
つまり、メディア側の競争力が高い。
言い換えれば、「箱根駅伝は誰のものか」という問いは、ある意味では、メディア+広告主のもの、ともいえるかもしれない。
ただ、日本のスポーツ界でも変化も起きていて、メディア主導で育ててきた日本の「女子ゴルフでも近年、選手側へのパワーシフトが起きている話を9月に書いた:
世界的な流れとして、オリジナルなコンテンツを保有する権利者の立場はどんどん強くなっている。(スポーツではないが)アスリートのごとく鍛えている歌手テイラー・スウィフトがライブ(=試合のライブ観戦のようなもの)中心に過去最高に稼いでタイム2023年「今年の人」に選ばれたのも、同じ流れ:
"どうすれば箱根駅伝で稼げるか?" 問題
対策は原さんも酒井さんもそれぞれ提案している。共通の前提として言えるのは、「大学側が、箱根駅伝で稼ぐ、という意識で、意思統一すること」だろう。
原さんも指摘する不透明な意思決定プロセスは、この点の阻害要因となる。
また日本のメディア、とくにテレビは、「テレビ出演が本業である人には高額な出演料を払うが、専門が別にあって副業的に出る場合にはとても安い」という商習慣がある。たとえば大学教授は普通たいして出ない。新聞雑誌の電話取材なら無料レベルなことも多い(日経ビジネスも基本そう、文春もそうだと聞く。報道は基本そう)
スポーツの場合、それ自体が仕事のプロ野球やJリーグなら放映権料はしっかり払うが、本業が学業である学生スポーツには、協力金いくらか、という発想になっているようにも思う。
大学経営にとって
大学の経営に目を向けると、酒井さんの取材によれば、多いところでは予算は2億円近く。
大金のようだが、仮に学費4年総額500万円(私学助成が+1割くらい?)の学生が40人追加で入ってくれれば(=その分の定員不足を防ぐことができれば)、収支があう規模だ。
経営サイドにとっては、2日間、しっかりメディア露出しまくってくれれば、放映権料からの収入がなくても、十分に投資効果に見合うはず。だから、40もの大学が強化に乗り出して、衰えることがない。この意味では、「大学経営にとって箱根駅伝は、ほどほどに、儲かっている」といえる。
だとすれば、改革インセンティブはそれほど強くない。
改革には、①大学経営、②陸上競技界、の2つのレベルでの意思統一が必要だ。①何十もの大学をまとめ、さらには、②草の根で運営されている陸上競技カルチャーに働きかけて、全体の意思統一するのは大変なこと。「放映権交渉がうまくいけばもっと儲かるかも」と理解はしていたとしても、現実には難しそうなのは、原さんの言葉からもなんとなくわかる。
学生ランナーにとって
大学が学生ランナーに費やすコストとして、(たぶん強化費用とは別に)学費免除、場合により最高では30万円(かなりレアケースだとは思うが)ものお金を奨学金的に出している。
この点への批判は見るが、少なくともアメリカの大学では普通に行われていることだ。ただし、学業成績、奨学金付与の総枠、などルールは明確。日本で一部で批判されるのは、ルールがなく不透明だからだろう。デメリットはあるとしても、解決は可能:
こうした支援は、ブランド大学はほとんど行わない。早稲田や青学が出せるのは「合格」までだ。奨学金ローン積んで入るよりもお金かからない大学いきたい、といった選択肢があるのはいいことだとも思う。
(なお「税金払ってるのか」とかの声をSNSで見たけど、大学事務がこういうところを間違えることは普通ありません。大学職員は変なクレーマーより優秀なことが多いとおもいます)
2040年の箱根駅伝
では未来はどうなるか?
これから大学経営は圧倒的な少子化に見舞われることになる。日本の出生数は減り続けて2022年で77万人。かたや大学入学定員は203年で63万人。大学進学率57%が同じなら2040年の入学者は43万人、マイナス20万人だ。箱根出場23校のうちどれだけが残れているか。今の「大学知名度向上」だけの箱根駅伝で十分なのか。
とはいえ、東京一極集中の流れからは、関東学連の(とくに都内の)大学は比較的残りがちにはなるだろう。(首都圏の2040年ごろまでの災害リスクについてはここでは触れない)
1つありえそうなのは
恒久的な全国化
それによる全国規模でのバリューアップ(1が前提)
それ踏まえての放映権交渉(2が前提)
かなと思う。この方向性イメージは、原監督も、酒井さんも、概ね一致するものと思う。
世界で戦うランナーを育てるためには?
箱根駅伝が、日本の長距離走のレベルを全体として高めているのは間違いない。ただ、世界トップレベルで戦うためにベストか?と問われると、100%スバリな手段でもないとも思う。
20歳前後までは「10kmまでの走りの質」を高める方が、高速化する世界の長距離ランニングに合ってるように僕は思う。未完成な状態で長い距離に合わせにいくことで、育たないものはあるような気もする。
この点は、原監督も、短めの区間を入れるとか、アイデアをいくつか書かれていて、考えは同じかと思う。逆に現在の体制(というか支配的空気)は、100年続いているものをそのままの形で続けること自体にゴールがあるのだろう。
この理想を掲げつつも、現実に注目されるのは箱根の22km×10人というフォーマットであるので、そこに完全に最適化しているのが青学チームでもある。
青山学院の「箱根の強さ」
青山学院優勝について競技目線で触れておこう。(※初稿の冒頭のを変更)
不利と思われていた青学勝利のプラス要因をあげてみると、
8万円超のスーパーシューズを連続投入した2−3区で流れを作れた or 駒澤の流れをぶっこわしたこと(※むしろ普通の3万円シューズ区間で差を拡げている。ここでのポイントは「流れ」が決まった箇所)
(3区で佐藤圭汰が競り負けたことが以降の駒澤を狂わせた感じ。なお青学が2足だけ投入したのは耐用距離40km、5km走るごと1万円が溶ける!)
3週間前の集団インフルエンザかなにかが、結果的に疲労回復につながったかもしれないこと(2週間前だと厳しかったはず、中央大はこれで陥落)、
なども考えられるが、
結局は、「20kmのスター」の作り方の強さ、なのだろう。
箱根駅伝は、「20kmのスター」を10人以上そろえるゲームだから。
箱根駅伝は通過点か、ゴールか?
<青山学院チームについての僕のイメージ> ※単純化してます
箱根を「いったんのゴール」とし、そのために「起伏のある22kmの単独走」という競技目標に向けてトレーニングする。時間軸でのゴールは4年生の12月(選考時期)。卒業後のランナーとしての活躍も望むが、改めて自分で自由に目標再設定してリスタートしてね。
→ これが「箱根の強さ」を生んでいる。
<駒澤チームについての僕のイメージ>
「10kmのスター」を一人でいいから作りたい。実績として、45km6区間の出雲、106km8区間の全日本=伊勢、1万mトラックの記録など短めの距離で強い。ゴールは、世界レベルのスポーツ大会で戦うこと。これらは大八木総監督の著書から読み取れると思う。
少し極端に表現すれば、「箱根を通過点とする」スタイルがある。この好例は、順天堂大から東京五輪3000m障害で入賞した三浦龍司。23kmの走力を高めることをゴールとした練習はしていない。駒澤出身の田澤廉も4年では箱根1ヶ月前まで、世界選手権1万mを最適化する練習をしていた(ついでに箱根も優勝させた)
実際には、ランナーごとにも違うだろうし、駒澤でも箱根4年間で燃え尽きる!というタイプも当然多いだろうし、単純化したイメージではある。
(「超トップ高校生が入ってきたからそれ向けの育成パスも用意した」という逆の順序もありうるかも。青学はトップ選手でも入学許可までしか出せないし)
ただ結果でいえば、卒業後プロランナーとしての成長度では、駒澤が実績で(今のところ)上回る。
大事なのは、選択肢が明確であること。原晋監督は考えを明確に発信されるので、入学希望者にとって明確。それができるのが彼のリーダーシップであり、青山学院という組織における彼のパワーあってのものだろう。
一方、箱根駅伝のマネジメントには、このような明確なリーダーシップは(少なくとも外部からは)見ることができない。「誰のものでもない」、あえていば空気によって動いているようにも見える。
・・・
ついでの紹介:2022年青学優勝時の人気記事 ↓ ↓ ↓
ここの後半で、
という青学チームの特徴について書いた。 僕は、このやりかたで長距離を大きく伸ばすことは難しい、と思っている。ただし、 箱根の特異性が高ければ(特にフォーマットとピーク設定)、この2点は必ずしも矛盾しない。結局、ゴールを設定が大事。
<1/4追記>
COMEMO PICK選出、1/4の日経電子版オピニオン欄に1日限り掲載されてますー
トップ画像は江ノ島。離れてもう12年たつなー